当時の私はデータ入力を主に行う、派遣社員だった。勤務体制は週五日。九時から五時まで。基本的に残業は無いが、手当金が出るので、望んで残業をすることは可能だ。人材派遣会社からの派遣社員なので、時給は地元の最低賃金よりうんと高く、パートやアルバイトよりかなり割が良い。
 派遣で仕事をするようになって二年が経っていたが、私は割とその職場と仕事を気に入っていた。
 私が勤めていたのは、建築を主に行い、県外にも支店のある大手会社であった。データ入力という仕事は、入力を頼まれた図面などにデータを入力し、確認をしてもらうという内容。それ以外の仕事は基本的にしない。来客対応だってしないし、お茶を入れることも無く、電話対応すらしない。ただ任された仕事を、淡々とこなしていく。一人で、黙々と、淡々とこなしていくのは、わりかし私と合っていた。同期は私を含め六名も居て、全員の仲が良く、職場の雰囲気も良かった。
 だからこそ、私はその仕事を気に入っていた。
 多忙期で残業をしても、残業代はちゃんと出るし、休日出勤をしても給料は出る。稼ごうと思えばいくらでも稼ぐことが出来た。まあ、多少のパワハラはあるようだが、男性が九割の会社なので、女性に対して謙虚になっていたのか、私達はパワハラ被害を受ける事はあまり無かった。ただ、セクハラ被害はあったが。
 給料も良い、仕事の内容も自分には向いている、だからその程度は目を瞑ることにした。

 私もかつては、正社員として働いていた。短期大学を卒業して、そのまま介護職、特別養護老人ホーム……通称特養に就いた。老人の割合の高い地元では重視されている職の一つで、元々老人と関わることが多かった私は、自分では向いていると考えていた。
 だが、介護職というものは体力を削るものであり、そして精神的にも強い者しか生き残れない。老人と接するのが得意というだけでは、つとまらない世界だったのだ。
 老人を抱き起こしたり、車いすからベッドに移動させたり。まずは腰を痛めるのが、介護職員の通る道だ。いきなり暴言を吐いたり、死にたがって発狂する老人もおり、言葉も指示も厳しく怒鳴ってくる母と同年代くらいの先輩に板挟みにされて。そしてなにより、特養という施設は、寿命が近い老人が集まる所であった。私は、何度も施設の老人の最後を見送った。
 そうなると、仕事ができるできないは勿論の事、体力と精神面が強い者が勝ち残る。少々の身体の痛みではビクともしない者、いつでも自分の意志を持ちへこたれないメンタルを持つ者。
 私はどうかというと、頑張りはきいたのだが、少し融通がきかなすぎた。
 ちゃんと仕事をしなければ、周りに認めてもらわなければ、周りに怒られない様に完璧に仕事が出来なければ。自分を追いつめれば追い詰めるほど、私の胃はきりきりと痛んだ。
 気が付いたら、私は家の階段をぼうっと見下ろす日々。ここから飛び降りれば、怪我をして、仕事に行かなくて済むだろう。しなくても、休める理由にはなるだろう。もしかしたら、死んで、楽になれるかもしれない。
 私の中に『死ぬ』という選択肢が出来た瞬間だった。
 この日以降、私の心の中には必ず『死ぬ』という選択肢が出来上がってしまうのだが、それはおって話していくことにする。
 さあ、飛び降りよう。そう思って一歩を踏み出した瞬間に、家の玄関が開いた。
 そこで漸く、自分がしようとしたことに気が付いた。そして、自分がかなり大変な状況になっていることに寒気がした。
 今度はゆっくりと階段を下り、誰が帰ってきたのかと確認してみれば、そこにいたのは祖母だった。
「もとちゃんただいま。もとちゃんは、これから仕事?」
 祖母の言葉を聞いて、私はそこでわっと大泣きをしながら崩れ落ちた。
 突然の私の動作に祖母は驚いたようだが、私がずっと涙と鼻水をたらしながら、辛い苦しい怖いしんどい、と泣き言を述べている間も、祖母はずっと背中を撫でてくれていた。
「辛かったら、休んでいいんだよ」
 祖母の優しい言葉を聞いて、はじめて、『仕事を休む』という選択肢があるのだと知った。
「休んでいいの?」
「勿論。こんなにしんどければ、休む理由になります」
 相変わらず背中を撫でて、優しい言葉で慰めた祖母の表情は、ずっとずっと穏やかなものだった。

