運命とは残酷だ。
 大小ある幸せのうち小さな幸せさえも奪ってしまう。変わらない、変えられないもの。
 
私の幸せは運命によって壊された。これ以上望まないくらい幸せだったのに。 神様は不平等で意地悪だ。
 
 
 
 
シアワセってなんだろう。そう思って、屋上の柵を越えた。
思ったより風が強くて身体をもっていかれそうだ。
 よし、これなら確実に死ねる。この世に未練はない。そう思って私は身体を宙に投げ出した。
 
 
 本来、ここで死ぬはずだった。
 いや、本当はもっと前に死ぬはずだった。生きていてはいけない人間なのだから。
 
 しかし、 気づいたら誰かの腕の中にいた。
 
 「危ないなぁ、こんな高さから落ちたら間違いなく死ぬよ。それとも死にたいのかな?」
 月が大きく明るい今日、その人の不敵な笑みははっきりと見えた。
 
 「誰か知らないけど、手を離して。私は死にたいの!生きていたくないの。」
 その人は宙に浮いたまま私を抱き抱えて、黙って話を聞いていた。
 
 「ふーん。僕、死神のシオン様だ。」
 あ、人の話聞かない系の人だ……。でも、死神ってことは私死ねる?
 「死神が来たってことは私、遂に死ねるの?」
 私は身を乗り出して聞いた。
「君、変わってるね。死神は怖くないのかい?」
 
 「これから死ぬって時に怖いものは何もないのよ。それより、私はやっと死ねるの?」
 
 死神はバツが悪そうにそっぽを向いた。
 「あー、残念。人間殺したらダメなんだよねー
 僕らは死んだ人間の魂を回収するのがお仕事。」
 
 そう言うと、その死神は私を屋上の柵の内側へと降ろした。
 
 「よっこいせ。で?なんで死にたかったの?
 お兄さんにも教えて?」
 死神は、私の横で腰を下ろすと、まるで恋バナでもするかのように軽い口調で聞いてきた。
 
 「なんで話さなきゃいけないの?」
 もちろん、私は警戒心をあらわにした。
 
 「死神って案外しょぼいのね。人は人を殺せるのに。」
 
 少しバカにしたような口調で聞いてみた。次の言葉で拍子抜けしたけれど……。

 「僕に興味あるの?嬉しいな。でもね、少し違うかな仕事なんだけど罰でもあるの。」
 
 文面だったらおそらく、最後に笑笑がついてきそうなほど、軽い口調のように聞こえた。
 
 「なんで、私にそんなこと教えてくれるの?」¹
いや、私が聞いたんだけど普通隠したりしない?
 
 「……。」
 これまた興味本位だったのだが、先程とは打って変わって嘘のように黙ってしまった。何でも聞くのは私の悪い癖だ。
 
 どんな顔してるのかと思って、死神の顔を覗き込んだ。
 
 肌は日焼けという言葉を知らないほど真っ白で、それと同じくらい髪も綺麗な白銀だった。
 鼻は高く、唇は血のように赤い。
 瞳はというと……、閉じている。
 「わっ!」
 
 私は更に身を乗り出して、大声で死神を起こした。
 「わっ、びっくりした……。どうしたの?」
 「どうしたの?じゃないでしょ。今寝てたよね、私の話聞いてた?」
 死神の瞳が月明かりでより一層大きくなったように見えた。
 
 「あはは。ごめん、ごめん。でも、茜は僕に興味あるでしょ、だから罰だってこと教えて茜の死には関われないってこと言おうと思って。」
 
 「えっ、………」
ちゃっかり話を聞いていたことよりも、驚いたことがあった。
 放心している私の横でそいつは顔を覗き込んでくる。
 「茜、どしたの?」
 「私、貴方に名前言ったっけ?」
 死神はニヤリと笑うと私の口に人差し指を当ててから言った。
 「秘密。って言っても僕、死神だし知ってても可笑しくないでしょ。あはは。」
 
 上手くかわされた気がする……。けど、まぁいいや。自己紹介する手間が省けたから。
 
 「単刀直入に言うわ。私を殺せないなら、貴方に用はないの。邪魔しないで。」
 そう吐き捨てて、屋上を後にした。
 
 これで終わると思っていた。罪悪感、悲しみ、苦しみ、虚無感、私という全てが。
 それなのに、また失敗。
 「どうして死なせてくれないのよ、バカ……」
どこに向けたか分からないその言葉は、ほとんど声にならず白い吐息になって宙へ消えた。
「学校、今日もいきたくないな……」
手首にバーコードの様な無数の切り傷とその他の青あざを眺めてため息が出た。
 
 ぼーっと、壁に掛かっている時計に目をやると、
 時刻はお昼の1時。親が心配するから、遅刻でも行かなきゃ。そう思って支度を始めた。
 
「行きたくないなら行かなきゃ良いのに。」
 もう声の主は誰だか分かる。
 「どうしてここにいるの?昨日の話聞いてた?」
 もう関わり合いたくなかった。死を連想させる神
のくせに殺してくれない役立たずな死神だ。
 
