だから、「付きまとわれた人」が警察に警告を求めなければ、警察は手を出せない。でも、「付きまとわれた人」はなぜストーカーに付きまとわれるようになったのだろう。「付きまとわれる人」が存在しなければ、ストーカーも存在しないのだ。「付きまとう人間」は、その人に身も心も奪われて、已むに已まれぬ思いから、付きまとうのだ。ストーカー殺人を犯す人は、「付きまとった人」に自分を否定されたから、罪を犯すのだ。身も心も捧げているのに、否定されるから、相手を否定するために殺傷に至るのだ。そうしなければ、自分を否定するしかない。ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの『若きウェルテルの悩み』のウェルテルはシャルロッテに拒否された末に自殺した。そうやって、自分を否定して自殺する人間がなんと多いことか。ストーカー殺人はニュースになるが、相手に否定された結果、付きまとうことを選ばずに、自らの死を選んだ場合は、殆どニュースにはならない。自殺も他殺も人間が死ぬことには変わりがない。付きまとうことを選ばなかった人間を死に追いやった人間は罪を問われることはない。思わせぶりで、異性を誘惑し、相手がその気になって付きまとうようになったら、
「ストーカーにつきまとわれている」
と被害者面をする。付きまとわれることを厭うのであれば、なんで色目を使ったのか。
ピエール・アンブロワズ・フランソワ・ショデルロ・ド・ラクロは『危険な関係』でメルトイユ侯爵夫人という仕掛け人を創造した。彼女は、自分を裏切った愛人が処女セシルと婚約したことが面白くない。そこで、愛人への復讐のために、関係のあったヴァルモン子爵にセシルを誘惑させる。うぶなセシルはヴァルモン子爵の手練手管に屈し、身も心も奪われる。しかし、ヴァルモン子爵にその気は最初からない。遊びなのだ。今も、昔も、誘惑者がその気もなく誘惑し、相手の心を奪っても、罪にはならない。しかし、その結果、事件の起こることは多い。ピエール・アンブロワズ・フランソワ・ショデルロ・ド・ラクロは刑法の対象とならない誘惑者に結末で罰を与えている。
ストーカー規制法では、誘惑されて、ストーカーになると犯罪だ。誘惑したほうは、罪にはならない。そもそも、誘惑さえしなければ、相手にさえなっていなければ、犯罪は起こらなかったのだ。
「ストーカーにつきまとわれている」
と被害者面をする。付きまとわれることを厭うのであれば、なんで色目を使ったのか。
ピエール・アンブロワズ・フランソワ・ショデルロ・ド・ラクロは『危険な関係』でメルトイユ侯爵夫人という仕掛け人を創造した。彼女は、自分を裏切った愛人が処女セシルと婚約したことが面白くない。そこで、愛人への復讐のために、関係のあったヴァルモン子爵にセシルを誘惑させる。うぶなセシルはヴァルモン子爵の手練手管に屈し、身も心も奪われる。しかし、ヴァルモン子爵にその気は最初からない。遊びなのだ。今も、昔も、誘惑者がその気もなく誘惑し、相手の心を奪っても、罪にはならない。しかし、その結果、事件の起こることは多い。ピエール・アンブロワズ・フランソワ・ショデルロ・ド・ラクロは刑法の対象とならない誘惑者に結末で罰を与えている。
ストーカー規制法では、誘惑されて、ストーカーになると犯罪だ。誘惑したほうは、罪にはならない。そもそも、誘惑さえしなければ、相手にさえなっていなければ、犯罪は起こらなかったのだ。