「シエルを呼べ! 」
中山史郎は課長の命令で、伝説の実業家にして、ビジネスの神と言われている、ムラマサ=シエルという人物を訪ねてやって来た。
シエルの家は、Y市の3分の1を占めると言われる、規格外の広大な土地を持つ豪邸だった。
人工衛星から撮った衛星写真にも、容易に認知できるほどの広さを持ち、幅10キロ以上に及ぶ。
中山史郎は、Amazenというネット通販会社の営業マンである。
巨大企業に膨れ上がったAmazenには、車のディーラーの部署もあって、その末端の営業マンが、シエルの家に何をしに来たのかと言えば……
「Amazenの中山史郎です。ムラマサ=シエル様に10時にお会いする約束をしています」
「中山史郎様ですね。お待ちしておりました。では談話室へご案内いたします」
守衛室の裏に、談話スペースが設けられていて、大抵そこにシエルがやって来て面会している。
豪華な応接セットには、フカフカの本革ソファが設えられている。
壁には教科書で見たような巨匠の絵画が架けられ、クラシック音楽が微かに聞こえる。
文化と教養溢れる人物像を、この部屋の有様が表わしているようだった。
「おお。史郎さん! わざわざお越しくださいまして、ありがとうございます。呼んでいただければ、ご自宅まで伺いましたのに」
シエルは気さくに握手を求めて来た。
「いやいや。今日は業務命令を受けまして、ご指導を賜りに来たという次第です」
「まあ、そう堅くならずに。史郎さんは神にも一目置かれる豪胆な傑物。そして何よりナオヤ様の実父にして、エマ様の養親であられます。何なりとお申し付けください」
シエルは、表沙汰にはならないがAmazen創業者であり、現在のビジネスモデルを考案した影の立役者だった。
だがあまり目立ちたがらない人柄から、マスメディアには一切露出せず、こうして豪邸の奥に引っ込んで影から指示することが多かった。
「ビジネスの神様」と言われ、ベストセラーのビジネス書を何冊も出版しているが、神秘のヴェールに包まれた謎の人物というイメージが浸透している。
「単刀直入に申し上げますが、最近車がさっぱり売れなくて…… 」
「ふむ。それは私にとっても由々しき問題ですな。車は単価が大きいため、新規顧客を獲得できなければ、たちまち大損害になりかねません」
シエルは唸ると、しばらく考え込んでいた。
「わかりました。まずは課長に会いましょう」
2つ返事でシエルがやってきた。
車部門の部署が入っている自社ビルにやって来ると、役員室に営業マンを全員集めた。
「ふむ。課長の浦野さんは…… 」
課長の浦野正彦は、史郎より2歳年上の48歳である。
営業の手腕を買われて、営業課長として営業マンとまとめていた。
Amazenの中でも10指に入る営業成績を挙げ、今でも1営業マンとして活躍している。
「シエル様。わざわざお越しにならなくても、こちらから伺いましたのに」
遅れて入ってきた浦野は、シエルの隣に座った。
「こうして皆さんに集まっていただいたのは、他でもありません。このAmazenの企業理念を皆さんに今一度問うためです」
シエルは目を鋭く光らせ、威圧感を込めて言った。
いつもは気さくな好好爺といった風体だが、真剣な眼差しを見せると、息を吞むほどの迫力があった。
「なぜAmazenが、現在のような巨大企業に成長したのか、理由を一つずつ仰ってください」
端から順番に答えて行くことになった。
「翌日届く通販がとても便利で、たくさんの消費者の方々に利用していただいているからです」
「インターネットが発達して、誰もがモバイル端末を持つようになったからです」
「検索して商品を簡単に探せて便利だからです」
「リアルタイムで値引きされて、いつも何らかの特典があるからです」
「レビューを見て、消費者の皆さんからの生の声を調べて購入する安心感があるからです」
「購入履歴、閲覧履歴がアーカイブされているため、同じものを注文するときに便利だからです」
「前回購入した物の類似商品をお示するなどして、興味ある商品の情報が蓄積されるので、自分に合ったお店がカスタマイズされていくからです」
このようなことを、次々に答えて行く。
最後が史郎の番だった。
「世の中で売れなくなった商品を、倉庫にストックして提供することが、ビジネスとして大きな利益を産んだために成功しました」
少しの間、シエルは考え込んだ。
そして、
