「アンジェ、君を先輩と見込んで質問があるんだけど」
「改まってなに? あたしのスリーサイズでも知りたいの?」
「頼むから、真面目に聞いてくれ。大事な話なんだ」
僕が深刻そうな顔をしていたのか、アンジェが瞬きして押し黙る。
「君のその派手な服装は、亡くなったときに着ていた服なのか? それとも、棺桶に入ったときに着てた服?」
「どっちも違うよ。これはあたしの人生で一番のお気に入り。気合いを入れるための勝負服なの」
アンジェは視線を落として、スカートの裾をそっとつまんだ。
今度はまじめに答えてくれたらしいけど、勝負服とは? 死んでからいったい何を勝負するつもりなんだ。
「とにかく、知りたいのは服のことなんだ。君のその服が亡くなったときのものでないなら、死後にどうやって着替えたんだ? 着替える方法があるなら教えてくれ。僕のこの格好をどうにかしたい」
両手を広げてパジャマを見せつける。
幽霊とはいえ、いや、幽霊だからこそ、こんな服装では格好がつかない。
女性の幽霊ならネグリジェや浴衣なんてのもアリだろうけど、パジャマ姿の男の幽霊なんて聞いたことがない。
そもそも、こっちの姿は生者に見えないわけだから、パジャマだろうが、いっそ全裸だろうが問題はなく、公然猥褻罪にもあたらないが。……いや、ひょっとすると、霊感がある人間には見えるのか? それは怖いな。
ともかく、これは僕の良識の問題だ。たとえ幽霊になっていても、パジャマで外を出歩きたくない。
「べつにいいんじゃない? パジャマでも」
「僕が嫌なんだよ。この通りだ、教えてくれ!」
アンジェに向かって手を合わせる。必死さが伝わったのか、「新入りだから、しょうがないね」とアンジェは腕を組んだ。
「タローくんはもっと頭をやわらかくしなきゃ。幽霊なんだから、服なんていくらでも変えられるよ」
「だからどうやって?」
「他の服を着ている自分をイメージすればいいの。さっき簡単に移動したのと同じことだよ。あたしたちにはもう肉体はないんだから。言ってみれば、この体だってイメージみたいなものでしょ?」
「なるほど」
言われてみれば、その通りだ。
僕は目を閉じて、別の服を着ている自分を想像する。とりあえず、パジャマ以外の、公道を歩いても不自然ではない服装を。
着替えた感覚はまったくなかったのに、僕の格好は一瞬で変化した。
ありふれたシャツにパーカー、デニムパンツ。町を歩けば、一日で軽く百人は同じような格好の男子とすれ違いそうな、没個性の見本みたいな服装だ。
アンジェがじっとりと目を細めて僕を見ていた。
「ダサッ」
「悪かったな。たぶん、君に言わせれば世の中のたいていの服装はダサいんじゃないか?」
「その眼鏡いるの?」
「ないと見えないんだよ。僕の視力、両方とも0,1ないんだ」
「タローくん、眼鏡キャラなのに実はバカなの? 幽霊に視力なんか関係ないよ」
「え?」
「さっきまで眼鏡なかったのに、普通に見えてたでしょ?」
そうだった。試しに眼鏡を外しても、まったく支障がない。
裸眼で視界が良好って、なんて快適なんだ。中学生時代からかなり近視が進んでたから、こんなにストレスなく物が見られるなんて久しぶりだ。
アンジェが言うには、生まれつき見えない人は別として、生きているうちに失った肉体の機能は死んだら元に戻るのだそうだ。
視力や聴力だけでなく、事故で体の一部を失ったりした人も、死後に再生されるという。
「でも、生きてたときにできなかったことができるわけじゃないし、着たことない服はイメージできないから着られない。タローくんの場合はスポーツができるわけじゃないし、ブランド物のスーツとかも着られないね」
「スポーツとブランド物のスーツが僕には無理って、なんで決めつけた?」
「間違ってた?」
「悔しいことにまったく間違っていない」
僕にはこの平凡な格好が分相応ということか。
生前の僕は、服装というものにほとんどこだわりがなかった。イメージできる服といえば、こんな普段着とパジャマ、あとは中学高校の学生服くらいのものだ。
ついでに言うと、スポーツもからきしダメ。生まれてからずっと病弱だったんだから、これは僕の落ち度ではない。
「そうか。これはもう必要ないのか」
そう思ったら、手の上で眼鏡がすうっと消えた。
長年世話になってきた眼鏡に別れを告げたようで、なんとなく寂しい。
「眼鏡キャラ卒業だね」
「キャラとか言うな。眼鏡なら誰でも頭がいいわけじゃないからな。僕はいいけど」
「プライド高い男子って嫌ーい」
君に好かれなくてもなんの支障もない。
そう言おうとして、つい眼鏡があった場所に手を当てる。長年の癖が抜けていない。
「ここ数年ずっと掛けてたから、眼鏡がないと落ち着かないな」
「あはは……眼鏡はもう体の一部だったんだ」
アンジェが笑いながら言った。
「でも、タローくんの言うことも、わからないこともないかな。結局、幽霊って、生きてたときのこと全部引きずったままなんだよね。……当然か。あたしたちの時間は、死んだときに止まってるんだもんね」
その声にはわずかな悲哀が感じられて、彼女の別の一面を見た気がした。
派手な外見も、ふざけた会話も僕とは合わない。
正直、アンジェと話していると疲れるが、彼女は不思議と憎みきれない、無邪気な子供のような空気もまとっている。
最初に出会った幽霊がアンジェというのも特殊だな。