 「良い子で居なさい。そうすれば、皆が貴方の味方になるから」小さい頃に、誰かにそう言われたのが、私の根本になったのだろう。
 誰にでも優しい良い子になりなさい。頭が良い子になりなさい。運動神経の良い子になりなさい。笑顔を浮かべて良い子で居なさい。頑張れる良い子になりなさい。
 私は幼いながらに、その言いつけを必死に守ろうとした。
 だからこそ、私は努力をした。周りに追いつけるようにと、努力をした。丁寧に相手と接し、相手が求めるような言葉を選び、勉学に励み、習い事も頑張って、運動にも力を入れ必死に走り、常に笑顔でいるように、いつだって頑張れるように。
 そうしたら、周りに認めてもらえた。見える努力というものは、好意的に映る。友人や仲間は努力をしている私を認めて、嫌わないでくれた。私は、完璧な独りぼっちになることは無かった。
 私は、運が良かった。腕をがりがりやる癖は、今でも治らない。
 そんな自分は、生きるのが下手くそなのだろうという考えを持ったのは、何がきっかけだっただろうか。
 きっと、平凡に延びていくレールから、少しずつ、音もなく、自分だけが外れ始めた気がしてからだろうか。
 歳をとるにつれて、考え方や知恵や体格などにばらつきが出てくる。成長が目に見えてきて、個性がはっきりと表れてくる。そうすると、得意不得手というものが存在するようになる。
 大きな成長も止まった。私と言う個が出来上がり始めた頃、腕にはいくつもの引っ掻き傷の痕がうっすらと白く残っていた。
 「お前は出来る子だと思っていたのに」と、成長するたびに成績が段々悪くなっていく私に向かって、呆れたように誰かが言った。
 私はその時、確かに自分の心にヒビが入った音を聞いたのだ。
 最初は期待されていたはずだ。
 だが、失敗した瞬間、周りは「お前は期待を裏切った」とでも言っているみたいに急に冷たくなって、見下して、馬鹿にするようになった。
 いじめを経験したこともある。友達だと思っていた人に裏切られ、クラス全員にはぶかれ、ばい菌扱いされ、記憶の無いことにまでいちゃもんをつけられる。
 私には居場所なんて無いと、この世界が心底嫌になった。
 私はその言葉を受け取って、それが己なのだと、自虐として笑いのネタにした。あはは、その通りだよね、あはは。馬鹿みたいな笑みを浮かべてそう言うのだ。
 私は昔から不器用で、周りに居た人達には簡単に出来ることが、私には出来なかった。だからこそ、私は良い子で居ようと頑張ったのだ。それが一度実を結んで、けれどそれが何回も起こる運は無くて。私は、すぐに裏切り者という扱いに変わってしまったのだ。
 私というものを、認めてもらいたかった。
 私は出来損ないだ。周囲から期待もされなくなり、ハズレとして扱われる。
 こんな私など、さっさと消えてしまえばいいのに。
 運の良い私は今日も死ぬことは無く、平和に人生を謳歌している。腕は、夏でも隠すようになった。
 認めてもらいたかった。大人になっても、求めていたのは、ただ、それだけだった。「頑張ったね」の一言でもいいから。

「頑張ったね」
 ずっと欲していた言葉を、ついに、大人になってから漸く、大好きで大切な祖母から聞いた私は、ああもう駄目だと、祖母に身を委ねてしまう様になってしまったのだ。

 そして帰ってきた母とも話をし、その日は仕事を休むことを決定した。思っていた以上に、職場は簡単に休みを承諾して拍子抜けしたのを覚えている。
 そしてそのまま母に心療内科に連れていかれ、そのまま半年間仕事を休むことになった。
 その休養の間は、ただ部屋に籠ることが多かった。だが、朝は食べられなくても、お昼は祖母と必ず食事を共にした。無言でも、祖母が隣に居ると、何故か安心出来た。
 午後からは祖母と祖父の畑仕事を、少しだけ手伝った。無心で雑草を抜くのは、心の棘や、もやもやを引き抜いている気分がして、気持ちが良かった。
 休養期間中、祖母は一度も私を叱ることは無かった。たまに、父に怒られたことはあったが、祖母だけは必ず私の味方をしていた。私に寄り添い、一緒にテレビ番組を観たり、畑仕事を手伝ったり。少しずつ、死ぬ、という選択肢を選ぶ機会は減っていくような気がした。
 だが、半年間の休養を得た私だが、もう元の会社に戻る元気はなかった。
 はじめは誰かの為に、自分が祖母に愛されたように、老人に恩返しが出来たらうれしいと思い、充実した仕事をしたくて入った業界だったが、何が正しいのかが分からなくなっていた。私は退職届を出し、最初の職場を去った。

