朝日が眩しくて、思わず眉間に皺を寄せる。前髪のない目には、鮮やかに照らされた街の何もかもが刺激的過ぎて、痛い。当たり前だけど、みんなの顔がはっきりと見える……うっ、胃が……。私は腹を擦ると、俯いて目を瞑りながら電車に乗った。
通学路を亀のペースで歩き、でも、段々と顔を上げながら、何とか学校に辿り着く。変な目で見られていないだろうか、と周りにいる生徒の顔を窺いつつ、階段を上り、教室の扉の前まで行った。……約一ヶ月ぶりの登校だけれど、誰も私のことを指差したりとかはしていなかった。まぁ、そんなもん、なのかな。
私は、三回もたっぷりと深呼吸をし、なかに入る。
敢えて、教室は見渡さないことにした。そこに桃弥がいてもいなくても、私は華井さんに話しかけるという行動を、変えるべきではないから。
授業開始数分前に来たので、大体みんな来ていた。華井さんも席に着いている。
私は、迷わず華井さんに向かって歩いていく。
ちらほらと、視線を感じた。
けど、何も怖くなかった。
「あの……華井、さん」
私は、心臓をバクバクと鳴らしながらも、席に座ってスマホを触る華井さんに、真正面から話しかける。
えっ? と、華井さんは、ぱっと顔を上げた。
それから、大きな目をパチクリとさせ、こちらをまじまじと見つめていた。……あぁ、前髪なしで見る華井さんはこんなにも可愛いのか。別の意味で目を逸らしたくなる。けど、私は真っすぐに目を見て、言う。
「お久しぶり、です。燦美野です」
瞬間、教室中がザワッとした。
一気に視線が集まってきて、あちこちから声がする。「え? 貞子?」「マジ? イメチェン?」など、騒然としていた。私の目が露わになっただけで、こんなことになるのか……と冷や汗が背中を伝っていく。
ごくり、と唾を飲み込んだ。
そして、目の前の華井さんに、意識を集中させる。
「私、華井さんと、もう一度友達になりたいです!」
よく通る声で言った。
教室は、一瞬で静かになる。みんな、こちらに注目しているようだった。
華井さんは、何も言わない。
どうしてか、潤んだ瞳で、私のことを見ていた。
「狩南さんが……華井さんに、何を言ったのかは分からないですけど……私のことを、信じて欲しいです」
面と向かって言うだけなのに、息が上がっていく。
「今までは、ちゃんと、目を見て話せなかったから……今日は、これだけを伝えに来ました」
華井さんは、すぐに俯いてしまう。
ひそひそと、「狩南って言った?」「あいつ何したの?」とみんなの声がする。今、向けられている視線のなかに、狩南さんのがあるのかは分からない。私はどうでも良い。けど、華井さんは、ずっと何かを言いたくて我慢しているように感じた。
「あの、華井さん……私は、今度こそ、華井さんに相応しい友達になれるように頑張りたいです。だから、」
――ガタッ! と、華井さんは勢いよく立ち上がった。
あぁ。また、どこかに行ってしまうのかな。
そう思った時。
力強く、抱き締められた。
ふんわりと、フローラルな香りが鼻をかすめる。
「違う、の……っ、くるみんは、何も悪くないのぉ……」
華井さんは、私の耳元で、鼻を勢いよく啜る。
それから、上ずった声で言う。
「あのね……っ、私、狩南に問い詰めたの……くるみんのこと、苛めてるでしょ? ……って。そしたら、あっさり認めたから……やめてよぉ、って、言ったの。言ったら、狩南が……あんたが燦美野のこと無視したら、やめてあげる……って、言われて……」
華井さんは、声を上げて泣き始めた。
私は、華井さんの背中に手を回す。
「わ、私達ってぇ~……元々、ひとりだったでしょ……? だから……っ、くるみんが、苦しむなら、今まで通りでいっかぁ~、って……」
しゃくり上げ、私を抱きしめる腕に力を込めて言う。
「でも、やっぱり、私くるみんのこと好きだぁ」
私の目からも、涙がぽろぽろと零れ落ちていった。
「華井さん……嬉しい、です」
「ごめんねぇ、これからは~、私も一緒に苛められるからぁ」
「いや、それは……」
どんどん、私の背中が仰け反っていく。華井さんは、ずっと泣きながら、くるみん~好きだよぉ~、と連呼していた。
ふふ、と、思わず吹き出してしまった。
華井さんも、笑ってくれた。

全身の、力が抜けていく。
良かった。本当に、一歩踏み出して、良かった。
私の世界は、ちゃんと、正しくなった。
正しくなる世界は、存在していたんだ。

お互いの顔を見て、また笑い合う。教室のどこからか、小さく拍手する音が聞こえてきた。段々、視線が剥がれていく。それから、「狩南……苛めとかしてたの?」と引き気味の声がして、誰かが勢いよく教室の扉を開けて出て行く音がした。

私は、ほっと胸を撫で下ろす。
その瞬間――。

「胡桃。本当に、良かったね」

目の前に、桃弥が現れた。
左半分、消えかかっていた。
光の粒が、桃弥の身体から宙に舞い、ゆっくりと天に昇っていっていた。

「俺の未練も、解消してくれてありがとう」

桃弥は、くりっとした目を優しく細める。

「この世界のどこに行っても、俺を信じてくれる人なんかいない。端から端まで、最低最悪な世界。……そう、絶望したままじゃ嫌だったんだ。
本当は、もしかしたら……あのまま偶然事故に遭って死ななかったら、俺にとって良い世界もあったんじゃないかって……希望を捨て切れずにいた。
そんな世界で、あって欲しかった」
桃弥は酷く顔を歪める。
「それが、俺の未練だった」
周りの何の音も聞こえなかった。
ただただ、桃弥の声だけが胸のなかに入っていっていた。
「俺が絶望した教室で、俺とどこか似ている胡桃が、俺と似たような状況で、俺が出来なかった、したかったことを実現してくれたから……確信出来た。俺も、諦めないで生きられていたら、この教室で――……いや、ここじゃなくても」
桃弥は、目を伏せて微笑む。
「自分の理想とする世界は築けたんだ、って」
「桃弥……っ」
「ありがとう、胡桃。俺は、胡桃のことを諦めたのに……っ。胡桃は、自分のことも、俺のことも、ずっと信じて頑張ってくれたんだね。本当に、ありがとう」
光の粒が、ゆっくりと、けれど確実に、桃弥の身体を侵食していく。
あぁ、消えちゃう。
いなくなっちゃう。
でも、これで良いんだ。私は、喜ばなくちゃ。
そう思うのに。涙が、止まってくれなかった。

「消える前に、少し二人で話したいな」