―――本当は、
「うん、なに?」私は首を傾げる。高校生の私の話を聞いてあげよう。
―――生きてほしいのよね。お母さんに。
「え……」
―――私が怒っているのは、お母さんに生きてほしいから。本当の私は、お母さんが死ぬことを恐れているのよ。
「そんな……そんなことないわ。勝手なことを言わないで」
―――本当は今すぐにでも会いに行きたいんでしょう?
「違う……。もう、あんな呪いに……かけられるのはまっぴらよ」私の息は上がっていた。過呼吸を起こしたように、息を吸いたくても上手く吸えない。
―――かわいそうな私。素直になればいいのに。
高校生の私がそう言うと姿を消した。霧が全身を覆い隠すように、静かに消えていった。憐れみにも、蔑みにもとれる表情を残して。正確には、学校を終えた次男の啓太が帰ってきたので、私はそこで我に返ったようだ。あれは私の本音が見せた幻だったのか。それを確かめるには。私は西日に照らされるスマートフォンを手に取った。
紗穂の電話があった日から二週間後、私は自分が二十六歳まで過ごした実家の前に立っていた。安普請のアパート。劣化がますます進んでいる。この部屋の中にある状態は容易に想像が付いた。母の生活は、紗穂が家を出てから急速に困窮化した。鞄に忍ばせた「物」を確認する。やや厚みがあるそれは、母の状態を見てから渡そうと決めていた。
実家の鍵を鞄の内ポケットから取り出す。古い型式のシリンダー錠。自宅のドレッサーの奥に十年以上眠ったままだった。鉄のドアノブに差し込むと、そのシリンダー錠を静かに受け入れた。カチャリ。金属音が解錠を知らせる。
扉を開けると懐かしい匂いがした。実家の匂い。私はこの匂いを知っている。
「お母さん」久しぶりにその言葉を口にする。靴を脱いで台所に足を踏み入れると、ミシッと床が音を立てた。すりガラスが嵌め込まれた引き戸を開ける。六畳の和室がある。中心に炬燵が置かれており、母はその炬燵の中で眠っていた。
「久しぶりね。覚えてる?」母の元に正座する。眠っているから返事はない。炬燵の上や周りには菓子パンの空き袋が散乱していた。インスタント食品に使う湯を沸かす気力もないのかもしれない。菓子パンの袋ばかりが目立っていた。
母の顔をじっと見る。頬は痩せこけており、髪は白髪だらけ。風呂にも入っていないのか、すえた匂いがする。
「うん、なに?」私は首を傾げる。高校生の私の話を聞いてあげよう。
―――生きてほしいのよね。お母さんに。
「え……」
―――私が怒っているのは、お母さんに生きてほしいから。本当の私は、お母さんが死ぬことを恐れているのよ。
「そんな……そんなことないわ。勝手なことを言わないで」
―――本当は今すぐにでも会いに行きたいんでしょう?
「違う……。もう、あんな呪いに……かけられるのはまっぴらよ」私の息は上がっていた。過呼吸を起こしたように、息を吸いたくても上手く吸えない。
―――かわいそうな私。素直になればいいのに。
高校生の私がそう言うと姿を消した。霧が全身を覆い隠すように、静かに消えていった。憐れみにも、蔑みにもとれる表情を残して。正確には、学校を終えた次男の啓太が帰ってきたので、私はそこで我に返ったようだ。あれは私の本音が見せた幻だったのか。それを確かめるには。私は西日に照らされるスマートフォンを手に取った。
紗穂の電話があった日から二週間後、私は自分が二十六歳まで過ごした実家の前に立っていた。安普請のアパート。劣化がますます進んでいる。この部屋の中にある状態は容易に想像が付いた。母の生活は、紗穂が家を出てから急速に困窮化した。鞄に忍ばせた「物」を確認する。やや厚みがあるそれは、母の状態を見てから渡そうと決めていた。
実家の鍵を鞄の内ポケットから取り出す。古い型式のシリンダー錠。自宅のドレッサーの奥に十年以上眠ったままだった。鉄のドアノブに差し込むと、そのシリンダー錠を静かに受け入れた。カチャリ。金属音が解錠を知らせる。
扉を開けると懐かしい匂いがした。実家の匂い。私はこの匂いを知っている。
「お母さん」久しぶりにその言葉を口にする。靴を脱いで台所に足を踏み入れると、ミシッと床が音を立てた。すりガラスが嵌め込まれた引き戸を開ける。六畳の和室がある。中心に炬燵が置かれており、母はその炬燵の中で眠っていた。
「久しぶりね。覚えてる?」母の元に正座する。眠っているから返事はない。炬燵の上や周りには菓子パンの空き袋が散乱していた。インスタント食品に使う湯を沸かす気力もないのかもしれない。菓子パンの袋ばかりが目立っていた。
母の顔をじっと見る。頬は痩せこけており、髪は白髪だらけ。風呂にも入っていないのか、すえた匂いがする。