線香の香りが、八畳の仏間にただよった。
 両手を鼻の先に合わせたまま、閉じていた瞼を開く。
 私の立てた線香から煙はうねりながら立ち上って、陽の光の中に溶けるように彷徨った。
 ただ時間が過ぎていく。
 祖母の名前が記されている位牌を眺めた。外で車が走り去っていく音がする。線香のにおいに包まれる。冷房の風がひんやりと肌を撫でる。乾燥の所為か唇が切れて、鉄の味が口の中に染み込んできた。
 全ての感覚が誤作動も無しに私に伝わってきた。
「おはよう」
 声が届いているのかは分からないけれど、写真の祖母は優しい目で私を見てくれている。
 おはよう。そう、言葉が返された気がする。するだけ、だろうが。
 けれど、そうして、新しい一日が、また始まる。
 立ち上がってから、彼女に背を向けて、そのまま足を踏み出す。
 部屋の中に、障子の向こうから明るい陽の光が、道の様に真っ直ぐと差し込んできている。
 その道に従う様に歩き、ゆるゆると仏間から出ていく。

 メモリアルペンダントがまだ首にかかっていた。第二関節分の大きさの直方体は、どうしてだか、いや、やはりと言うべきか、重みがあって、ずっとつけていると肩がこる。
 だが、これは、今の自分を支えてくれている物なので、肌身から外すのはまだ難しい。
 この中に、今日も祖母が入っている。
 ぎゅう、とネックレスを握りしめた。じわじわと、私の熱が伝わっていき、温まっていった。
 温かい。私の体が温かくてよかった。彼女に、熱を分けてあげられた。
「ありがとう」
 優しい彼女はそういうだろう。そう考えて、そうして私は、ようやく、こんな自分を今一度大切にしてやろうと思えたのだ。

 脳裏で優しい表情を浮かべながら、ばあちゃんはまたそうやって、今日も私を生かす。
 私は今日も神様に生きるのを許された。