 「わ、その傷どうしたの?痛そうだね。」
 相変わらず人の話は聞かないのね。
 「こっちのバーコードは自傷、青あざはいじめ。」
 死神はそれを見て暫く苦い顔をしていたが、言いにくそうに口を開いた。
 
「あの日の事故は茜のせいじゃないよ。雨が降ってたから、視界が悪かったんだよ。だから、自分を責めないで。」  
 
 私は驚きを隠せなかった。
 
 「なぜ、死神があの事故のことを知っているの?」
 この死神については知らないことばかりだ。死神って存在自体謎だけど、あの事故のことをなぜ知っているのか不思議でならなかった。
 
 そんなこんなで支度が出来たので学校へ向かう。
 足取りは重く、ゆっくりだが、ゴールにはいつかたどり着く。それが良くも悪くも。
 
 第1関門は下駄箱、今日はなんだろう。
 下駄箱を開けた途端、大量の画鋲が落ちてきた。
 「ふっ、まさに針のむしろ。」
 いくつかの画鋲が手に当たって引っ掻き傷ができた。
 
 大量の画鋲をゴミ箱に捨てた後、第2関門が待っている。廊下と階段。
 ここは1番といっていいほど危険。
 階段は手すりがないと上がれない。今日は椅子が落ちてきた。避けきれずに足に引っかかって、階段から落ちた。まだ上のほうまで上がってなくて良かった。
 「まだ生きてんの?瞬くんはアンタのせいで死んだのに。」
 
 捨て台詞のようなものをあびせられた。
 私だって、知りたい。どうして、私は死ねないのか。なんで、瞬が死ななきゃ行けなかったのか。
今から約1年前、私は高校1年生だった。
 瞬とはクラスが同じで席が隣だった。彼はクラスの中心にいるような人で、反対に私は隅で読書している芋女。真反対な私たちが話すことは無いだろうと思っていた。
 
 「それ、面白いよね。」
 放課後、夕日が差し込む教室に2人だけ。
 日直の仕事を一緒にやっていると、瞬は話しかけてきた。
 「これ読んだの?」
  恋愛モノのシリーズだから意外だった。
 
 「読んだよ。男で恋愛モノって変だろ?」
 少し頬を赤らめながらそっぽ向いている瞬が可愛いかったのを今でも覚えている。
 
 「ううん、変じゃないよ。瞬くんは本を読まないタイプに見えたから意外だっただけ。」
 
「ははっ、俺、どんなイメージなの?」
 頬を掻きながら瞬は目尻を下げて笑った。
 「キラキラした世界に生きている人。明るい。読書より人と話す方が楽しそうにみえる。」
 
 「はずれ。本当の俺は、独りで本を読んでいるいじめられっ子。」
 瞬は寂しそうな顔をして外の方を見ていた。
 
 「もともと、俺はクラスの中心なんて器じゃないんだ。昔、からかわれてよく本を捨てられた。優しい誰かが拾って机の中に入れて置いてくれていたこともあったな。」
 そう言うと、瞬はあるものを制服のポケットから取り出した。
 
 『本は大切に。ぜひ読んでみてください。 拾ったものより』

「一緒にこんなものまで入っていたけどな。」
 
 瞬はニコニコしていた。
 
 「なあ、同じ字だよな?」
 そう言って、日誌の横にその手紙を並べた。
 
 「文字なんて似ている人もいるんじゃないかな?」
 瞬は私が本を拾ってメモを入れたということに気づいている……。
 
 「あの時、本を拾ってくれてありがとう。」
 
 「本が捨てられてるの許せなかっただけなの。お礼を言われるようなことしてないわ。」
 
 「その本、最後まで読んだ?」
 私は気になっていたことを尋ねた。
 
 「あぁ、捨てられるには勿体ないくらい面白かったよ。」
 その笑顔を見た途端、顔が暑くなって心拍数が上がるのを感じた。瞬に恋した瞬間だった。

 それから学校へ行くのが楽しみになった。瞬に会えた時、瞬を見つけた時、それ以外も全て私の世界が変わった気がした。
 瞬を狙っている子は沢山いる。だから、私の想いは届かなくていい。周りからの攻撃も受けなくて済むし、なによりフラれて話せなくなるよりはいい。
 そう決意したばかりなのに、放課後、2人きりになってしまった。見た目、声、どこを取っても好きだなぁって思ってしまって困る。
 さらに困ることに、
 
 「なぁ、これから一緒に帰んない?」
 瞬の提案を断れる訳もなく、一緒に帰ることになってしまった。帰る道すがら色んな話をした。好きな本の話、進路の話、趣味や好きな音楽。それから、恋愛についても。
 「茜って、好きなやついるの?」
 この一言は非常に困る。だから、質問を返すことにした。
 「瞬こそいないの?」
 呼び方は自然に変えた。変えても違和感がないくらい仲良くなれたのが嬉しい。
 瞬のほうをみると真っ赤な顔をしていた。好きな人いるんだ……。そう思うと、さっき嬉しかったのが無かったかのように、距離を感じた。
 「瞬の好きな子ってどんな子?」
 思い切って聞いてみる。傷つく覚悟が出来たわけじゃないけれど、好きな人の好きになった人だ。素敵な人だろな……。
 
