「なぜ、上目使いに人の顔を盗み見ようとしたのだ」
と彼の眼は言いたげだった。わたしは、
「年端のいかない子どもを相手にしたくない」
という風に微笑んで視線を逸らした。何て気まずい視線のやり取りなのだろう。他の恋人たちのように、わたしたちは他愛もないことを語り、愚にもつかないことで笑い合い、互いに舌の先で舐め合うような視線のやり取りはできないのだろうか。それが不可能なのは、彼が背伸びをしているから。彼は、そうやって、上から見下ろすような具合にわたしに対して余裕を持ちたいのだ。でも、無理。やっぱり、あなたは学部は違ってもわたしと同じ二十歳そこそこの学生にすぎないのよ。
 彼は、いつものように手すら繋ごうとしなかった。街角を幾度も折れ曲がりながら、その度に、真っ直ぐ行こうとするわたしの肩と、曲がろうとする彼の腕がぶつかった。ぶつからない時、彼は、小さな声で、
「こっちだよ」
と囁く。わたしは、それに笑って応える。
 その画廊はスキヤ通りの半ポンドバターを立てたような細長い小さなビルの二階にあった。そのビルは四階建てで、恐ろしく古色蒼然としていた。塗装の所々が剥がれ落ちた風情は、戦災を免れた戦前の建物のような印象を与えた。そのビルの壁に沿って、非常階段のような鉄の赤茶けた螺旋形の階段があった。とても狭くて、上から人が下りてきたら往生しそうな感じだった。一階は、鄙びた旧弊な時計店で窓ガラス越しに店内が俯瞰できた。
 二階まで上ると、人の疎らな画廊が窓外から見えた。室の内部は皓皓としていたけれど、それとは裏腹に何か押し退け切れない鬱陶しいアトモスフェアーが充満していた。あれはきっとベニアの壁とコンクリートの床の所為に違いない。粗末な額縁にレンブラント・ハルメンソーン・ファン・レインのように暗っぽい絵が、窮屈そうにはめ込んであった。わたしは、ざらざらした吐き気を覚えた。そこに行く前に、彼と一緒にレストラン・スイスで食べたカニグラタンの所為かも知れない。わたしは、
「彼とわたしの結末は一体どうなるのだろうか」
と考えながら、全く訳の分からない油絵を熱心そうに見ている振りをしていた。彼は、
「この画家はフランスのアヴァンギャルドの流れをくんでいるらしい」
などと呟いていたが、本当に分っていたのだろうか。