「め、迷惑って、日和くんは私のために……」
「うん。でも僕から言い出したことだから、水戸さんは関係ないよ」
それに絶対に病気のことは知られるわけにはいかないし。
「水戸さん、早く教室戻らなきゃみんなまた探しに来ちゃうよ」
「え? …あ、でも……」
「それに僕と一緒にいたらまた何を言われるか分からないから」
僕は、迷惑をかけたいわけじゃない。
きみのために力になりたいんだ。
背を向けて歩き出そうと思った矢先、
「なんで、そんなこと言うの……っ」
後ろの方で少しくぐもった声が漏れる。
「どうして日和くんと一緒にいちゃダメなの」
「だ、だからそれは、僕が暗くて目立たないから、僕と一緒にいたら何を言われるか分からないし……」
僕と水戸さんの住む世界は、違う。
だから、一緒にいると迷惑をかけてしまう。
「……なにそれ」
少し感情的になる水戸さんは、顔を俯かせて肩を震わせていた。
泣かせてしまったのかなと心配になり、手を差し伸べようと思ったら、
「私が誰といようが誰としゃべろうが……そんなのっ、私の勝手だもん……!」
顔をあげた水戸さんの表情は、今にも泣きそうな顔をしていた。
「水戸さん……」
僕は、伸ばしかけていた手を下げる。
「私はみんなのことが大好きだけど、日和くんだってクラスメイトだし、仲良くなりたいって思ってる。それのどこがいけないの?」
──僕を必要としてくれる、水戸さん。
「私が誰としゃべろうとみんなの許可なんて必要ないし、日和くんと一緒にいることだっておかしなことじゃない」
──感情をあらわにする水戸さん。
「日和くんは全然暗くないし、むしろその逆で……すごく、すごく優しいもん」
──僕の心を満たしてゆく。
「……私がどう生きようと、どう過ごそうと、私が決めるの。自分が犠牲になればいいなんて思わないで!」
どうして水戸さんに、僕の意図が読めてしまうのだろうか。
これじゃあ支えるより、僕が支えられているじゃないか。
「僕、かっこ悪……」
べつにかっこつけたかったわけじゃないけれど、まさか水戸さんにここまで言われるとは思っていなくて、予想外の展開に思わず鼓動が鳴る。
「……うっ……」
突然、胸に手を当てて苦しそうに顔を歪める。
「み、水戸さん?!」
僕は、慌ててそばに駆け寄る。
「どこか痛むの?! どこが……」
「日和、くん……」
この苦しみ方は尋常じゃない。
「もしかして今、いきなり大きな声出したから……」
だとすれば、間違いなく僕が原因だ。
「ごめん、嫌かもしれないけど少しだけ我慢しててほしい……!」
ここで座り込んでいたら水戸さんの病気がバレてしまうかもしれない。だから僕がとった行動はひとつ。
彼女を背中に乗せて、保健室へ向かうことだった。
「少し貧血が出たのね。でも少し休めば大丈夫よ」
保健の先生が水戸さんを見てそう言った。
「貧血ですか……」
あんなに苦しんでたのに貧血なわけがない。
もしかして先生も嘘をついているのかな。
「少し熱があるわね。もしかして昨日、雨に濡れたかしら?」
「あ、昨日の放課後に少し……」
「そう。あまり無理は禁物よ」
先生たちでさえも病気を隠すということは、おそらくこれは水戸さんの意思を汲んでのことだろう。
「水戸さんは、今日は念のため早退させるから教室からかばんを持って来てもらってもいい? 担任の先生には私から話しておくから」
僕は、何もしてあげられない。
苦しむ水戸さんを、見守ることしかできない。
「あ、はい……分かりました」
何にもできない無力な人間だ。
「日和くん、ごめんね」
なんで水戸さんが謝るの。
謝るのは、僕の方だ。
「……ううん、僕の方こそ」
──ごめん、と言えなかった。
水戸さんの表情を見ていたら、言葉が出てこなかった。
それから僕は、保健室のドアを静かに閉めた。けれど、水戸さんのことが心配で動けずにいると。
「水戸さん、あなたまた無理をしたのね。身体が普通じゃないってこともう知ってるでしょ」
「それは……」
「あなたの身体には限界が近づいているのよ」
先生と水戸さんの会話が聞こえてくる。
「今も貧血って答えたけど、そろそろ隠し通すのにも無理があるわ」
……やっぱり先生は、ほんとのことを知ってるんだ。
「あなたは普通の生活ができなくなってきてるの。今のままの生活を続けたら余命はもっと短くなってしまうのよ」
……余命よりも、短く?
