私の思考はいつも雲がかかっているようで、簡単なことも思い出せなかったり、言葉の意味を理解できなかったりする。何か大事なことを忘れてしまっていそうで、いつも不安になる。
 海に行った日から何日たっていて、私はどうなっているのか。何もわからない。
 でも、段々とどうでもよくなる。
 「お母さん」
 そう言ったつもりだった。
 しかし、擦れた息が漏れるだけで、声にすらなっていなかった。
 母が私のほほをなでるのが分かる。
 漠然とした安心感が、脳を埋め尽くす。
 私は眠たくなった。
 「おやすみ」
 言えたかどうかは分からない。
 だけど、そんなことどうでもいいくらい私は眠たかった。
 
 
 「○○ちゃん…?」
 さっき、何と言おうとしていた?
 目も見えず、声も出せなくなった娘の顔を見つめながら考える。
 海で走り回ったあの日から、娘はいつもぼんやりとしていた。
 ときどき、自分の名前すら思い出せないこともあった。
 主治医の先生は、硝子化が神経か脳細胞をどうにかしているのだろうと言っていた。難しい言葉が多かったから、詳しくは分からない。
 海に行ってから最初の一週間は、まだしっかりしていた。
 はきはきと喋っていたし、記憶力もあった。
 学校の友達が来ると、いつも海に行った話を聞かせていた。その友達は気まずそうに引きつった笑顔をするだけだったけど、娘はずっと楽しそうだった。
 二週間がたったころから異変が見て取れた。
 よくしてくれる看護師さんのことを忘れていたり、病気のことを忘れていたり。それから、言葉遣いや振る舞いが子供っぽくなった。
 視力も悪くなっていた。
 部屋が暗いと、いつも言っていた。
 そのたびに、私は適当なことを言ってごまかした。
 彼女は記憶力も衰えていて、いつの日も海に行ったのが昨日だと思い込んでいた。
 四週間がたったころ、娘は声すら出せなくなっていた。
 もはや硝子でない部分はほとんどなく、まともに口を動かすことも出来ていなかった。
 それでも、何とか意味の取れる言葉はあった。
 「おはよう」「わたし」「うみ」そして、「おかあさん」
 擦れた息の様だが、よく聞いているとどれも少しずつ違う。母音しか声にできないようだから、初めの頃は読み解くのに時間がかかった。
 娘は誰かが部屋に入ると、何時であろうと「おはよう」と言う。