それはあまりに遠すぎるから
    せめて雨よ せめて風よ
     逢いに行くときだけは
      山の彼方に消えて
  ひとり あああ あなたを
  しのぶ炭焼きの煤煙
  「炭はいらんかエー」
  「あなたどこなよヨー」 
「わたしいらんかエー」
  「愛はいらんかエー」

  登り そして 下る
  朝な夕なの白い靄
   行きつ そして 戻りつ
    いつも素通り峠の茶屋
  あなたの心は彼方
   それはあまりにひどすぎるから
    せめて雲よ せめて霧よ
     逢いに行くときだけは
      山の彼方に消えて
  ひとり あああ あなたを
  さがす炭売りの町の辻
  「炭はいらんかエー」
  「あなたどこなよヨー」 
「わたしいらんかエー」
  「愛はいらんかエー」

 今井には十分ほどで到着した。降車するとチェーンを巻いたタクシーが、タイヤを軋ませて、小さくKターンして帰っていった。道端のほんわりとした無垢な雪の上に、チェーンを巻いたタイヤの跡が、惨たらしく刻まれた。
 彼は終始、わたしが付いて来るのを意識しながら、狭い畔のような田舎道を先に歩いて行った。彼の家の構えは大きい。十畳敷きの広さの相撲のできそうな土間があり、上がり框が敷布団の敷けるほど広い。部屋の天井は椅子に乗っても届かないほど高く、部屋の中央には二畳もありそうな掘り炬燵があった。わたしは窓に面して炬燵の中に足を忍ばせた。窓からは、寒々と白く嫋やかな裏山が見渡せた。炬燵の上に、塩漬けの魚(ひどく塩辛くて閉口した)と、子あえと煮物と蛸と鰤の刺身と酢の物が出された。祖父母の家と同じ料理だ。正月はどこも同じなのかも知れない。
 わたしはお酒をお猪口に一杯だけ飲んだ。甘口だ。彼は、もっと飲ませようとした。彼の態度には秘められた魂胆を全く感じさせないものがある。彼の笑顔からは、笑い以外の何物も見いだせない。都会的な言葉と心理のあやが微塵も窺えない。表情と行為が、行為と言葉が、全く同一平面上に共存しているのだ。帰ってほしい来客に、
「ぶぶづけでもどうどすか?」