「皆さんが仰ったことは、どれも正解です。ですが『Amazenが』と言ったことを思い出してください。つまり、我が社が特別な存在になった訳を、どこが特別なのかを深く掘り下げて考えていただきたかったのです」
「なるほど」
浦野が納得した、という顔で頷いた。
「すると、中山さんの答えが最も核心を突いていますね」
史郎は驚いた。
自分の営業成績は決して良くない。
課長の浦野に叱られることがしばしばである。
だから自分の答えを取り上げたことが意外だった。
「そうです」
シエルが続けた。
「考えてみてください。世の中で死に筋になった商品が、Amazenの流通革命によって蘇る様になったのです。数十年前のヒット商品が、また売れるようになり、派生するグッズも売れます。書籍や漫画では、もっと顕著に見られます」
「リバイバルされて、再出版されることが増えましたね」
「これがどういうことか、中山さん。説明してください」
「本当に価値がある商品は、売れ筋商品の中にあるとは限りません。むしろ、過去のヒット商品の中に見出すことができるのです。このことに気付かせてくれることがAmazenの魅力です。年末の大掃除をしていて、懐かしい物を見つけ出したような、新鮮な感動をいつまでも提供することこそが、消費者の皆様のニーズであり、流通の真のあり方なのです」
いつの間にか、史郎は熱っぽく語っていた。
「皆さん。短期的な売り上げを伸ばすことばかりを考えてはいけません。Amazenの企業理念は、人間の幸せに寄り添う、素晴らしいものです。このような企業で働くことに誇りを持ち、社会のためにどんなライフスタイルを提供できるかを考えるべきなのです」
パチパチパチ……
シエルが拍手をした。
皆がそれに合わせて拍手を始める。
「素晴らしい。中山さんが仰る通りです。このシエルが言おうとしていたことを、熱を込めて語ってくださいました」
その場に、爽やかな空気が流れた。
「大事なことは、世の中のためにAmazenができることを考える、ということです。私たちは、死に筋商品をコンピュータとロボットで徹底的に合理化した倉庫で管理し、年に数個しか売れない商品も決して捨てずに、保管してきたことによって成功したのです。欲しいという顧客がいる限り、その商品を捨てるべきではありません。シンプルに考えてください。私たちは、手間を惜しまず、世の中の皆さんのために働いているのです」
皆この言葉に心を打たれた。
「SDGsという言葉もありますが、世の中の利益を最優先に考えることが、企業の健全な成長に繋がることが実証されています。車部門がこれから何をすべきか、良く考えてください」
浦野が皆を見渡した。
「ふむ。せっかくの機会だ。皆の意見を聞きたい。車部門がこれから何をするべきか。いや。車に限らなくても良い。また順番に言ってもらおう」
「コンビニエンスストアで、売れ筋商品のデータをPOSシステムで管理していますが、商品棚が限られていて、通販のような品ぞろえができない以上、限界があります。我々は、広く、深く、消費者の皆様のニーズに応え、いつでもご用意できることが強みだと思います」
「日本の車業界は、どこのメーカーも横並びで似たような商品を取り揃えています。車は趣向が強く表れる商品ですから、多様な車種をご用意して、お客様の気分に合わせて提供できる態勢を作るべきです」
「カーシェアリングが普及したため、一人一台所有せずに、必要に応じて車をレンタルするシステムが一般的になりました。それに準じて、サブスクリプションによっていつでも好きな車を選べる商品を開発してはどうでしょうか」
「新車を買った場合、買い替えのためにあまり年数乗らずに売りに出すケースが多いです。それならば、始めから買い替えることを前提にした商品を考えてはどうでしょうか」
「これから自動運転車が普及してくると、車との付き合い方が変わると思います。車庫を自宅に作らなくても、タクシーのように呼ぶことができるからです。これに合わせたサービスを、どこよりも早く考えておくべきです」
「他のディーラーで、今出てきたようなサービスに近いものを提供していますが、大抵料金を上乗せして、利益を産み出すことを優先しているようです。当社の理念からすれば、新しい流通システムを世の中に浸透させることを最優先にして、利益はその後で考えれば良いと思います」
このように、シエルがやってきたことによって、皆が活発に意見を述べ、建設的な話し合いが起こったのであった。
