と快活に言った。彼は駅舎の出入り口にあるタクシー乗り場に向かった。わたしの手を取るでもなく、腕をとるでもなく、肩を寄せるでもなく、タクシー乗り場の方に歩きかけて一旦止まり、わたしの付いて来るのを広い肩越しに確かめると、ドンドン先に行ってしまった。野暮で無粋な男、その鈍感さ。せめて肩を引き寄せたってよかろうに。
タクシーの運転手は、東京の運転手と寸分も変わらないような帽子を被っていた。でも、田舎の人だとすぐ分かる。着ているものがまるで違うのだ。色褪せた茶のジャンパーを着て、垢に塗れた様なマフラーを首に巻いていた。車の中で彼は、父と母のことを尋ねた。わたしは、
「両方とも健在」
と答えた。本当は母が風邪をひいて寝込んでいたのだけれど、わたしは簡単に答えて、外の白い世界を見ていたかったので、ガラスの曇りを皮手袋で拭いて、それ以上何も言わずにいた。ボリス・レオニードヴィチ・パステルナークの『ドクトル・ジバゴ』で、ユーリとラーラが氷の宮殿から眺めた雪景色もこんなだったかも。
窓外の風物は、何もかも白い。どこもかしこも分厚い雪の絨毯に覆われ、動いているものは何一つない。斜めに降下してくる微小な天使のような雪片も、広々とした嫋やかな静穏の世界に、何の衝撃も与えずに吸い込まれて行く。あの白い円やかな雪の堆積の下で、お釈迦様のような誰かが天に繋がっている白い綿糸を際限なく、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』のように引っ張っているようだ。雪原に舞う白い踊り子たちに、川端康成の『伊豆の踊子』で旧制高校生の私がそうしたように、見とれていると、いつしか主客が入れ替わって、ふと何かの拍子に限りなく白い大地と共に天に吸い上げられて行くような錯覚に陥る。その時、白い舞子たちは静止し、白い海原が天に向かって行く様に見える。
時折、離島のようなこんもりとした小さな林が窓の外をゆっくりと過ぎる。そこだけ葉影の黒い色が垣間見えて、白と黒との斑な模様になっている。
小学生のころ、山の方から、炭売りの女性が歩いて来るのを見たことがある。それ以来、見かけたことはない。来るたびに、田舎の風情が都会化してゆく。そこで、吉川静夫の『島のブルース』のような歌が生まれる。
ひとり あああ 歩きの
淡い葉陰の山道は
バスも あああ 通わぬ
丸い小石のつづら折り
麓の町まで十里
タクシーの運転手は、東京の運転手と寸分も変わらないような帽子を被っていた。でも、田舎の人だとすぐ分かる。着ているものがまるで違うのだ。色褪せた茶のジャンパーを着て、垢に塗れた様なマフラーを首に巻いていた。車の中で彼は、父と母のことを尋ねた。わたしは、
「両方とも健在」
と答えた。本当は母が風邪をひいて寝込んでいたのだけれど、わたしは簡単に答えて、外の白い世界を見ていたかったので、ガラスの曇りを皮手袋で拭いて、それ以上何も言わずにいた。ボリス・レオニードヴィチ・パステルナークの『ドクトル・ジバゴ』で、ユーリとラーラが氷の宮殿から眺めた雪景色もこんなだったかも。
窓外の風物は、何もかも白い。どこもかしこも分厚い雪の絨毯に覆われ、動いているものは何一つない。斜めに降下してくる微小な天使のような雪片も、広々とした嫋やかな静穏の世界に、何の衝撃も与えずに吸い込まれて行く。あの白い円やかな雪の堆積の下で、お釈迦様のような誰かが天に繋がっている白い綿糸を際限なく、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』のように引っ張っているようだ。雪原に舞う白い踊り子たちに、川端康成の『伊豆の踊子』で旧制高校生の私がそうしたように、見とれていると、いつしか主客が入れ替わって、ふと何かの拍子に限りなく白い大地と共に天に吸い上げられて行くような錯覚に陥る。その時、白い舞子たちは静止し、白い海原が天に向かって行く様に見える。
時折、離島のようなこんもりとした小さな林が窓の外をゆっくりと過ぎる。そこだけ葉影の黒い色が垣間見えて、白と黒との斑な模様になっている。
小学生のころ、山の方から、炭売りの女性が歩いて来るのを見たことがある。それ以来、見かけたことはない。来るたびに、田舎の風情が都会化してゆく。そこで、吉川静夫の『島のブルース』のような歌が生まれる。
ひとり あああ 歩きの
淡い葉陰の山道は
バスも あああ 通わぬ
丸い小石のつづら折り
麓の町まで十里