ふたりのあいだに沈黙が落ちる。由美ちやんは何度か瞳を瞬かせてから、おもむろに口を開いた。

「死んでた? 冗談でしょ?」

「冗談じゃないよ。手紙の返事をくれたのは彼のお母さんだったから。ずっと病気だったみたい」

 気怠げな声で言って、加奈は自分のカップを見つめた。紅茶はもうすっかり冷めてしまっているようだった。

 加奈はそこまで知っていたのだ。

 僕が一方的に断ち切ったと思っていた絆。彼女はそのままにせず、僕の知らないところでつなぎ合わせていた。顔に似合わず行動力と決断力がある彼女らしい。

 ずっと隠してきた秘密を知られたことに、僕は安堵してもいた。嫌いになったわけではないと、加奈に伝わったことに。

 けれどそれは僕の勝手な気持ちで、加奈がその事実をどう受け止めたのかはわからない。

 彼女は僕の死をどう思ったのか。聞くのが怖かった。

「子供の頃から難しい病気を抱えてたって、お母さんの手紙に書いてあった。私と別れたのも、それが原因なんだと思う。たぶん、もう長く生きられないって、自分でわかってたんだよ。他に好きな人が出来たって聞いたとき、あの人らしくないなって、なんか嘘っぽいなって思ったんだけど。でも、聞けなかった。あのとき、『本当の理由はなんなの?』って、もっと問い詰めればよかった」

 加奈が泣きそうな笑みを浮かべた。

 あの日ここで、彼女から追求されていたら、僕はきっと素直に白状してしまっていた。僕の覚悟なんてその程度なんだ。

 僕はもうすぐ死ぬのだと、君の重荷になりたくないから別れたいと正直に言ったなら。加奈は、なんと答えたのだろう。

「私と付き合っているあいだも、ずっとその不安を抱えていたんだよね。だからなのかな。一緒にいても、なんだか遠くに感じるときがあったの。私たち、性格は全然違うのに、なんだか気が合って、一緒にいると楽しくて、いろんなこと話せたんだ。でも、一番大事なことは話してくれなかった」

「加奈……っ、その人、いい彼氏だったんだね。加奈のこと思って、嘘ついて、自分から身を引くなんてさ……地獄に堕ちろとか言ってごめんねぇ」

 由美ちゃんが号泣していた。ボロボロと涙をこぼす彼女に、加奈は鞄から出したポケットティッシュを渡す。

「いい彼氏? どこが?」

 加奈の冷ややかな声で、鼻をかんでいた由美ちゃんが途中で止めた。

「私、それを知ってますます腹が立ったよ」

 加奈の語気が強くなる。彼女は顔を歪ませて、テーブルの上で拳を握りしめた。

「どうして本当のこと言ってくれなかったんだろう。私、そんなに信用されてなかったのかな。病気のことを知ったら、私が離れていくと思った? そんな女だと思われていたのかと思うと、超ムカつくんだけど!」

 いつになく感情的で口が悪い。由美ちゃんもそう感じたのか、急変した加奈を前にしてオロオロしている。

「加奈、それは違うと思うよ。純粋に彼氏の気遣いでしょ? 加奈に重荷を背負わせたり、縛り付けたりしたくなかったんだよ」

「それが余計なお世話なんだよ! 私はちゃんと本当のこと言ってほしかった。だいたい、あんな嘘ついて私が傷つかないとでも思った? 私のことなんだと思ってたわけ?」

 加奈の大声で、まばらに座っていた客の何人かがちらちらとこちらを見ている。そんなことにはお構いなく、加奈はまくしたてる。

「本当のことを知っても、私にはなにもできなかったかもしれない。だけど、重荷でもなんでも背負いたかった。もしもあの人が弱音を吐いたら、精一杯励まして、一緒に泣きたかった。自分のほうが辛くて大変だったくせに、なんで最後までそんな気を回すの? バカじゃないの?」

 振り絞るような声で言って、加奈は深く俯いた。

 項垂れた加奈の瞳から涙が落ちて、テーブルの上に小さな水たまりをいくつもつくる。

 由美ちゃんは加奈の隣に移動すると、無言でその肩を抱いた。

 加奈と知り合ってからこれまで、僕は彼女の泣き顔を見たことはなかった。

 気丈な彼女は簡単に弱音を吐かなかったし、人に泣いている姿を見せたくないタイプの人間だったと思う。そういうところは僕と似ていた。

 その加奈が泣いている。

 僕のせいで。僕のついた嘘のせいで。

 加奈の言うとおり、僕はバカだ。大バカだ。

 彼女のために隠していたつもりが、逆に彼女を苦しめているなんて。

 僕へ向けられるはずだった怒りも悲しみも、加奈の中で行き場を失ってしまった。

 ごめん、加奈。

 僕はどうしたら君に償うことができるだろう。

 もう生きて傍にいられないことが、悔しかった。

 加奈を抱きしめる腕を、僕はもう持っていないんだ。