「さすが、シエル様です。伝説的な実業家でありながら、影の立役者というお立場でアドバイスをしていただいて、そのおかげで現在の成功があることを実感いたしました」
シエルは、尚も考え込んでいた。
「では、しばらく私は車部門の営業マンと共に行動することにします。中山さん。一緒にお客様のところを回ってみましょう」
史郎は、営業畑でずっと仕事をしてきた。
営業職は歩合制で給料が変動したり、損が出たときに給料から補填したりと、シビアな仕事である。
ずっと同じ企業に努めることはなく、数年ごとに転職する営業マンも多い。
これは業界全体に言える傾向だった。
ベテランの域に入っている史郎は、Amazenの車部門の中でも最も難しい、遠方の顧客の営業を担当している。
だから成績が伸び悩むのも仕方がないところである。
この日も新幹線で2県を跨いで顧客の元に向かった。
「史郎さんは、いつも新幹線で移動するのですね」
「そうです。こうして自由席に座っていると、意外な発見が多いものですよ」
「ほほう。例えば」
「会社の重役の方が多いのです。新幹線通勤される方は、様々な事情で遠方のオフィスに通うことが多いから、そうなるのだと思います」
こうしている間に、史郎の隣に風格のある男性がやってきた。
「すみません。奥の席に座らせていただいてよろしいでしょうか」
「どうぞ」
シエルと史郎は一度席を立ち、男性を奥へ促した。
「ありがとうございます。いや。実は私は小さな会社を経営していましてね。公用車の契約をするのに良いディーラーさんがいないか探し回っているのです」
史郎はいきなり訪れたチャンスに驚いた。
だが、こういうときには欲を出してはいけないことも良く知っている。
「そうでしたか。私、実は車の営業マンなのですが、あまり向いていないようで、近頃やる気が出ないのです」
男性は、興味深げに身を乗り出した。
「ほう。いや。ついボヤいてしまいましたが、普通はビジネスチャンスと思って営業トークを始めるところだと思いますが、妙なことを仰いますね」
「実は、私は小説家になりたかったのです」
「申し遅れましたが、私は吉岡電機を経営している、吉岡末吉と申します。小説家になりたいだなんて、素敵な夢ではありませんか。執筆されるのですか」
「私はAmazenの中山史郎です」
と言って名刺を交換した。
「少しずつ書いています。でも、仕事が忙しくて。こうして遠方の顧客回りをしてますから、毎日帰りが遅く、クタクタになってしまいます」
「それは勿体ない。私は還暦になったのですが、この年になって、自分が本当にやりたいことを追及して来なかったことを後悔していますよ」
「人間、何かを始めるのに、新しい世界に飛び込むのに、遅いということは無いはずです」
「そうかも知れませんね。私はアコースティックギターをやりたかった。でしたら、今からやってみようかな」
「そうですよ。私も、今日から本腰を入れて書きますから、お互い、人生を取り戻すために頑張りましょう」
なぜかこんな話をして、話が弾んでいた。
「では。私は次の駅で降りますので。中山さんとは、深い縁になりそうです。よろしくお願いします」
という言葉を残して立ち去って行った。
翌朝、史郎は浦野課長に呼び出された。
「吉岡電機の吉岡末吉さんを知っていますか」
営業マンの中でも年齢が近いため、浦野はいつも少し遠慮がちに言う。
「はい。昨日新幹線で会いました」
「ご指名です。すぐに本社へ向かって欲しい」
「と言いますと」
「公用車の大量注文ですよ。中山さんとなら契約しても良いそうです」
「実は、私はあまり営業に向いていない気がして、辞表を出そうかと思っていたのです。この件は課長が出向いてください」
史郎は内ポケットから封筒を取り出そうとした。
それを浦野が立ち上がって制した。
「中山さんにしかできない仕事です。吉岡さんは、中山さんとなら契約すると仰ったのです。どんな魔法を使ったのか知りませんが、私では役不足です」
「しかし、私は小説家になるために。本格的に執筆すると思ったところだったのです」
「それは困ったな。この件を片付けてから考えてもらう訳にはいきませんか」
浦野が困惑した表情を見せることが、可笑しくなってきた。
「ははは。冗談ですよ。お世話になったAmazenのためです。行って来ましょう」
すぐに支度をして、吉岡電機へと向かった。
本社ビルは、10階建ての立派なものだった。
「小さな会社だなんて、仰ってたけど、とんでもないな…… 」
