意図、というのはドーナツの件を指しているんだろうか。夢をぶち壊すようで悪いが、この仕事をしていると相手の表情や目線から何となく考えていることが分かってくる。その多くは取り調べや聞き込みという現場で役に立った。俺から言わせてもらうなら、刑事を前にここまで自由気ままに振る舞う人間も珍しい。
「もう少し遠慮すんだよ、普通は」
「?」
「さっきの答えを教えてやる。俺は演劇が嫌いだよ、今決めた。理由は壊れるから」
「世界が?フィヨルドさんが?それとも誰かが?」
「は?」
「俺は、新しい本を読んだり映画を観たりすると。頭と心の中で地震が起こるんです、ぐらぐらーって。天変地異、終末、巨大な怪物が自分を一飲みにしてしまうみたいな。嬉しくて、怖くて、ドキドキして。一週間……長くて一ヶ月はその状態が寝ても覚めても続く。フィヨルドさんの言っているのがそういうことなら、俺も同じ」
 こんな浮世離れした非現実的ゆるふわ人間と俺が同じであるものか。
 周囲が『美味い』と絶賛する料理、『面白い』と噂している小説、『絶景だ』と褒めそやす景観……それらの噂を確かめるため、実際に自ら体験して噂通りの結果と経験を得られたとする。大抵の人間は『自分の勘は正しかった!』と満足するのかもしれないが、俺は違った。

―どうして、こんなに素晴らしい物を今まで避けてきたのか

 もっと早くこの体験が出来たのではないか。
これらを味わうまでの自分の人生は無駄だったのではないか、と。俺は昔からそう感じる癖があった。だからこそ後悔が大嫌いだ。『もっとああしておけばよかった』とわざとらしく嘆いている赤の他人を見るたびに腹が立って仕方がない。ならさっさと行動しろ、さもなくば後悔なんてせず自分の選んだ結果に責任を持って受け入れろ。
 その感覚はいつの間にか『恐怖』へと変わる。今まで忌み嫌ってきたものを摂取したことによる価値観の崩壊、自らの信念が180度変わってしまうことへの恐れ、今までその道を通ってこなかった怠慢、そして決して戻らない時間たち。
 もしかしたら俺はどこかで、ホーソンの言う舞台や演劇とやらを素晴らしいと確信しているのかもしれない。だからこそ本能で避けている。
絶対に極上の体験ができると分かっているからこそ、その衝撃による己の崩壊を未然に防ごうとしている。いわば防衛本能だ。
「……勝手に同じにするな」