それってつまり──…
「病院ならちゃんとした治療もできるし、今よりも痛みだって少なくなる。そうしたらもっともっと長く過ごすことだってできるのよ。どちらがいいかなんて聞かなくても分かるでしょ」
病院で治療をしてもらえば、水戸さんの症状も軽くなるだろうし、こんなに苦しむことはないはずだ。
「それは……理解してるつもりです」
それなのにどうして水戸さんは、無理をしてまで学校に通い続けるのだろう。
「それなら……」
「でも私、今を生きたいんです」
ドア一枚隔てた向こう側で、水戸さんの小さくて、けれど力強い声が聞こえる。
「死ぬのは、すごく怖いです。怖くて、夜も眠れない。朝になっても目覚めなかったらどうしようとか、眠ったらこのままなのかなとか。今日は一日過ごせるかな、明日も過ごせるかな。いつもそんな不安と闘ってます」
ぽつりぽつり紡がれる言葉を聞いて、ぎゅっと手のひらに力が入る。
「だけど……目が覚めたとき、学校でみんなに会えたとき、今日も過ごすことができたとき。〝ああよかった。みんなに会えて幸せだなぁ〟って、心の底から思うんです」
水戸さんはどんな表情で、言ってるのかな。
「そうしたらまた明日も会いたいって思って、明日も生きたいって願うんです」
すごく、すごく気になって。
「病院に入院して病室の中で過ごしたら私……楽しいなんて思えない。幸せなんて思えない。生きてるのに、心は死んでるみたいになる…と思うんです」
けれど、このドアの向こうに僕は行けない。
「だから私は、ここにいたい。許される間だけでも、可能な限りここに……だって私にとっての幸せは、みんなと過ごすことだから……」
──水戸さんの幸せ。
それが、〝今〟ここにある。
「先生、どうかお願いします。どうか……もう少しだけ私に、時間をください」
ああ僕は、なにをやっているんだ。
彼女の決意を、勇気を、希望を、全部無駄にするな。
奥歯を噛み締めて、拳を握りしめると、その場を走った。
走って走って、たどり着いたのは教室。
「おー、牧野。水戸さん知らねー?」
釘崎くんが僕に駆け寄った。
今、彼と話している時間なんてない。僕には一刻の猶予も残されてはいない。
「釘崎くん、水戸さんのかばんを保健室に届けてもらえるかな」
「は? かばん? ……なんで」
理由なんか説明してる暇はない。
「とにかくお願い。今すぐに」
それだけを言うと、僕は自分のかばんを掴んで教室を飛び出した。後ろで僕を呼ぶ声が聞こえたけれど、その声に止まることはなかった。
***
水戸さんと行った河川敷を探した。四つ葉のクローバーを見つけるために。けれど、全然見当たらない。
「ない、ない……なんでない……んだよっ!」
芝生の上に拳を叩きつける。
──ポツッ
そんな僕にとどめを刺すように、空からは雨が降ってきた。
それは次第に強まって、雨粒も段々と大きくなる。
「……こんなときに……」
神様は、不公平だ。
どうしてこんなに平等じゃないんだ。
生きたいと願う人間が生きられなくて、そうじゃない人間が長生きをして。
なぜだ。なぜだ。
「──どうして、なんだよ……!」
どんなに嘆いても、空は晴れない。
どんなに嘆いても、世界は変わらない。
時間は、止まらない。
ただ、一秒ずつ時間を刻む。
水戸さんの時間は、一秒ずつ縮んでしまう。
「うわーー……!!」
雨に打ちひしがれながら、泣き叫んだ。
僕の涙は、やむことはなかったんだ──。
◇
それから水戸さんは、しばらく学校に来なかった。担任の先生が言うには、熱が出たため休むと連絡があったらしい。この前、放課後雨に濡れたからだろうかと僕は、心配した。
「水戸さん大丈夫かなぁ」
「小春ちゃんが熱で三日も休むなんて、すごく心配」
「早く小春ちゃんに会いたいなぁ」
いつも水戸さんと一緒にいる友達からは、そんな言葉が繰り返し紡がれる。
水戸さんが学校に来ない間、僕は毎日放課後、河川敷や公園を探して回った。四つ葉のクローバーを見つけるために。