 「まず、笑顔が明るい。あと、趣味が合う。自分を曲げないところとか、いつも1人でいて静かなところとかが好き。挙げだしたらキリがないな。」
 
 「へ、へー、そんな素敵な人がいるんだね」
 下手な相槌になっていないか不安になる。
「いるよ。俺の目の前に。というわけで、茜が好きです。付き合ってください。」
 
 瞬はいつも通り軽い口調で話しているが、顔は真っ赤だった。私はというと、驚きすぎて声が出せないでいた。ので、瞬に抱きついた。
 
 「私も好きです。よろしくお願いします。」
 
瞬の、好きな人の彼女になった瞬間。
 
  私にはこの瞬間が全てだった。今もなおこの時を超える幸せは他にない。 同時に、過ぎ去った幸せが戻ってくることはない知った……。
瞬と付き合って1年が経とうとしていた。その日は、朝から雨が降っていた。それも相まってか、瞬と喧嘩をした。いや、私が一方的に不満をぶつけただけだ。
 
 瞬はここ最近、私に対して冷たかった。避けられているような感じもした。よく女の子といる姿も目にする。
 嫌なところばかりが見えるようになってしまった。私のことなんかどうでもよくなったのかな。私には瞬しかいないのに……
 
 そんな不安から、言ってしまったのかもしれない。
 「最近、瞬は私に冷たい……他の女の子がいいならそう言ってよ。」

 今思い出しても面倒な女だなと思う。でも瞬はこんな面倒な彼女にも優しかった。だから喧嘩にもならなかった、よく出来た彼氏だった。
 
 「不安にさせるようなことしてごめん。でも、俺にとってずっと茜が1番だよ。」
 
 その夜、瞬が電話をくれた。
 
 外は雨、おまけに夜で道が暗い。会うことなど到底できないと分かってはいたけれどどうしても会いたくなってしまった。
 
 「瞬が本当に私のこと好きなら今すぐ会いに来てよ。」
 
つい言ってしまった。もし過去を変える術があるとするならば、ここで瞬を呼びはしなかったと思う。しかし、あの頃の私は何も知らなかった、この幸せは当たり前ではないということを。
 
 「分かった。会いに行くよ。」
 
瞬が来てくれるというので私は大人しく待つことにした。しかし、待つこと30分。
 
 瞬の家から私の家までは15分とかからないのに、30分経っても来ないのはおかしい。何かあったのかと心配になって家の外に出てみる。
 
 辺りに赤色のライトが点滅しているのが見えた。通学路沿いにある公園で家から数メートルもないところだ。嫌な予感がして、傘もささずに公園まで走った。勘違いならそれに越したことはない。
公園に着いた。人だかりを抜けると公園の花壇に乗り上げた車と大きな血溜まりが見えた。
 「あの、すいません。何かあったのですか?」
 
 恐る恐る、野次馬の1人に尋ねた。
 「あぁ、男の子が車に轢かれたんだよ。ちょうど君と同じくらいの子だったな。何だってこんな日に出歩いてたんだか。」
 
 救急車の後部座席に乗せられていく人を見て、背筋が凍るのを感じた。息の仕方が分からなくなる。視界がボヤけて、意識が遠のくのが分かる。
 
 イヤだイヤだイヤだ、いかないで。ひとりにしないで。
 目が覚めた時、私のいる世界に瞬はいなかった。
 
 この日、私は瞬の後を追うことを誓った……。

 瞬のいない世界に私の幸せなんてない。
あれから1年、毎日瞬の後を追うことだけを考えた。
 それなのに、何故か毎回失敗に終わる。
 始めは首を吊ろうとしたが、紐が切れた。紐は新品だったのに。
 
 次に刃物で手首を切ろうとしたけど、刃物が見当たらなかった。お風呂場のカミソリも台所の包丁もハサミさえ見当たらなかった。
 
 3度目の正直に期待して、服毒しようとしたこともあった。何故か薬の中身が空だった。
 
 その後も色々と試してはみたけれど全て失敗に終わった。
 
 全て偶然?それとも、瞬が来るなって言っているの? 私は瞬の元に逝きたいよ……。
 
 「おはよう、茜チャン。もうすっかり夕方だよ。」
  静かな教室に夕日が差し込む中、シオンの声で起こされた。
 目覚めは最悪だがよく眠れた。夢を見た。とても幸せな夢だった気がする。
 
 「いくらなんでも寝すぎだよ」
シオンが呆れた様子で言ってくる。
 しかし、登校してから今ままでというのは寝すぎだとは思う。前は不眠症だったのに、シオンが来てからというもの眠くて仕方がない。
 
 「シオン、あんた私に何かした?」
 ふと気になって聞いてみた。 
 私の上を浮遊していたシオンの動きが止まった。
 「何もしていないよ?ただ、死神が見えるのはあまり良いことではないから病院に行った方がいいよ。」
 
 不眠ならまだしも、よく眠れているというのに死神が見えるから行くなんてそれこそ、精神病院送りだ。
 そう思って、病院に行くのは止めた。
 行くべきだったのに、行かなかった