「死んでる?」

 頭の中が真っ白になるというのは、こんな感覚を言うんだろうか。

 言葉はわかるのに、意味が頭に入ってこない。そうすることを意識が拒否しているかのように。

「なんの冗談だよ」

 笑い飛ばしながら、僕の声は震えていた。

 僕が死んだ? ばかばかしい。なんてくだらない冗談だ。

 冗談……だよな?

 だって、僕が死んでいるなら、ここにいる僕はなんなんだ?

「いろいろと変だなって、本当は自分でも気づいてるんでしょ? ここにいるタローくんにはもう肉体はなくて、魂だけの存在なの。いわゆる『幽霊』ってやつ」

 幽霊? 魂だけの存在?

 肉体がないと言われても、足も腕も実感としてここにあるのに。

 けれど、今がおかしな状態であることは間違いない。アンジェの話を信じてしまえば、すべてに納得がいくのだ。

 まさか、そんな……。でも……。

 疑問も不安も振り切るように、僕は駆け出していた。

 家に帰りたい。強く思ったのはそのことだ。

 パジャマ姿でも、徒歩でもいい。とにかく、家に帰りたい。そうすればきっと、この悪い夢から醒めるのだ。

「ちょっと! どこ行くの?」

 後ろでアンジェが僕に呼びかける。

 それを無視して、我が家へと向かう。と思った次の瞬間に、僕は自分の家の玄関前に立っていた。

 見慣れた我が家を呆然と見上げる。

 なんだ、これ? いつの間に大学から移動したんだ?

 家と大学では優に五キロは離れているというのに。まるで瞬間移動でもしたみたいだ。

 動揺する僕の傍らに、誰かが立つ気配があった。

「タローくん、落ち着いて」

 アンジェだった。

 僕より頭ひとつ低い位置から、水色の瞳が見上げている。

「瞬間移動したんだよ。いきなりだったから、びっくりしたかもしれないけど、幽霊には普通のことだから」

「瞬間移動とか、幽霊とか、さっきから君はなにを言ってるんだ? ……やっぱり、これは夢だ。僕はまだ眠っていて、妙な夢を見てるんだろ?」

「いいかげんに認めたら? 真実を受け入れないと、だんだん辛くなるだけだから」

「……」

「ここがタローくんの家なんでしょ? 入らないの?」

 促すように、アンジェが僕の家を指さした。そしてまた、大学から家へ移動したときと同様に、目の前の光景がガラリと変わる。

 僕たちはリビングに立っていた。

 21年間慣れ親しんだ我が家の一階だ。たいして広いわけではないが、カウンターキッチンと一続きになっていて、一部が畳敷きになっている、ごく普通のLDK。

 ダイニングテーブルも、ソファもテレビも、いつもと変わらずそこにある。

 そんな部屋の中、畳敷きの和室のほうに、いつもはないものがあった。

 白い布が掛けられた台の上に、火が灯った蝋燭と煙が立ちのぼる香炉。葬儀用の祭壇だ。

 その前には、誰かの遺体が白い布団に横たわっている。

〈僕〉だった。

「これでわかった? タローくんは死んだの」

 アンジェは僕と並んで〈僕〉の遺体を見下ろした。

 これは本当に僕なのか?

 自分の顔は鏡や写真で知っているが、こうして面と向かい合ったことがないので奇妙に映る。

 そして、だんだん、ここまでの経緯を思い出してきた。

 本当に僕は死んだのだ。