もしも他にも幽霊が存在するのなら、会ってみたい。
「改まってなに? あたしのスリーサイズでも知りたいの?」
「頼むから、真面目に聞いてくれ。大事な話なんだ」
僕が深刻そうな顔をしていたのか、アンジェが瞬きして押し黙る。
「君のその派手な服装は、亡くなったときに着ていた服なのか? それとも、棺桶に入ったときに着てた服?」
「どっちも違うよ。これはあたしの人生で一番のお気に入り。気合いを入れるための勝負服なの」
アンジェは視線を落として、スカートの裾をそっとつまんだ。
今度はまじめに答えてくれたらしいけど、勝負服とは? 死んでからいったい何を勝負するつもりなんだ。
「とにかく、知りたいのは服のことなんだ。君のその服が亡くなったときのものでないなら、死後にどうやって着替えたんだ? 着替える方法があるなら教えてくれ。僕のこの格好をどうにかしたい」
両手を広げてパジャマを見せつける。
幽霊とはいえ、いや、幽霊だからこそ、こんな服装では格好がつかない。
女性の幽霊ならネグリジェや浴衣なんてのもアリだろうけど、パジャマ姿の男の幽霊なんて聞いたことがない。
そもそも、こっちの姿は生者に見えないわけだから、パジャマだろうが、いっそ全裸だろうが問題はなく、公然猥褻罪にもあたらないが。……いや、ひょっとすると、霊感がある人間には見えるのか? それは怖いな。
ともかく、これは僕の良識の問題だ。たとえ幽霊になっていても、パジャマで外を出歩きたくない。
「べつにいいんじゃない? パジャマでも」
「僕が嫌なんだよ。この通りだ、教えてくれ!」
アンジェに向かって手を合わせる。必死さが伝わったのか、「新入りだから、しょうがないね」とアンジェは腕を組んだ。
「タローくんはもっと頭をやわらかくしなきゃ。幽霊なんだから、服なんていくらでも変えられるよ」
「だからどうやって?」
「他の服を着ている自分をイメージすればいいの。さっき簡単に移動したのと同じことだよ。あたしたちにはもう肉体はないんだから。言ってみれば、この体だってイメージみたいなものでしょ?」
「なるほど」
言われてみれば、その通りだ。
僕は目を閉じて、別の服を着ている自分を想像する。とりあえず、パジャマ以外の、公道を歩いても不自然ではない服装を。
着替えた感覚はまったくなかったのに、僕の格好は一瞬で変化した。
ありふれたシャツにパーカー、デニムパンツ。町を歩けば、一日で軽く百人は同じような格好の男子とすれ違いそうな、没個性の見本みたいな服装だ。
アンジェがじっとりと目を細めて僕を見ていた。
「ダサッ」
「悪かったな。たぶん、君に言わせれば世の中のたいていの服装はダサいんじゃないか?」
「その眼鏡いるの?」
「ないと見えないんだよ。僕の視力、両方とも0,1ないんだ」
「タローくん、眼鏡キャラなのに実はバカなの? 幽霊に視力なんか関係ないよ」
「え?」
「さっきまで眼鏡なかったのに、普通に見えてたでしょ?」
そうだった。試しに眼鏡を外しても、まったく支障がない。
裸眼で視界が良好って、なんて快適なんだ。中学生時代からかなり近視が進んでたから、こんなにストレスなく物が見られるなんて久しぶりだ。
アンジェが言うには、生まれつき見えない人は別として、生きているうちに失った肉体の機能は死んだら元に戻るのだそうだ。
視力や聴力だけでなく、事故で体の一部を失ったりした人も、死後に再生されるという。
「でも、生きてたときにできなかったことができるわけじゃないし、着たことない服はイメージできないから着られない。タローくんの場合はスポーツができるわけじゃないし、ブランド物のスーツとかも着られないね」
「スポーツとブランド物のスーツが僕には無理って、なんで決めつけた?」
「間違ってた?」
「悔しいことにまったく間違っていない」
僕にはこの平凡な格好が分相応ということか。
生前の僕は、服装というものにほとんどこだわりがなかった。イメージできる服といえば、こんな普段着とパジャマ、あとは中学高校の学生服くらいのものだ。
ついでに言うと、スポーツもからきしダメ。生まれてからずっと病弱だったんだから、これは僕の落ち度ではない。
「そうか。これはもう必要ないのか」
そう思ったら、手の上で眼鏡がすうっと消えた。
長年世話になってきた眼鏡に別れを告げたようで、なんとなく寂しい。
「眼鏡キャラ卒業だね」
「キャラとか言うな。眼鏡なら誰でも頭がいいわけじゃないからな。僕はいいけど」
「プライド高い男子って嫌ーい」
君に好かれなくてもなんの支障もない。
そう言おうとして、つい眼鏡があった場所に手を当てる。長年の癖が抜けていない。
「ここ数年ずっと掛けてたから、眼鏡がないと落ち着かないな」
「あはは……眼鏡はもう体の一部だったんだ」
アンジェが笑いながら言った。
「でも、タローくんの言うことも、わからないこともないかな。結局、幽霊って、生きてたときのこと全部引きずったままなんだよね。……当然か。あたしたちの時間は、死んだときに止まってるんだもんね」
その声にはわずかな悲哀が感じられて、彼女の別の一面を見た気がした。
派手な外見も、ふざけた会話も僕とは合わない。
正直、アンジェと話していると疲れるが、彼女は不思議と憎みきれない、無邪気な子供のような空気もまとっている。
最初に出会った幽霊がアンジェというのも特殊だな。
もしも他にも幽霊が存在するのなら、会ってみたい。