少し熱くなってしまいましたね。気持ちを落ち着けます。そうそう、私とあなたは専門分野が同じでしたね。ただ神経を専門にしていたものの、あなたは大人の神経科、私は子どもの神経科という違いがありました。患者の年齢は違っていましたが、同じ専門だったからこそ、分かり合えた部分も大きかったのかなと思います。神経についても、たくさんあなたとは話をしましたものね。そして、お互い同じタイミングで留学もしました。私は小児神経学を目指すために、外部留学を。あなたは東京で国内留学を。お互いに違う病院に留学したから、連絡を取り合って、直接会って話をしたこともありましたよね。それに、研修先の病院を探すために、東京女子医大病院小児科と東海大学病院神経内科を見学したのも覚えていますか? 重症心身障害児がずらっとベッドに並んでいるのを見て、私はこの障害児医療をなんとかしようと思ったのに対し、あなたはやっぱり、小児神経科医は無理だと感じ、大人の神経内科医を志すと考えました。お互いに、見る患者が違うということがはっきりした瞬間でもありましたね。同じものを見ても、意見が違うというのは面白いものだと思います。人はそれぞれ考え方が違っていて当然だと思うので、分野が同じでも進む道は違うというのが、本当に面白く感じました。
でもその後で、私は小児神経科医を目指していたのに、医局の方針で児童精神科医の方向に進むように言われてしまいました。その結果、私は研修をし直すことになり、児童精神科医として何年も下の医者に頭を下げなくてはいけない日々が始まったのです。この時はさすがに、心が折れました。どうして私が……と、何度思ったことでしょう。そんな時に、ふとあなたのことを思い出し、連絡をしました。するとあなたは、自分だって忙しいはずなのに、話を聞くから飲もうと誘ってくれましたよね。そして、久しぶりにあなたの顔を見て、私は自分の辛さを訴え、気が付くと泣いていました。そんな私に共感してくれたあなたも、一緒に泣いてくれたことは今でも覚えています。あなたのあの暖かい涙。忘れろと言われても忘れられるわけがありません。同じ苦しみを同じ時間の中で共有してきた仲間だからこそ、わかりあえるし、離れていてもいつでも心が側にあると、本気で思うことができたのです。
あの時、私はもうここから逃げ出したいとさえ思っていました。けれど、あなたの、あの涙を見たから踏ん張ることができたのですよ。それだけ、あなたの存在は私にとっては大きいんです。きっと、そこまでだとは思っていなかったでしょうね。あなたの存在が、私を生かしてくれました。人としても、医者としても。もし、あなたの存在がなかったら、今頃私は、何になっていたのかさえ分かりません。本当ですよ。
あなたに活力をもらった私は、自分の置かれた立場がどんなものであっても、頑張ろうと決めました。それからは、あなたと会う機会が本当に減っていきましたよね。ですが、学会でたまに出会うこともあります。私は、学会で堂々と発表をしているあなたの姿を見ると、私と会わなくなってからもずっと絶え間なく研修をし続け、神経科医として鍛錬してきたのだなと尊敬の意を覚えます。あなたは努力家だから、きっと私の想像もつかないような努力をし続けてきたのでしょう。本当によく頑張っているなぁと思うんです。だから、医学雑誌で、あなたの名前を見つけると、自分のことのように……いえ、自分のこと以上に嬉しくなります。むしろ私は、医学雑誌を買って、あなたの名前を探しているところもあるかもしれません。探して探して、そして見つけた時の喜びは、何にも代えられないほどです。
そんな風に立派になったあなただけど、学会ですれ違って目が合った瞬間に、研修医だったあの頃の私たちにタイムスリップしてしまいます。見た目はもう成熟した大人なのに、心が声が20代に戻る。そして気持ちも一緒に戻って、このままあなたとどこかに駆けだしてしまいたくなる私がいます。もちろん、そんなことができないのはわかっています。けれど、出会ったら、すぐに戻ってしまうのです。当時の私に。当時のあなたに。かけがえのない時間を、ともに過ごした、あの日々に。実際には、学会の会場で少し話をするぐらいしかできないのだけれど。
でもその後で、私は小児神経科医を目指していたのに、医局の方針で児童精神科医の方向に進むように言われてしまいました。その結果、私は研修をし直すことになり、児童精神科医として何年も下の医者に頭を下げなくてはいけない日々が始まったのです。この時はさすがに、心が折れました。どうして私が……と、何度思ったことでしょう。そんな時に、ふとあなたのことを思い出し、連絡をしました。するとあなたは、自分だって忙しいはずなのに、話を聞くから飲もうと誘ってくれましたよね。そして、久しぶりにあなたの顔を見て、私は自分の辛さを訴え、気が付くと泣いていました。そんな私に共感してくれたあなたも、一緒に泣いてくれたことは今でも覚えています。あなたのあの暖かい涙。忘れろと言われても忘れられるわけがありません。同じ苦しみを同じ時間の中で共有してきた仲間だからこそ、わかりあえるし、離れていてもいつでも心が側にあると、本気で思うことができたのです。
あの時、私はもうここから逃げ出したいとさえ思っていました。けれど、あなたの、あの涙を見たから踏ん張ることができたのですよ。それだけ、あなたの存在は私にとっては大きいんです。きっと、そこまでだとは思っていなかったでしょうね。あなたの存在が、私を生かしてくれました。人としても、医者としても。もし、あなたの存在がなかったら、今頃私は、何になっていたのかさえ分かりません。本当ですよ。
あなたに活力をもらった私は、自分の置かれた立場がどんなものであっても、頑張ろうと決めました。それからは、あなたと会う機会が本当に減っていきましたよね。ですが、学会でたまに出会うこともあります。私は、学会で堂々と発表をしているあなたの姿を見ると、私と会わなくなってからもずっと絶え間なく研修をし続け、神経科医として鍛錬してきたのだなと尊敬の意を覚えます。あなたは努力家だから、きっと私の想像もつかないような努力をし続けてきたのでしょう。本当によく頑張っているなぁと思うんです。だから、医学雑誌で、あなたの名前を見つけると、自分のことのように……いえ、自分のこと以上に嬉しくなります。むしろ私は、医学雑誌を買って、あなたの名前を探しているところもあるかもしれません。探して探して、そして見つけた時の喜びは、何にも代えられないほどです。
そんな風に立派になったあなただけど、学会ですれ違って目が合った瞬間に、研修医だったあの頃の私たちにタイムスリップしてしまいます。見た目はもう成熟した大人なのに、心が声が20代に戻る。そして気持ちも一緒に戻って、このままあなたとどこかに駆けだしてしまいたくなる私がいます。もちろん、そんなことができないのはわかっています。けれど、出会ったら、すぐに戻ってしまうのです。当時の私に。当時のあなたに。かけがえのない時間を、ともに過ごした、あの日々に。実際には、学会の会場で少し話をするぐらいしかできないのだけれど。