毎日、帰りが遅くなる僕に両親は何も言わない。無関心だ。けれど、べつにそれでもよかった。
そして今日もまた、放課後、いつものように河川敷へ向かった。あの日と同じく天気が悪い。今にも雨が降り出しそうな予感だ。
「頼む、あってくれ……」
願いながら、芝生の上を探して回った。
河川敷の上をランナーや自転車に乗る人たちが通り過ぎる。僕を見ているようだったが、そんなのおかまいなしに探した。
──ぽつり、ぽつり。
分厚い灰色の雲から、雨粒が落ちる。
けれど、僕はその場から動かない。逃げない。
僕にとって、一分も、一秒でさえも惜しい。
それに僕は。
「どうしても見つけなきゃいけないんだ……」
彼女のために、必ず。
──水戸さんのことを思うと、胸が苦しくなる。
あの言葉を思い出すと、胸がえぐられそうだ。
誰にも内緒にしていた胸の内を、僕は勝手に盗み聞きしてしまった。
情けなくて、申し訳なくて。
それと同時に彼女の心を救ってあげたくて。
──この世界は、残酷だ。
それでもたった一度、奇跡が起こると信じて。
一生懸命生きる彼女に、僕は胸打たれた。
だから、どうか。
見つかってくれ──…
「──…これって……」
真っ黒になった指先に触れた、四つの葉がついたそれは、間違いなく。
「……あった……見つけた!」
四つ葉のクローバーだった。
とてもとても、小さかった。
けれど、一生懸命地面から顔を出して生きる姿はまさしく彼女そのもので。
「水戸さん、見つけたよ」
僕は、安堵した。
僕は嬉しくなった。
***
翌日、少しだるさがあったが、見つけたクローバーを大切にハンカチに挟んで学校へ向かった。
教室は、賑やかでもしかしたら……そんな期待をしてドアを抜けると、そこにはしばらく顔を見なかった水戸さんが、みんなに囲まれていた。
そこにはいつもの景色が広がっていて、僕はホッと安堵した。
ポケットの中にあるハンカチを思い出す。そこにはクローバーが挟んである。
いつ渡そう。今は絶対に無理そうだし……休み時間? いやでも声をかけるタイミングなさそうだし。だったら昼休み? いやいやそれこそ声かけられないし……あー、ダメだ。頭がぼーっとして何も考えられない。
雨に濡れたせいだろうか。身体がすごくだるい。
「日和くん、おはよ」
自分の席に座るや否や、弾けたような明るい声が聞こえて。まさか、と僕は顔をあげる。
そこにいたのは、水戸さんだった。
「お、おはよう……」
ぎょっとして、声がうわずってしまう。
そんな僕のことなどつゆ知らず、水戸さんは僕に笑いかける。
だから、当然周りは困惑して、ざわつきだす。
「日和くんにちょっとお話があるんだけど」
「え、僕に……」
話がある、のはおそらくこの前体調を崩したときのことかもしれない。が、この状況はさすがにまずい。
「えーっと、あの……」
僕が悩んでいる間にもクラスメイトは、遠くから僕たちを眺めるように視線を向けられる。
頭は、ぐるぐると回っていて。
心なしか目の前もぼーっとしてきた。
「日和くん?」
水戸さんの声が、二つ聞こえるようで。
──ああこれは、やばい。
そう思ったときには、僕は目の前が真っ黒になったんだ。
最後に聞こえた声は、聞き覚えのある声だった。
***
──日和くん。
どこかで僕を呼ぶ声がする。
真っ白な空間の中にたった一人、自分がいて。その向こうには、水戸さんが見えた。
待って。
手を伸ばしても、届かない。触れられない。
水戸さんが、振り向いた。
けれど、彼女の表情はあまりよく見えなかった。
「……あれ、ここ……」
重たいまぶたを押し上げると、天井が見えた。
「よかった。日和くん、気がついたんだ」
おもむろに声が聞こえて、顔を動かせば、水戸さんが僕を見つめていた。
「ど、して僕は……」
「日和くん、学校に来てすぐ倒れちゃったの」
「え、倒れ……」
僕が、倒れたのか?
