「おうよ、今日の俺も最高だっただろ?」
「はい」
「バーカ、もうちょっと否定すりゃいいのに……」
 達成感と反省、終わってしまった公演への名残惜しさで血液が脈打っていた。心臓の鼓動が普段よりも早い。それは皆も同じようで、楽屋のあちこちでは最終日を無事に迎えられたことへの賛辞が飛び交っている。
 役者たちの汗で数枚の鏡が曇っていた。
「あれ、監督は」
「なんか用事があるって、先に別現場行ったよ。俺も礼言いたかったんだけどなぁ」
「そうですか……ん?ってかユーゴさんの『礼』って?」
「そりゃ『Pride』みたいな神作品書けるの、監督しかいないだろうが。他の地方劇団にはない、俺たちが演じられる〝ありがたみ〟っていうかさ。とりあえずこんな良い作品産んでくれてありがとうございます、的な事言っておきたいんだよ」
 ユーゴさん曰く、この世界に舞台芸術は数多くあれど。俺たちの監督が持ってくる台本のようにクオリティが高い作品を見られる劇場は稀らしい。
「他の劇場行ったことあるんですか?」
「ない!」
監督のおかげでこの劇団は今日まで生き残っているし、あちこちから入団希望者がやってくるんだ、と。
「お前も言いたかったか?」
「え?いや……俺はまだ入団して日が浅いですし。ユーゴさんみたいに監督と親交があるわけでも」
「じゃなくて。リックに、『観に来てくれてありがとう』ぐらいは言いたいだろ?」
先輩の大きな手は背を叩くと思っていたのに、頭へと優しく置かれていた。
最終公演の二日後、久しぶりに獲得した休日だというのに俺は無様にも、パン屋の前に立ちすくんでいる。
「……何、してんだろ。俺」
 香ばしい小麦とバターの匂い、目の前のドアはさっきから引っ切り無しに開閉され客が出入りしていた。外で棒立ちの俺を、全員が怪訝そうな目で品定めしては去っていく。唯一、腰の曲がった婆さんだけは俺の足元しか目に入らなかったようで、何も言わずにゆっくりと通り過ぎて行った。彼女の身長よりもフランスパンの方が高いぐらいだ。
 真上に昇った太陽に背を押されるように、意を決して俺はドアを開けた。
「いらっしゃいませ」