 祖母の前で弱みを見せてしまったあの日から、私は、だいぶ駄目になっている。
 必死に誤魔化そうとする。本当は、私は、祖母に褒めてもらえるほどの人間じゃない。認めてもらえるほどの人間じゃない。心配されるような人間じゃない。自分をぼろくそになるまで否定して、自分で自分に傷を負わせて、満足をしているような、そんな女だ。
 祖母に褒めてもらえるのはいつも嬉しい。生きているのを許される気分がする。生きていていいのだと、心が軽くなる。だから、褒めてもらえるのがうれしい。
 そんな、惨めな女なのだ。
「私、ばあちゃんが居ないと死んじゃいそう」
「それはばあちゃんも同じだよ」
 ゆるりと眉を下げて、へにゃりと、いつもでは見せないような、そんな少し不格好な笑顔。しわしわ、と目尻に皺が寄って、細い顔つきではあるが、優しい表情へと変わる。きゅっと小さく唇を噛んで、彼女はゆっくりとその唇から、声を零す。
「私の方が、ずっともとちゃんを必要としているよ」
「そう?」
「知らなかったでしょ」
 眉はそのままで、少しだけ歯を見せた笑みを浮かべながら祖母は言う。
 祖母に大切にされているのは十分理解していた。外に置いてある愛車と車庫は、祖母のポケットマネーから買われたものだ。そのくらい、甘やかされている自覚があった。
 だけど、そんな彼女に必要とされているとは思っていなかった。
 しわしわで小さい手が、私の手に触れる。細くて骨ばって、私の肌触りとは違う、少しカサカサしていて、室内にいて陽を浴びないで真っ白な私とは違って、陽の光を知っている肌の色。そのまま、ゆっくりと私の手を握る。
「今日も生きていてえらい。生きてくれてありがとう。大好きだよ」
 優しい表情を浮かべながら、祖母はまたそうやって、私を褒めて、今日も私を生かす。
 私は、神様に生きるのを許された。

 介護の仕事を辞めた私は、とりあえず、というつもりで、広告に出ていたデータ入力募集に応募し、現在の派遣会社に登録した。
 やってみると、先程述べた通りに、派遣社員で居る事は、私にはかなり合っていた様だ。派遣会社の人が親切に対応してくれるから、入社する前に面接などの、自分を評価される様なこともないし、任された仕事を黙々と真剣にこなせばいい。真面目に、真剣に一生懸命というものは人に伝わるものだ。社員たちから私は頼られた。
 快適だった。同期は良い人ばかりだし、仕事は己の力量と合っているし、給料も良いし、職場の雰囲気も良いし。失敗したらどうしよう、と明日の仕事を考えて、疲れているのに眠れなくて、怖くて情けなくて泣いた夜が嘘のようだった。
 派遣で働き始めた私は、順調に明るさを取り戻し、両親からも安堵の表情を浮かべられ、派遣とは言え、大手の会社だからか祖父も少し鼻が高かったらしい。
 そして何より、心が落ち着いて笑みを浮かべるようになった私を、祖母が一番喜んでいた。
 祖母と食事をするのが楽しい。完全週休二日だから、土日はたまに祖母の手伝いをして、一緒に野菜を収穫したり、偶に並んで料理をしてみたり。
 私はだんだんと、生き方を見つけられていくような気がした。


