俺は『は?』しか言えなくなったのだろうか。核心に迫ろうとしているのにどうにも緊張感に欠ける。この男を尋問する暁には相当骨が折れるだろうな、と。そんな未来が訪れないでほしいと切に願う。
「俺、話をする人の名前は大切にしたいと思っていて。刑事さん、名前なんていうんですか?」
「聞いてどうする」
「だって。刑事さんは俺の名前を知っているのに、俺は貴方の名前を知らない。不公平」
「こっちは仕事上調べて知ってるんだ。別に最初から知りたかったわけじゃない」
「俺は知りたい」
「創作のネタにするつもりか?だったらウチの広報部が喜んで報告活動に来るだろうよ」
「刑事さん。海の匂いがしますね」
 本当に絶句した。なぜって、俺の生家はこの国南西の海辺にあり、祖父と父は漁師だったから。この事は履歴書に書いてあるだけで人事担当以外誰も知らない。
「潮と魚の匂いがする」
「昨日は肉料理だった」
「あ、別に生臭くないですよ。俺は好きだなぁ、この匂い」
 ただ香りの話をしただけ、それなのに地元の郷土料理を褒められたような感覚に襲われた。この男は怪しい、と刑事の勘が警鐘を鳴らす。この男は面白そうだ、と子供時代の俺がぶんぶん手を振っている。
「……フィヨルド・エマニュエル」
「フィヨ……ルド……フィヨルド。うん、やっぱり好き」
 ぶつぶつ俺の名が呟かれる間、再び辛抱強く待たされた。時間にすれば一分もなかったのだが。この仕事で一番大切なのは『忍耐』かもしれない。
「もういいか?で、事件や事故について何か知っている事があれば教えて」
「何も」
「……支配人なのにそれはないだろ」
「確かに俺は支配人ですけど、あくまで名義上の話です。実際使ってるのは劇団のみんなですし、僕は管理費とか税金を納めてるだけで何があったのかまるで知らない。あ、ちゃんと公演は観に行ってますよ?」
「……」
「ごめんなさい」