「うん。話しかけたときに、具合が悪そうで……て覚えてない?」
話しかけたときに……あっ、あのときか。そういえば僕、ここ最近調子が悪かったっけ。それで今朝も頭がぼーっとしてたし。
「あ、うん、なんとなく断片的に」
雨に濡れたせいかな。それとも、焦ってたからかな。
「でも、日和くんが目を覚ましてほんとに……よかった」
口元に両手を合わせて、はあ、と安堵の息を吐く水戸さん。
「日和くんが倒れたとき、私、すごく怖かった……このまま目が覚めないんじゃないかって思ったの」
心なしか彼女の顔色は少し青ざめているようで、
「心配かけて、ごめん」
支えるつもりが、また負担をかけてしまったなんて。
「でも僕は、大丈夫だから」
「分からないよ……だって人間、いつどうなるかなんて分からないから……」
ぎゅっとスカートを握りしめて、唇を結ぶ水戸さんは、まるで怯えている子どものようで。
「私、ほんとに……怖くて……」
──水戸さんが、こんなに怯える理由はたったひとつ。
命の尊さを、期限ある命を、嫌というほど理解しているから。
いつどうなるかなんて、誰にも分からない。
だから僕だって、当てはまるわけで。
「日和くんの目が覚めなかったら私──…」
けれど、そんな苦しい思いはしてほしくなかった。
「僕は、生きてる!」
彼女の手のひらに自分の手を添えた。
「ちゃんと生きてるから!」
小さくて、冷たい、手のひらを安心させるように包み込む。
「だから……そんなに怯えないで」
水戸さんに、悲しい顔は似合わない。
「日和、くん……」
水戸さんには、笑顔が似合うから。
「心配かけて、ごめん。でも僕は、勝手にいなくなったりしないから」
僕の手の上に、さらに手を重ねた水戸さん。
「……うん…うん……」
泣きそうになりながら、頷いた。
人前で泣くことを躊躇わなくなった。
「…そうだ。水戸さんに渡したいものがあるんだった」
思い出したようにパッと手を退けると、鼻をすんっとさせながら涙を拭う水戸さん。
僕は、ポケットからハンカチを取り出した。
「これ、水戸さんにあげる」
そこからあるものを摘んで、水戸さんに手渡した。
「え、これ……」
「うん。見つけたんだクローバー」
それは、やっとの思いで探しだすことができた四つ葉のクローバー。
「なかなか見つからなくて、焦ったんだけど……なんとか見つけることができてよかった」
ようやく渡すことができた。
「もしかしてずっとこれを……だから倒れ……」
クローバーを見つめたあと、僕を見据えた。
「あー……いや、べつに、そのせいじゃないから水戸さんが気にする必要ないから」
これは、僕が好きでやったことだ。
「次はなんだったっけ? あの紙、今持ってたりする?」
四つ葉のクローバーに願いたい。
水戸さんの病気が治りますように、と。
「──どうして」
突然、僕の言葉を遮った水戸さん。
「どうして日和くんはそこまで……」
──どうして、か。
少し前までは、ただのクラスメイトで話すこともなければ、僕たちは住む世界が違うのに。
普段は、明るくて陽だまりのような水戸さん。
そんな人が放課後、公園で一人泣く姿を見てしまったら、声をかけずにはいられなかった。
他人ではいられなくなった。
心に触れて、知らなかった事実を知って、僕はきみのことを。
「水戸さんのことを友達として支えたいと思ったから、誰よりも」
水戸さんの一番になれなくても、友人として支えることができたなら、それだけで僕は満足だった。
「でも、ほんとは友達だけじゃなくて……」
けれど、自分の気持ちに気づいてしまったら見て見ぬフリはできなくて、気づかないフリはできなくて。
「好きになったから、水戸さんのこと」
──これは、間違いなく僕の初恋で。
「……へ」
僕の言葉に分かりやすく動揺して、固まる水戸さん。
それでも僕の口は止まらない。
「好きな人のことを支えてあげたいって思うのは、当たり前なことだから」
ただのクラスメイトだった僕たち。
いつのまにか僕の中で、彼女の存在が大きくなっていた。
「好きな人のために、僕ができるのは……これくらいしかないから……」
恥ずかしいとか、そんなのどうでもよくて。
今、目の前にいる水戸さんにちゃんと伝えたい。
──後悔してからじゃ遅いから。
「……日和くん……」
もちろんこれは僕の一方的な感情で、それが交わることは、この先きっとない。
「ご、ごめん、こんなときに……でも、べつに返事がほしいとかじゃなくて……迷惑なのは分かってるんだけど、聞いてほしかったというか」
我に返ると、少し照れくさくて目を下げる。
「ううん、迷惑なんかじゃない……迷惑って思うはずがない」
水戸さんの震える声が聞こえて、恐る恐る顔をあげると、
「日和くんの気持ちすごく……嬉しい……」
涙を流す水戸さんが視界に移り込んだ。
