仕方なく、残りの二袋を差し出した。えみは何の躊躇いもなく口に流し込んでいく。食欲が家畜なみである。八十キロはあるだろうが、よくそれだけ痩せていると思えてきた。
 数分も経たないうちに食べ終えてしまった。とんでもない塩分摂取量だ。この方より早く生活習慣病とかになったら世の中を呪いたい。
「では始めようか」えみがのっそりと立ち上がった
「何を?」
 僕の問いかけに応じる前に、えみはカラーボックスにあった円筒を手に取った。僕の卒業証書がまとめて入っている。
 両手で頭上から一気に振り下ろし、跳ね上げた太ももに円筒をブチ当てた。バコッと音がして、くの字に折れ曲がった。結構堅いはずだが、お手本のように、くの字になった。
「『すべて断捨離する』よ。リストにあったでしょ」えみが当然かのように言う。
 ご名答。たしかに我が家の断捨離はリストに明記してある。ただ、宣言する前に破壊するのはなしだろう。人間の信義則に反する。ただし、そんなルールはどこにも書かれていない。
 次に餌食となってしまったのは、夏休みの自由研究をまとめた冊子。そう、自由研究。母が教員だったこともあり、幼いころから夏休みは自由研究をさせられた。それも結構な熱量で。しかし意外と楽しくて、ハマってしまい、徐々に独力でやるようになってしまった。そして中学では全国の科学展に出品され、表彰されるようになったのだ。思い出の詰まった冊子を、スライスチーズのように裂く大女。
 そして賞状、メダル、記念品と、あらゆるものを鷲掴みにし、破壊を試みる彼女。メダルはさすがに砕けなかったが、金属以外は粉砕していく。
 思い出が消えていくな、と僕はしみじみ思いながら見ていた。何やってんだと思いながら、止めに入ることはなかった。喜ぶわけではないが、悲しくはなかった。思えば小学校時代からの思い出の品を持ち続ける三十代男性もなかなかいないだろう。そう、物持ちが非常に良く、捨てられない質だ。きっと自分ではなかなか捨てられなかっただろう。その数々の品を粉砕されて、少し気持ちよかった。自分が生きてきた証を一つずつ打ち砕く。すると一つずつ、かさぶたが取れていく感じがする。これが終活という奴なのだろう。
 僕はじっと眺めるのをやめ、残骸をゴミ袋に入れ始めた。えみがまき散らしたものを、流れ作業のように袋に詰め込む。何も考えず、一心不乱に。