「ヒロくん?」

 誰かに名前を呼ばれて、目を開ける。

 加奈が心配そうに、正面から僕の顔を覗き込んでいた。

「居眠りしてたよ。大丈夫? 疲れてるんじゃない?」

「ああ、ごめん。昨日ちょっと夜更かしして課題やってたから、そのせいかも」

「忙しいなら言ってくれればいいのに。無理に今日来なくても良かったんだよ」

 加奈が顔を曇らせる。心配させてしまったことが僕は申し訳なくて、だけど少し嬉しい。

「無理なんてしてないよ。この前のリベンジなんだから、今日は目いっぱい遊ぼう」

 僕たちは少し遠出して、郊外の遊園地にデートに来ていた。このあいだ来たときは雨だったから、晴れた日にまた来ようと加奈と約束したのだ。

 この前とは打って変わって、快晴の日曜日だった。

 そのせいか、僕も加奈もめずらしくはしゃいで、いくつかのアトラクションを楽しんだ後で、今は観覧車に乗っている。

 さすがに少し疲れたのかな。暖かい日差しと心地良い乗り心地に、僕はいつのまにかうとうとしていたらしい。

 穏やかで平和な時間。ありふれた日常。

 ああ、幸せだな。

 どうしてなのか、いつにも増してそのありがたみを僕は感じている。

「ヒロくん、今日は眼鏡ないんだね。コンタクトにしたの?」

「え?」

 そう聞かれて顔に手をやると、そこにいつもの眼鏡はない。

 変だな。近視が酷かったはずなのに、眼鏡がなくても不自由がない。コンタクトにした覚えもないけれど。

「眼鏡も好きだけど、ないのも悪くないよ」

「そうかな」

 加奈がそんなふうに言うから、どうでもよくなった。

 良好な視界には、カラフルな遊園地の景色が広がっている。

 複雑な曲線を描くジェットコースター、明るい音楽とともに回るメリーゴーラウンド。風船の束を持って歩いているマスコットキャラの着ぐるみ。

 たくさんの家族やカップルで賑わって、みんな楽しそうに笑っている。

 まるで絵本か、おとぎ話の世界のように。

 あまりに綺麗で、幸せすぎて、ふと怖くなる。

「今、変な夢を見ていた気がする。まだ頭がぼうっとしてる」

「寝てたの一瞬だったのに、夢まで見てたの?」

 すごい早送りだねと、加奈が笑う。

 僕の彼女は今日も可愛い。いつも思っていることだけど、今日はいつも以上にそう見える。

 こんなふうに思うのは、今見た夢のせいだろうか。

「変な夢って、どんな夢?」

「僕が死ぬ夢」

 さらりと告げると、加奈は顔をしかめた。

「縁起でもない」

「ただの夢だよ」

 占いの類は信じていないくせに、意外と迷信深いところがあるのは、加奈がお祖母ちゃん子なせいか。

「僕は病気で死んで、幽霊になってこの世を彷徨ってた。でも、夢の中の幽霊は、笑えるくらいなにもできないんだ。生きている人間には見えないし、声も聞こえない。この世の物はいっさい動かせない。僕は加奈に会いたいのにその勇気がなくて、夜な夜な君のアパートの前に立って、ただ君の部屋を見守っていた」

「なにそれ、キモい」

 加奈が眉間にしわを寄せた。

「キモい言うな。愛だろ」

「愛が重い。幽霊でストーカーって、二重の意味でホラーだよ」

 加奈の指摘は厳しくも正しい。夢の中で、僕自身そう思っていたのだから。

 それでも、幽霊の僕は彼女を思い続け、この世に居座り続けた。

「ともかく、ある夜、君がバイトからの帰り道で男に刺される」

「刺される? いくら夢でも酷くない?」

「でも、瀕死の君を助けるために、僕はいきなり覚醒して、ラップ音を鳴らしたり、ポルターガイスト現象を起こしたりするんだ。男は君にとどめを刺さずに逃げていき、近所の人たちが君の危機に気づいて駆けつけてくれた。めでたしめでたし」

「ご都合主義な展開だなぁ」

 自分で書く小説の主人公を甘やかさない主義の加奈から、ダメ出しを食らった。物語なんて、ご都合主義なくらいでちょうどいいと思うが。

 幽霊の僕には、世界を救うほどの力はなかった。

 だけど、加奈を助けることができた。

 それだけで、物語はハッピーエンドなんだ。