沢多奈央さんが光なのであれば、僕は影であるような気がする。

1学期には、クラス内総投票数の約90%を獲得してクラス委員長に抜擢されていた。
高校3年の夏の大会で陸上部を引退したそうだが、彼女は文武両道でもあった。

定期テストの成績上位者表彰ではいつも沢多さんの名前が呼ばれる。
また、部活動の表彰の方でも彼女は壇上に上がっていたのだから、多分、この学校で沢多さんの名前を知らない人はいないと思う。

すらりと華奢な容姿。
人懐っこい笑顔。
男女問わずに人望が厚い彼女とは、これまでには特に接点もなかったんだけれど、これはどういう状況だろう。

今日は僕と彼女が日直の当番だからか? それで……それで、なんだ? つまりどういうことかは分からない。


「ふーん、今度買って読んでみる」
「もしよかったら貸してあげるよ」
「ほんとー? やったぁー」


ああ、調子に乗った。
貸してあげるとか、完全に出過ぎたことを言っていることに気づいた。慌てて訂正をしようとするが、ずい、と沢多さんが顔を近づけてきた。


「絶対、貸してね。──絶対だよ?」


前のめりになってまっすぐ視線を合わせてくる彼女に、まるで言葉をなくした。

"絶対"という単語。
綺麗な彼女の瞳の奥に、覇気のない僕の顔が映っていた。気の知れた友達すらいないような冴えない僕。自慢できることといえば読書量だけ。
現代文や古文は得意だけれど、理系科目についてはからきしダメだし。
そんな僕に向けて沢多さんは妙に力強い、引力のようなものが感じられる瞳を向けてくる。


「う、うん……分かった。そんなに読みたかったんだね、驚いたよ」
「読みたかったよ。今度こそ、絶対に読んでおきたいって思ってるから」
「……今度こそ?」


"読みたかった?"

ふわり、カーテンが靡く。
沢多さんの艶やかな黒髪が風にのって流れた。

その一瞬だけ。
彼女の表情が笑っているのに、何故か泣いているように見えたんだ。

──心臓が鈍い音を立てる。


あれ?


「君の好きなものを、たくさん知りたい。だから、もっともっと教えてよ」
「好きな、もの……?」


まだ夏が居座る9月。
僕にとって
彼女にとって、

忘れられない時間が、やってくる。


流行りの韓国ドラマの話。
ゲーム実況者の配信の話。
好きな歌手や俳優の話。
好きな人や付き合っている人の話。
昨日読んだ漫画の話。アニメの話。

そんな教室の喧騒の中で孤立している僕と、その中心にいるはずの彼女の話。



「約束。私とお友達になってよ。東山くん」