守衛に用件を伝えると、吉岡が直々に出迎えた。
「やあ。中山さん。小説の方はどうですか」
「あれから創作意欲が湧いて来ましてね。ここへ来る途中も書いて来ましたよ」
「それじゃあ、完成したら読ませてください」
契約を交わし、公用車数十台を使っていただくことになった。
「ギターの方も、聞かせていただくのを楽しみにしてますよ」
Amazenに戻ると、浦野に報告した。
「しかし、こんな大口契約、私でも経験がありません。どうやったらできるのか、若手社員にレクチャーしてくれませんか」
こんなことを言いだすのだった。
「もしかして、シエル様からなにかご指導があったとか」
「いいえ。特に。隣に座っていらっしゃいましたけど、一言も喋りませんでしたよ」
史郎も不思議な気分だった。
昨日のシエルの指導を聞いて、自分の心を声を聞いて行動していたような気がするが、営業という仕事に疲れて、本気で小説家になりたいと思うようになっていた。
「実は、辞表の話は本気なのです」
「いやいや。ちょっと待ってください。Amazenのためにこの仕事を続けると仰ったじゃありませんか。では、シエル様にも相談してみてください」
こう言われて、またシエルを訪ねて行った。
「史郎さん、凄い大口のお客様を見つけて、契約を取ったそうですね。おめでとうございます。そして、経営者の一人として、お礼を申し上げます」
「私は、小説家になろうと思っているのですが、辞められなくなってしまいましたよ」
苦笑いしながら言うと、
「ビジネスとは、こういうものかも知れません」
「ほう。と、言いますと」
「人生観が、ビジネスには色濃く表れるものなのです。私が社員の皆さんに申し上げたかったことは、こういうことなのです」
「なるほど。さすが、ビジネスの神が仰ることは、含蓄がありますね」
「何か、地球全体を考えることが、宇宙の真理にも通じる気がするのですよ」
「そうですね。最強の神にして、エデンの元総帥らしいお言葉です」
「あ。いえ。エマ様をよろしくお願いいたします」
シエルは、いつもの好好爺に戻っていた。
了
この物語はフィクションです
「宇宙神エマ ~UCHUJINEMA~」外伝として執筆しました
中山史郎は課長の命令で、伝説の実業家にして、ビジネスの神と言われている、ムラマサ=シエルという人物を訪ねてやって来た。
シエルの家は、Y市の3分の1を占めると言われる、規格外の広大な土地を持つ豪邸だった。
人工衛星から撮った衛星写真にも、容易に認知できるほどの広さを持ち、幅10キロ以上に及ぶ。
中山史郎は、Amazenというネット通販会社の営業マンである。
巨大企業に膨れ上がったAmazenには、車のディーラーの部署もあって、その末端の営業マンが、シエルの家に何をしに来たのかと言えば……
「Amazenの中山史郎です。ムラマサ=シエル様に10時にお会いする約束をしています」
「中山史郎様ですね。お待ちしておりました。では談話室へご案内いたします」
守衛室の裏に、談話スペースが設けられていて、大抵そこにシエルがやって来て面会している。
豪華な応接セットには、フカフカの本革ソファが設えられている。
壁には教科書で見たような巨匠の絵画が架けられ、クラシック音楽が微かに聞こえる。
文化と教養溢れる人物像を、この部屋の有様が表わしているようだった。
「おお。史郎さん! わざわざお越しくださいまして、ありがとうございます。呼んでいただければ、ご自宅まで伺いましたのに」
シエルは気さくに握手を求めて来た。
「いやいや。今日は業務命令を受けまして、ご指導を賜りに来たという次第です」
「まあ、そう堅くならずに。史郎さんは神にも一目置かれる豪胆な傑物。そして何よりナオヤ様の実父にして、エマ様の養親であられます。何なりとお申し付けください」
シエルは、表沙汰にはならないがAmazen創業者であり、現在のビジネスモデルを考案した影の立役者だった。
だがあまり目立ちたがらない人柄から、マスメディアには一切露出せず、こうして豪邸の奥に引っ込んで影から指示することが多かった。
「ビジネスの神様」と言われ、ベストセラーのビジネス書を何冊も出版しているが、神秘のヴェールに包まれた謎の人物というイメージが浸透している。
「単刀直入に申し上げますが、最近車がさっぱり売れなくて…… 」
「ふむ。それは私にとっても由々しき問題ですな。車は単価が大きいため、新規顧客を獲得できなければ、たちまち大損害になりかねません」
