ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは『若きウェルテルの悩み』で、ウェルテルを自殺させている。婚約していたシャルロッテがウェルテルに色目を使わなかったら、ウェルテルもその気にならず、自殺することもなかったはずだ。ウェルテルはストーカーにならずに、自らを否定する方を選んだのだ。シャルロッテはお咎めなしだ。
 佐伯孝夫作詞の『無情の夢』で歌われる「命をかけた恋」の末路は、スタンダールの『赤と黒』でジュリアン・ソレルがレナール夫人を射殺しようとしたように、あるいは近松門左衛門の『曽根崎心中』で醤油屋平野屋の手代徳兵衛と堂島新地の遊女お初が梅田曾根崎天神の森で心中を遂げたように、関係者の命に係る事態が出来する。
 伊藤左千夫は『野菊の墓』で、民子を政夫の手紙と写真を抱かせたまま、産褥で死なせている。いい気なもんだ。二歳年上の民子は、政夫への恋心を自覚していた。政夫は能天気だ。民子が死んだと聞かされても平然としている。民子は望まない結婚をして、政夫への思いを胸に抱きながら、悶々として死んで逝ったのだ。民子はストーカーにならず、身を引き、不幸せな結婚をして、死んでいった。民子がストーカーになったとしたら、まだ学生の政夫は困ったはずだ。でも、困ったとしても、それは政夫が蒔いた種なのだ。伊藤左千夫は男女関係には鈍だ。『野菊の墓』を絶賛した夏目漱石も女の心がわかっていない。分かろうともしていない。所詮、男にはそれは無理なのかもしれない。有島武郎の『或る女』でも、女は描かれていない。違う性なのだから、それはそれで仕方のない事なのかも知れない。そこで、ラブ・ストーカーの歌が生まれる。

  改札口であなたを待つの
  心にナイフを熱く抱き締めて
  いつものように あなたをつけて
  夜更けの窓辺で息を潜めながら

   あ あなたはrun away
   いつでも あなたはhide away
   あ あなたはheart-killer 
   わたしを切り裂いて
   
   殺したいの好きだから
   追いかければ逃げる
   そんな嫌なわたしなら
   早く首を絞めて
   殺されても愛してる
   死んでからも追うわ
   だから愛を

  夜の新宿 あなたのデート
  心にジェラシー 熱く煮え滾る
  獣の様に臭いを追って
  お店の外から中を覗きながら