私は中学に入ったら吹奏楽部に入りたかったのだが諦めた。楽器はとにかく金が掛かる。父がフリーの写真家と言っても、ほとんど無名に近かったので、我が家の台所事情は決して潤沢ではなかった。安普請のアパートでは練習もままならない。それに、吹奏楽部は「陰の運動部」と言われる程、活動的な部なので、私が吹奏楽部に入ったら紗穂のお迎えに間に合わないと思ったのだ。だから、吹奏楽部ではなく、美術部に入部を決めた。美術部の活動は週に二回だったし、部活があっても早い時間に終わる。同級生がそれぞれ好きな部活動に精を出すのを尻目に、私は紗穂のお迎えに間に合うように、自分の行動を逆算して過ごしていた。
中学三年生になり、周りが進路の話で一喜一憂する頃、私の進学は母によって決められていた。県内にある公立の商業高校。
「卒業したら就職してくれる? うちは夕香を進学させる余裕がないの」それが母の希望だった。異論はなかった。我が家にはお金がないから仕方がないと、自分の運命を黙って受け入れた。そこに悲観的な意味はない。母に言われたからそうするべきなんだと。
そうして私は母の望む商業高校に進学した。高校生になれば紗穂の面倒から解放されると思ったが、今度は紗穂が小学生になり、宿題の面倒を見なければならなくなった。学童に預けるという選択肢もあったはずだ。
「学童って意外と高いのよね。夕香がいてくれた方が安心できるし家にいてくれる?」母はそう告げた。もういいかげん、母への反抗心も芽生えていたが、それでも母に反抗せずに静かに高校時代を過ごした。母に言われたからそうする。私はひたすら良い子であり続けた。
高校を卒業後、自宅から自転車で通える食品メーカーの子会社に就職した。給与の大半を毎月家に入れたが、それでも毎月赤字だった。母は料理が不得意で外食ばかりしていたからだ。私も紗穂も、あまり美味しくない母の料理を食べるより外食の方が嬉しかったが、それがまさか毎月赤字続きだとは思いもしなかった。
「夕香の名義でお金を借りてほしい」母は私に消費者金融で金を借りるように告げた。だって、紗穂も大きくなってきたし、お金が掛かるんだものと続けた。そう言われてしまうと仕方ない。私は駅前の消費者金融に出向き、借りては返済して。返済してはまた借りる。そんな生活を二十六歳くらいまで続けた。
中学三年生になり、周りが進路の話で一喜一憂する頃、私の進学は母によって決められていた。県内にある公立の商業高校。
「卒業したら就職してくれる? うちは夕香を進学させる余裕がないの」それが母の希望だった。異論はなかった。我が家にはお金がないから仕方がないと、自分の運命を黙って受け入れた。そこに悲観的な意味はない。母に言われたからそうするべきなんだと。
そうして私は母の望む商業高校に進学した。高校生になれば紗穂の面倒から解放されると思ったが、今度は紗穂が小学生になり、宿題の面倒を見なければならなくなった。学童に預けるという選択肢もあったはずだ。
「学童って意外と高いのよね。夕香がいてくれた方が安心できるし家にいてくれる?」母はそう告げた。もういいかげん、母への反抗心も芽生えていたが、それでも母に反抗せずに静かに高校時代を過ごした。母に言われたからそうする。私はひたすら良い子であり続けた。
高校を卒業後、自宅から自転車で通える食品メーカーの子会社に就職した。給与の大半を毎月家に入れたが、それでも毎月赤字だった。母は料理が不得意で外食ばかりしていたからだ。私も紗穂も、あまり美味しくない母の料理を食べるより外食の方が嬉しかったが、それがまさか毎月赤字続きだとは思いもしなかった。
「夕香の名義でお金を借りてほしい」母は私に消費者金融で金を借りるように告げた。だって、紗穂も大きくなってきたし、お金が掛かるんだものと続けた。そう言われてしまうと仕方ない。私は駅前の消費者金融に出向き、借りては返済して。返済してはまた借りる。そんな生活を二十六歳くらいまで続けた。