シエルは唸ると、しばらく考え込んでいた。
「わかりました。まずは課長に会いましょう」
2つ返事でシエルがやってきた。
車部門の部署が入っている自社ビルにやって来ると、役員室に営業マンを全員集めた。
「ふむ。課長の浦野さんは…… 」
課長の浦野正彦は、史郎より2歳年上の48歳である。
営業の手腕を買われて、営業課長として営業マンとまとめていた。
Amazenの中でも10指に入る営業成績を挙げ、今でも1営業マンとして活躍している。
「シエル様。わざわざお越しにならなくても、こちらから伺いましたのに」
遅れて入ってきた浦野は、シエルの隣に座った。
「こうして皆さんに集まっていただいたのは、他でもありません。このAmazenの企業理念を皆さんに今一度問うためです」
シエルは目を鋭く光らせ、威圧感を込めて言った。
いつもは気さくな好好爺といった風体だが、真剣な眼差しを見せると、息を吞むほどの迫力があった。
「なぜAmazenが、現在のような巨大企業に成長したのか、理由を一つずつ仰ってください」
端から順番に答えて行くことになった。
「翌日届く通販がとても便利で、たくさんの消費者の方々に利用していただいているからです」
「インターネットが発達して、誰もがモバイル端末を持つようになったからです」
「検索して商品を簡単に探せて便利だからです」
「リアルタイムで値引きされて、いつも何らかの特典があるからです」
「レビューを見て、消費者の皆さんからの生の声を調べて購入する安心感があるからです」
「購入履歴、閲覧履歴がアーカイブされているため、同じものを注文するときに便利だからです」
「前回購入した物の類似商品をお示するなどして、興味ある商品の情報が蓄積されるので、自分に合ったお店がカスタマイズされていくからです」
このようなことを、次々に答えて行く。
最後が史郎の番だった。
「世の中で売れなくなった商品を、倉庫にストックして提供することが、ビジネスとして大きな利益を産んだために成功しました」
少しの間、シエルは考え込んだ。
そして、
「皆さんが仰ったことは、どれも正解です。ですが『Amazenが』と言ったことを思い出してください。つまり、我が社が特別な存在になった訳を、どこが特別なのかを深く掘り下げて考えていただきたかったのです」
「なるほど」
浦野が納得した、という顔で頷いた。
「すると、中山さんの答えが最も核心を突いていますね」
史郎は驚いた。
自分の営業成績は決して良くない。
課長の浦野に叱られることがしばしばである。
だから自分の答えを取り上げたことが意外だった。
「そうです」
シエルが続けた。
「考えてみてください。世の中で死に筋になった商品が、Amazenの流通革命によって蘇る様になったのです。数十年前のヒット商品が、また売れるようになり、派生するグッズも売れます。書籍や漫画では、もっと顕著に見られます」
「リバイバルされて、再出版されることが増えましたね」
「これがどういうことか、中山さん。説明してください」
「本当に価値がある商品は、売れ筋商品の中にあるとは限りません。むしろ、過去のヒット商品の中に見出すことができるのです。このことに気付かせてくれることがAmazenの魅力です。年末の大掃除をしていて、懐かしい物を見つけ出したような、新鮮な感動をいつまでも提供することこそが、消費者の皆様のニーズであり、流通の真のあり方なのです」
いつの間にか、史郎は熱っぽく語っていた。
「皆さん。短期的な売り上げを伸ばすことばかりを考えてはいけません。Amazenの企業理念は、人間の幸せに寄り添う、素晴らしいものです。このような企業で働くことに誇りを持ち、社会のためにどんなライフスタイルを提供できるかを考えるべきなのです」
パチパチパチ……
シエルが拍手をした。
皆がそれに合わせて拍手を始める。
「素晴らしい。中山さんが仰る通りです。このシエルが言おうとしていたことを、熱を込めて語ってくださいました」
その場に、爽やかな空気が流れた。
「大事なことは、世の中のためにAmazenができることを考える、ということです。私たちは、死に筋商品をコンピュータとロボットで徹底的に合理化した倉庫で管理し、年に数個しか売れない商品も決して捨てずに、保管してきたことによって成功したのです。欲しいという顧客がいる限り、その商品を捨てるべきではありません。シンプルに考えてください。私たちは、手間を惜しまず、世の中の皆さんのために働いているのです」
