「死んだら誰でも幽霊になるものなの?」

 生前、幽霊なんてものを見たことはなかったし、あまり信じてもいなかった。もし存在するとしても、何かに強い未練や恨みを持っている人だけがなるものだと思っていた。

 僕にも、そんなものがあるのだろうか。

 若くして死んだことは無念だが、良くも悪くも感情の起伏は人より少ないほうだった。平常心というよりは、諦めることに慣れていたのだ。

「そうなんじゃない? あたしもよく知らないけど」

「幽霊でいられる時間は人によって違うって言ったよね。それは何によって決まるの? 未練の強さ? それとも、死神とか閻魔大王が決めるのか?」

「死神も閻魔大王もいないよ。少なくとも、この世界にはいない」

「じゃあ、たとえば幽霊が成仏してこの世界から消えたとすると、その後の世界にいるってこと?」

「さあ、いるかもしれないし、いないかもしれない。消えてから戻って来た人いないから、知らない」

「消えるって、具体的にどんな感じなんだ? 自分でも知らないうちに消えたりするものなのか?」

「だから知らないってば! 生きてる人だって、自分がいつ死ぬか、死んだらどうなるかなんて誰もわからないじゃない」

 僕が質問攻めにしたせいか、アンジェはややキレ気味に答えた。

 つまり、死んだらどうなるのかという、人類にとっての究極の疑問が、死んだ今もまだ続いているということか。

 僕にとっては、かなりガッカリする事実だった。

 死というのは人間にとって、いや、すべての生物にとって、誕生の次に重要な出来事だ。

 そんな経験をしたなら、この世界の仕組みや秘密のようなものが、あるいは人生の意味みたいなものが、理解できるのではないかと思っていたのに。

 それなのに、幽霊になった僕は未だに、なにひとつわかっていない。

 僕はいつまで幽霊としてこの世を彷徨うのか?

 消えた後は成仏できるのか?

 行き先は天国なのか、それとも地獄なのか……。地獄は嫌だな。生前、それほどの悪事を働いた覚えはないけど、かといって善行を積んだわけでもないので自信はない。

「それじゃあ、幽霊になった僕は、これからなにをすればいいの?」

「なにもしなくていいんだよ。学校も仕事もないんだから。なんか、そういう歌がなかった? オバケには学校も試験もないっていう。あれって真実だよね」

 あっけらかんと言って、アンジェは調子外れな歌を歌い始めた。はっきり言ってあまり上手くはない。

 幽霊はなにもしなくていい。というより、なにもできないといったほうが正しい。

 この世界の何物にも干渉できず、生者はこちらを認識すらしていない。

 ただ、空気のようにふわふわと街を漂うだけ。

 それなら、どうして幽霊なんてものが存在するんだろう。死んですぐに天国でも地獄でも行けばいいじゃないか。

 今のこの状態は、神様の恩恵なのか、あるいは悪戯か。

 なにもできずに、自分たちがいなくなった世界をただ見ているだけなんて。

 仕事や学校の義務から自由になったとしても、決して楽しいものではないだろう。

「どの幽霊も、みんなそんな無意味な時間を過ごしているのか」

「無意味? 意味があるとかないとか、そんなのどうでも良くない? タローくんて、すごく面倒くさい人生だったんだろうね」

 辟易したようにアンジェが顔を歪める。

 どうかな。確かに、僕は理屈っぽくて頭でっかちだったかもしれない。そういう自分に、自分でも嫌気がさしていたところはあった。

「タローくん、モテなかったでしょう」

「しみじみと言うな。それ今は関係ないだろ」

 否定はしない。僕は生まれてから一度もモテたことはない。

 バレンタインデーなんてこの世から消滅すればいいのにと思う以前に、別世界の話だったので意識したこともなかった。

 だけど、こんな僕にも彼女はいたのだ。

 なんて言っても信じてもらえなさそうだから黙っておこう。今となっては、あまり思い出したくないことでもあるからな。

「そんなにいろいろ知りたいなら、他の幽霊紹介してあげるよ。タローくんの話聞くの、いいかげんうんざりしてきたから」

「うんざりって、はっきり言うなよ。それと、『ヤマダタロー(仮)』はもう僕の名前として定着したのか?」

 アンジェにずっとそう呼ばれていたせいで、僕の名前はもともと『ヤマダタロー(仮)』だったような気さえしてきた。

 それすら、もうどうでもよく感じる。アンジェが言うように、幽霊に名前など必要ないのだから。

 でも、他の幽霊というのは興味深い。

 生者と同じように、死者にも社会があるのだろうか。僕はあまり人と馴れ合いたい性格ではないけど、同類がいるほうがなにかと心強い。

「じゃあ、行くよ。タローくん」

 アンジェが僕を振り返る。

 瞬間移動するからついて来て、ということらしい。

 アンジェに教えてもらい何度か繰り返すうちに、彼女の気配みたいなものがなんとなくわかってきた。

 幽霊同士の魂の同調。

 生きていたときにはなかった感覚だから説明しにくいが、たとえるなら、ラジオの周波数を合わせるようなものだ。混ざり合ったたくさんの雑音の中からアンジェの音を探すというか……なにを言っているのか自分でもわからなくなってきた。

 魂だけの幽霊にとって、物理的な距離は関係ない。でも、どこへ行くかくらいは教えてもらいたかった。

「行くってどこへ?」

「あたしのとっておきの場所」

 アンジェの黒い唇がニッと笑う。

「霊界の偉大な路上アーティストに会わせてあげる」

「路上アーティスト? 大道芸人とか?」

「いいから、ついて来て」

 アンジェが僕の背中を強く推す。服を通して小さな手の感触が伝わってきた。

 母親の手はすり抜けたのに、幽霊同士は触れられるのか。実体を持たない者同士でも、同じ次元に存在しているからだろうか。

 そんなことを考えているうちに、僕はまた別の場所に立っていた。