母は電話に出なかった。折り返しを待ったが掛かってくることはなかった。最早、音信不通というより、親子の縁を切られたも同然だった。

 九歳離れた妹の紗穂とは今でも時々連絡を取り合っている。紗穂は私と母の状況を当然知っていて、気を遣っているのか、私に母の状況を一切伝えることはない。仲直りしたら? と進言することもない。
「それがお姉ちゃんの決めたことでしょ?」と、あっけらかんとしているのだ。恐らく、母にも同じことを言っているのだろう。
「親子なんだから仲良くしようよ!」と、どこぞのホームドラマにあるような言葉が、私や母の心に響かないことを分かっているのだ。
 今の私は四十三歳。紗穂は三十四歳。母は六十七歳。
 紗穂が『用件だけ伝えるね』と、切羽詰まった様子で電話を掛けてきた。母か父に何かあったのだろうか。年齢も年齢だし、今度手術することになったとか、階段から落ちて入院しているとか、そんなところかなと思ったが、胸の奥底では嫌な予感が渦巻いていた。毒を孕んだ液体が胸の一帯に広がる。
『あのね』
「うん」スマートフォンを持つ手に力が籠る。
『お母さんが末期癌なの』
「え……」
『余命はあと一か月』
「……」
『色んな所に転移が見つかって、年齢を考えたら手術も難しい。大きなリスクを背負うことになるってお医者さんが』
「……それで」
『手術はしないことにした。お父さんが決めた』
「……そう」私の心は意外と冷静だった。十年以上も音信不通だったのだから、母のことというより、遠い親戚のことを聞かされているような感覚に近かった。
『お姉ちゃんには……知らせない方がいいかなって迷ったんだけど』
「うん」
『私のこともあるし』紗穂の声が震えていた。自分のせいで。紗穂はそう続けた。
「紗穂が気に病むことじゃない。あの人のことは紗穂とは関係ないよ」私は本心でそう告げた。母を「お母さん」とは呼ばず「あの人」と呼ぶ。これが私と母の距離だ。
『……うん。だから、お姉ちゃんの意思を尊重したくて。お母さんがもしも亡くなったら、お姉ちゃんに知らせた方がいい?』
 私は少し沈黙した後、紗穂に言った。
「少し、考えさせて。一週間後にまた連絡する」
『そうだよね。急すぎるもんね。……分かった。じゃあ、また連絡ちょうだい』