「佐藤さん、これあげるよ。おばあちゃんから貰ったんだ」
「え? 良いの? ありがとう~!」
 隣のデスクに腰かけている彼女が、こそりと、秘密だよと口にしながら私の好物である焼き菓子をくれた。どうやら、彼女の祖母が地域の人に土産で貰ったものを、私の好物だと思いだして持ってきてくれたらしい。
 礼を述べれば、彼女は柔らかい笑みを浮かべた。
「でも良いの? おばあちゃんからせっかく貰ったのに」
「ふふん、おばあちゃんとはもう一緒に食べた。友達と一緒に食べなさいって、くれたんだ」
 そんな優しい彼女の話をしよう。彼女の名前は優子(やさこ)。名は人を表す。その言葉の通り、優しい性格をしている。優しい人をあげるとすれば、まず最初に彼女の名前が思い浮かぶだろう。親切で、気配り上手で、聞き上手。いつも細かいところに気を回していた。気を使っていることを悟られない様に気を遣うのだ。人当たりも言葉遣いも柔らかく、いつも微笑んでいた。そんな彼女も、私と同じおばあちゃんっ子だった。
 派遣社員として同期で入社したのは私含めて六人だったと先程述べたが、特に、優子とは入るタイミングが数日違いだったので、一番付き合いが長いことになる。
 五人はそれぞれ個性が豊かで、私含め全員が女性であったが、いがみ合いなどは起こらず、仲が良かった。そして、私を除く全員が、綺麗で可愛らしい顔立ち、性格をしていた。私が男だったとしても、この同期の中では私以外の誰かに目を向けるだろう。
 優子は仕事も出来るし、周りにも気を配られるので、とても重宝された。因みに、そんな彼女につけられたあだ名は『ハハ』である。母親の母だ。
「おばあちゃん元気?」
「元気だよ。そっちは?」
「こっちもボチボチ」
 キーボードでデータを入力しながら、隣り合わせな事もあって、小さな声でも会話をすることが出来た。
 彼女がおばあちゃん子になったのは、育った環境からであると、彼女から聞いた。
 彼女には少し年の離れている兄が二人いる。彼女曰く「末っ子になるとね、育児に慣れ始めるから色々と雑なんだよね」とのこと。そして、男が続いての女の子として生まれた彼女は、自然と祖母に可愛がられて育ったわけだ。
 私とは真逆の環境である。私は長女で、年子である弟が一人。第一子である私の世話を焼くのは大変だっただろうが、手のかかる子ほど何とやらだ。すぐに弟が出来た私は、母方の離れて暮している祖父母の家に預けられて面倒を見てもらったり、父方母方の両方の祖父母から面倒を見てもらって育った。
 つまり私達は、おばあちゃん子になるべくして育ったと言っても、過言ではないのである。
「あ、せんせーおいしそうなもの食べてる」
 早速貰ったお菓子を頂こうとすれば、向かい側の席の子が目ざとく見つけてきた。
「貰い物だからあげませーん」
「ずるーい」
「代わりに、ほら、チョコをあげる」
「うわ、少し溶けているんだけど」
 それでも受け取って口に含む辺り、この子の個性であり、可愛らしい一面なのだろう。
 因みに、『せんせー』というのは私のあだ名である。教える時の声が国語の先生みたい、というよく分からない理由から、このあだ名は定着した。我々六人には、それぞれあだ名がつけられていた。
 私と優子の他にも、向かいの席にいるムードメーカ的な立ち位置に居る子、一番年上だからと何だかんだと皆を持ち上げて引っ張ってくれる子……因みに、あだ名は彼女がつける事が多い。あと、天然でほわほわとした性格だが仕事が丁寧な子。そして優子と一緒に、我々をまとめていたのが、マリだった。美人ですらりとした体形にサバサバとした性格。仕事はまじめだけれど、人間関係では細かいことは気にしない。まるでモデル、女優のような女の子だと思った。
 社長や副社長が言うには、我々六人は優秀だったようで、よく驕りだと高いお肉などを食べさせてもらったりした。正直、緊張していたので、お肉の味は覚えていない。
 この二年間は、社会人期間では、一番の充実していた期間であっただろう。