皆この言葉に心を打たれた。
「SDGsという言葉もありますが、世の中の利益を最優先に考えることが、企業の健全な成長に繋がることが実証されています。車部門がこれから何をすべきか、良く考えてください」
浦野が皆を見渡した。
「ふむ。せっかくの機会だ。皆の意見を聞きたい。車部門がこれから何をするべきか。いや。車に限らなくても良い。また順番に言ってもらおう」
「コンビニエンスストアで、売れ筋商品のデータをPOSシステムで管理していますが、商品棚が限られていて、通販のような品ぞろえができない以上、限界があります。我々は、広く、深く、消費者の皆様のニーズに応え、いつでもご用意できることが強みだと思います」
「日本の車業界は、どこのメーカーも横並びで似たような商品を取り揃えています。車は趣向が強く表れる商品ですから、多様な車種をご用意して、お客様の気分に合わせて提供できる態勢を作るべきです」
「カーシェアリングが普及したため、一人一台所有せずに、必要に応じて車をレンタルするシステムが一般的になりました。それに準じて、サブスクリプションによっていつでも好きな車を選べる商品を開発してはどうでしょうか」
「新車を買った場合、買い替えのためにあまり年数乗らずに売りに出すケースが多いです。それならば、始めから買い替えることを前提にした商品を考えてはどうでしょうか」
「これから自動運転車が普及してくると、車との付き合い方が変わると思います。車庫を自宅に作らなくても、タクシーのように呼ぶことができるからです。これに合わせたサービスを、どこよりも早く考えておくべきです」
「他のディーラーで、今出てきたようなサービスに近いものを提供していますが、大抵料金を上乗せして、利益を産み出すことを優先しているようです。当社の理念からすれば、新しい流通システムを世の中に浸透させることを最優先にして、利益はその後で考えれば良いと思います」
このように、シエルがやってきたことによって、皆が活発に意見を述べ、建設的な話し合いが起こったのであった。
「さすが、シエル様です。伝説的な実業家でありながら、影の立役者というお立場でアドバイスをしていただいて、そのおかげで現在の成功があることを実感いたしました」
シエルは、尚も考え込んでいた。
「では、しばらく私は車部門の営業マンと共に行動することにします。中山さん。一緒にお客様のところを回ってみましょう」
史郎は、営業畑でずっと仕事をしてきた。
営業職は歩合制で給料が変動したり、損が出たときに給料から補填したりと、シビアな仕事である。
ずっと同じ企業に努めることはなく、数年ごとに転職する営業マンも多い。
これは業界全体に言える傾向だった。
ベテランの域に入っている史郎は、Amazenの車部門の中でも最も難しい、遠方の顧客の営業を担当している。
だから成績が伸び悩むのも仕方がないところである。
この日も新幹線で2県を跨いで顧客の元に向かった。
「史郎さんは、いつも新幹線で移動するのですね」
「そうです。こうして自由席に座っていると、意外な発見が多いものですよ」
「ほほう。例えば」
「会社の重役の方が多いのです。新幹線通勤される方は、様々な事情で遠方のオフィスに通うことが多いから、そうなるのだと思います」
こうしている間に、史郎の隣に風格のある男性がやってきた。
「すみません。奥の席に座らせていただいてよろしいでしょうか」
「どうぞ」
シエルと史郎は一度席を立ち、男性を奥へ促した。
「ありがとうございます。いや。実は私は小さな会社を経営していましてね。公用車の契約をするのに良いディーラーさんがいないか探し回っているのです」
史郎はいきなり訪れたチャンスに驚いた。
だが、こういうときには欲を出してはいけないことも良く知っている。
「そうでしたか。私、実は車の営業マンなのですが、あまり向いていないようで、近頃やる気が出ないのです」
男性は、興味深げに身を乗り出した。
「ほう。いや。ついボヤいてしまいましたが、普通はビジネスチャンスと思って営業トークを始めるところだと思いますが、妙なことを仰いますね」
「実は、私は小説家になりたかったのです」
「申し遅れましたが、私は吉岡電機を経営している、吉岡末吉と申します。小説家になりたいだなんて、素敵な夢ではありませんか。執筆されるのですか」