「嬉しいけど、その気持ちに応える資格が私にはない……」
「資格?」
「だって私、半年しか生きられないから、今それに応えちゃったら日和くんを傷つけることになっちゃう……」
──もしかして、自分がいなくなったあとのことを言っているのかな。
もちろん僕も、未来のことを考えるとすごくつらい。
水戸さんがいない人生なんて考えたくない。
これからも水戸さんといろんなことをして過ごして、思い出を作りたい。
「それって……僕と両想いって、こと?」
聞かずにはいられなかった。
そうしたらきみは、泣き顔を堪えるように顔を上げた。
何も言わない。
けれど、それが肯定しているようで。
「……僕、水戸さんを失いたくない」
彼女の小さな手のひらを、きゅっと大切に包み込む。
「ずっと水戸さんと一緒にいたい。これからもずっとずっと」
そばにいたい。
それがたとえ、叶わないことだとしても。
どうしても口にしてしまうのは、願ってしまうんだ。
──彼女がいる、未来を。
「日和くんに思ってもらえたら、きっと未来は幸せだろうなぁ」
おもむろに言葉を紡いだ彼女の瞳の奥には、遠い遠い未来が描かれている。
「うん、絶対……幸せにする」
「絶対?」
「うん」
「じゃあ約束だね」
雨上がりに晴れて虹が現れたような、そんな表情を浮かべる彼女。
「うん、約束」
薬指を絡めて、未来を願った。
僕も、水戸さんも、心は繋がっているんだと信じた。
◇
昨日、〝一緒に登校したい〟という水戸さんのお願いを断ることができなかった僕は、翌朝、水戸さんと公園て待ち合わせをしてから学校へ向かった。
「ねえ、やっぱり別々に登校した方がいいんじゃないのかな」
「日和くん。ここまで来てまたそんなこと言ってるの? もういい加減、腹括らなきゃ」
「いや……逆になんでそんなに水戸さんは男前なの」
「夢だったの。好きな人と一緒に登校することが!」
〝好きな人〟という言葉に反応した僕は、
「……え、あっ……そう……」
思い切りにやけそうになる表情を隠すように、口元を手で覆った。
もちろん緊張して、今にも心臓が口から飛び出しそうなほどだ。けれど、それでもここから逃げ出したいと思わないのは、彼女が。水戸さんのそばにいたいからだ。
「みんな、おはよう」
教室に着くなり水戸さんが真っ先に口を開いた。
「おはよ……て、え?」
けれど、クラスメイトの視線は水戸さんではなく僕へ向けられた。みんな固まって、ぽかんとしている。
「な、なんで、牧野と一緒に……いや、一緒なわけないよな。途中どこかで会ったんだよな!」
予想できない現実に直視できなくなったのか、ただの偶然だと決めつけようとする釘崎くん。
「そそそ、そうだよな、牧野!」
僕に問いかける。
けれど、僕はそれを肯定はしない。
「えっと、実は……」
頑張れ僕。勇気を出せ。
ぐっと拳を握りしめて、言葉を紡ごうと思ったら、
「みんなに言いたいことがあるの」
突然、僕の左手を掴んだ水戸さん。
「えっ、ちょ……あの?」
僕も動揺するが、それ以上に動揺したのはクラスメイトだった。
「私、みんなのこと大好き!」
水戸さんの口から現れたのは、そんな言葉で。
クラスメイトは、突然どうしたんだろうとぽかんと固まる。
「このクラスになれてよかった。みんなに会えてよかった。みんなと過ごす時間が幸せだった」
公園で待ち合わせしたとき、水戸さんが言った。
〝病気のことはまだ言わない。でも、その時がきたらちゃんと言うから。〟
その時は、今じゃないけれど。
どうしても水戸さん自身のみんなに対する思いを言いたかったんだと思う。
「みんなとの思い出がたくさんできて、ほんとによかった。すっごく嬉しかった」
水戸さんの病気のことを知っているのは、僕だけだ。だから、途端に胸が苦しくなって泣きたくなった。
「小春ちゃん、どこかに行っちゃうの?」
誰かがぽつりと呟いた。
「そうじゃないよ! 私、どこにも行かない……!」
慌てたように返事をする水戸さん。
「どこにも……っ」
そのあとに一度言葉に詰まらせる。
水戸さんの余命は、あと半年。
それをまだみんなは知らない。
水戸さんは、泣かない。
ぐっと涙を堪える。
「だからね、これからも……私と、仲良くしてくれると嬉しい……です」
水戸さんは、泣きそうな顔をして笑った。
陽だまりのような明るさで。
「そんなの、当たり前じゃん……! みんな小春ちゃんのこと大好きだから」
水戸さんの元へ駆け寄ると、彼女へ抱きついた。
その反動で、僕と繋がれていた手は解けた。
「おいっ、牧野、どーいうことだよ!」
代わりに僕には、釘崎くんを含め男子が集まってくる。
高校生になって初めて僕が中心にいた。
水戸さんも、僕も、みんな笑顔で。
──たとえこれが限られた命の、一瞬の恋になったとしても、僕は絶対に後悔はしない。
これは、僕と、きみの期限付きの儚い恋。
- Fin ー