 さて、毎日が順調に回り、雲一つない日々が続くと、ちゃんと青天の霹靂というものはやってくるらしい。

 我々は派遣社員である。入社して二年が過ぎた頃、二人が仕事を辞めた。
 寂しいねえ、と四人で話をしつつも、何とか四人で仕事を回していた、そんな時だった。
「私ねえ、仕事辞めて東京行く予定なんだあ」
 残りメンバーの一人である優子の言葉を聞いて、居酒屋で飲んでいたグラスから思わず口を離してしまう。中途半端に傾けられたグラスから、カルーアミルクが零れてしまったので、慌てて拭き取った。
「突然でビックリしたわ。何で東京?」
「んー、やりたいことがあってえ」
 ほろ酔いの優子は頬を少し赤く染めながら、珍しくろれつの回らないほど酔っていて。けれど柔らかい声で、どこか芯の通ったような真っ直ぐな声で言う。
「どういうの?」
「私、小さい頃から空港で働きたかったの」
 ああ、だから。
 優子が英会話教室に通い始めているのは本人から聞いていた。元々県内でも屈指の高偏差値の高校出身で、東京の大学も出ている。逆に、今までなんでこんなさびれた田舎で派遣をやっているんだろうと思っていた。彼女ほど仕事が出来て、コミュニケーション能力があって、頭のいい人は正社員でもおかしくないのに。
 けれど空港の仕事、と言っても幅広いと思う。何を示すのかは分からないけれど、東京の国際空港となれば英語は必須だろう。この派遣期間は、丁度良い勉強時間だったのかもしれない。実際に、派遣社員にそういう人は多い。定時上りが原則で、職場に雁字搦めにされる立場ではないから、正社員を目指す人以外は、趣味を充実させたいとかスキルアップを図りたいとか、自由な時間を得たい人がなったりすることも多いのだ。
「空港で働きたいなんてすごいね。私なんかじゃ思いつかないよ」
「せんせーは怒らないんだあ」
「ここでそう呼ぶのはズルくない? 進路相談してる気分になるじゃん」
 彼女はほろ酔いで少し体がゆらゆらと揺れ、手先がテーブルの上を彷徨っているので、そっと彼女のグラスを私寄りに避難させておいた。
「だって、大抵の人は、夢見すぎ―とかそんなことで辞めるの~? とか」
「転職したり、新しい生き方を求めるのは悪いことじゃないよ。寧ろ、実行させようとしてるのは立派だと思う。ハハにはハハの人生がある。私が口出しすることではないよ」
「……そっか、そっか~……」
 ぐでん、と上半身をテーブルの上に寝伏せた。
 私は慌てて残っているタン塩のお皿を持ち上げた。
「本当はねえ、それだけじゃないの」
「他にもあるの?」
「そ~、おばあちゃんの介護、的な?」
 おばあちゃんの介護、という言葉を聞いて、思わず身体が固まってしまう。それはあまりにも、自身にも身近な話でもあるような気がしたからだ。
「私がおばあちゃんこだから、東京のおばあちゃんちに行ってえ、面倒見るのもあるの」
「成程ねえ」
「……本当はやだったの」
「そうなの?」
「大好きなばあちゃんが老いて行くのを見るのが嫌なの」
 両腕を組んで、その上に乗せて隠すように顔を伏せながら、彼女は呟く。
「でも嫌だって言うと、命を軽く考えるなとか、恩を何だと思ってんだとか、みんなお説教するじゃん……」
「ああ……」
「そんなんじゃあ、嫌だから……」
 伏せている彼女の旋毛を見てから、思わず目線を逸らす。脳裏に浮かぶのは、私を溺愛している祖母だ。老いていくのを見るのが嫌だ。分からないでもない。もし、認知症になって、貴方は誰? と言われたら、それはショックを受けてしまうかもしれない。自分の知っている、大切にしてくれた祖母とは別人に見えてしまうのかもしれない。
「……別にいいんじゃない」
「ええ?」
「当たり前の考えだよ。まあ、その考えを他人に強いたりすれば苦言を貰うかもしれないけれど、自己の中で完結しているのであれば、それをどう思うかは個人の自由だよ。何がその人にとって辛いのかは、その人自身が決める事だと思う」
 彼女は伏せていた顔を完全に上げて、真っ直ぐと私の目を見ていた。私も酔いが回っているのかもしれない、ぺらぺらと、口が良く回る。
「誰かに言われたからその通りにしたって、必ず幸せになるとは限らない」
「……せんせーの、実体験?」
「さあ、どうだろう。けれど、私は少しハハが羨ましいよ」
「私が?」
「貴方は、もう取捨選択が出来ているもの」
 取捨選択? と彼女は首をかしげる。お酒が入ると幼くなるのは、普段はしっかり者の彼女とのギャップだ。私は薄く笑って、何でもないと、再度カルーアミルクを飲み干した。
「実は、介護、乗り気なんでしょ」
「バレたかー! なんだかんだ言って、恩返ししたかったから、今はやる気で溢れてるの」
 両手それぞれで拳を握りながら、決意を露わにする彼女。
 私は「頑張ってね」としか言えなかった。同じおばあちゃん子という境遇で、同期の中では一番仲良くして、沢山親切にしてもらったのに、それしか言う事は出来なかった。
 冷たいようだけれど、彼女が仕事を辞めたら、これでもう彼女と会うこともないかもしれないと思った。