「私はAmazenの中山史郎です」
と言って名刺を交換した。
「少しずつ書いています。でも、仕事が忙しくて。こうして遠方の顧客回りをしてますから、毎日帰りが遅く、クタクタになってしまいます」
「それは勿体ない。私は還暦になったのですが、この年になって、自分が本当にやりたいことを追及して来なかったことを後悔していますよ」
「人間、何かを始めるのに、新しい世界に飛び込むのに、遅いということは無いはずです」
「そうかも知れませんね。私はアコースティックギターをやりたかった。でしたら、今からやってみようかな」
「そうですよ。私も、今日から本腰を入れて書きますから、お互い、人生を取り戻すために頑張りましょう」
なぜかこんな話をして、話が弾んでいた。
「では。私は次の駅で降りますので。中山さんとは、深い縁になりそうです。よろしくお願いします」
という言葉を残して立ち去って行った。
翌朝、史郎は浦野課長に呼び出された。
「吉岡電機の吉岡末吉さんを知っていますか」
営業マンの中でも年齢が近いため、浦野はいつも少し遠慮がちに言う。
「はい。昨日新幹線で会いました」
「ご指名です。すぐに本社へ向かって欲しい」
「と言いますと」
「公用車の大量注文ですよ。中山さんとなら契約しても良いそうです」
「実は、私はあまり営業に向いていない気がして、辞表を出そうかと思っていたのです。この件は課長が出向いてください」
史郎は内ポケットから封筒を取り出そうとした。
それを浦野が立ち上がって制した。
「中山さんにしかできない仕事です。吉岡さんは、中山さんとなら契約すると仰ったのです。どんな魔法を使ったのか知りませんが、私では役不足です」
「しかし、私は小説家になるために。本格的に執筆すると思ったところだったのです」
「それは困ったな。この件を片付けてから考えてもらう訳にはいきませんか」
浦野が困惑した表情を見せることが、可笑しくなってきた。
「ははは。冗談ですよ。お世話になったAmazenのためです。行って来ましょう」
すぐに支度をして、吉岡電機へと向かった。
本社ビルは、10階建ての立派なものだった。
「小さな会社だなんて、仰ってたけど、とんでもないな…… 」
守衛に用件を伝えると、吉岡が直々に出迎えた。
「やあ。中山さん。小説の方はどうですか」
「あれから創作意欲が湧いて来ましてね。ここへ来る途中も書いて来ましたよ」
「それじゃあ、完成したら読ませてください」
契約を交わし、公用車数十台を使っていただくことになった。
「ギターの方も、聞かせていただくのを楽しみにしてますよ」
Amazenに戻ると、浦野に報告した。
「しかし、こんな大口契約、私でも経験がありません。どうやったらできるのか、若手社員にレクチャーしてくれませんか」
こんなことを言いだすのだった。
「もしかして、シエル様からなにかご指導があったとか」
「いいえ。特に。隣に座っていらっしゃいましたけど、一言も喋りませんでしたよ」
史郎も不思議な気分だった。
昨日のシエルの指導を聞いて、自分の心を声を聞いて行動していたような気がするが、営業という仕事に疲れて、本気で小説家になりたいと思うようになっていた。
「実は、辞表の話は本気なのです」
「いやいや。ちょっと待ってください。Amazenのためにこの仕事を続けると仰ったじゃありませんか。では、シエル様にも相談してみてください」
こう言われて、またシエルを訪ねて行った。
「史郎さん、凄い大口のお客様を見つけて、契約を取ったそうですね。おめでとうございます。そして、経営者の一人として、お礼を申し上げます」
「私は、小説家になろうと思っているのですが、辞められなくなってしまいましたよ」
苦笑いしながら言うと、
「ビジネスとは、こういうものかも知れません」
「ほう。と、言いますと」
「人生観が、ビジネスには色濃く表れるものなのです。私が社員の皆さんに申し上げたかったことは、こういうことなのです」
「なるほど。さすが、ビジネスの神が仰ることは、含蓄がありますね」
「何か、地球全体を考えることが、宇宙の真理にも通じる気がするのですよ」
「そうですね。最強の神にして、エデンの元総帥らしいお言葉です」
「あ。いえ。エマ様をよろしくお願いいたします」
シエルは、いつもの好好爺に戻っていた。
了
この物語はフィクションです
「宇宙神エマ ~UCHUJINEMA~」外伝として執筆しました