「一緒に行ってほしい場所があるんだけど」
と、アンジェに連れて行かれたのは、彼女の家だった。
生前にはあまり縁がなかった高級住宅地。中でもひときわ目を引く豪華な洋風建築が彼女の生家だ。
中に入るのかと思ったら、アンジェは前と同じように、家が見える電柱の陰に隠れるようにして見ている。端から見るとかなり怪しいが、未だに加奈のアパートを見守っている僕も人のことは言えない。
「なにやってんの? 家族に会いに行くんじゃないの?」
「だって、家に入るの怖い」
そう言って、アンジェは電柱の陰で身をすくめる。
死んでからの一年間、アンジェは自分の家に一歩も足を踏み入れず、家族の顔も見ていないという。辛くてできなかったのだと。
会わない時間が長くなるほど、会うことに勇気が必要になる。加奈に会えない僕と同じだ。
「だからって、電柱に隠れることはないと思うけど」
どうせ誰にも見えないのに。こういうところ、生きていたときの感覚ってなかなか抜けないものだ。
僕は近くの塀の上に腰かけて、アンジェの気が済むまでとことんつきあうことにした。
「アンジェの家には誰がいるの?」
「この時間はママとお姉ちゃんかな。パパはまだ会社。あと、ルルがいる」
「ルル?」
「猫」
「ああ」
この前、窓から外を覗いていた猫を思い出した。あれがルルだろう。
あのとき、僕は勝手にアンジェの家に侵入したんだ。黙っていればわからないことだけど、それもまた心苦しく感じる。
「アンジェ、今のうちに謝っておくよ。実は、前にここで君を見かけたことがあって、気になったから、君の家に少しだけ入った」
アンジェが瞳を猫のように釣り上げた。
「ちょっと! いくら幽霊でも不法侵入だよ!」
「だから悪かったって! 窓から中を見てたら、猫がいたから……」
「猫好きなの?」
とたんに、アンジェがパッと笑顔に変わる。
「好き……かな」
本音を言えばそれほどでもないが、アンジェの反応から考えて、ここは否定しないほうがいい気がする。
「私も大好きなの! 猫って可愛いよね。猫はどんな猫でもみんな可愛い。タローくんも猫飼ってたの?」
「飼ってはいなかったけど、可愛いよね」
本当に適当で申し訳ない。
機嫌を良くしたアンジェに心の中で謝りながら、僕は笑顔で頷いた。
愛猫にも会いたいんだろうに。小生意気で口が達者なアンジェだけど、まだ十代半ばの少女だ。両親のことも恋しいに違いない。
「君の家に入ったとき、見たんだ。リビングのサイドボードの上に、君の写真がたくさん並べられているのを。小さな頃から、今の君の写真まで。どれも写真立てに収められて、大事にされているようだった。君の家族は、今も君を大切に思っているよ」
「……そう」
アンジェは短くそう言ったきり、俯いて黙り込む。
小さく鼻をすする音が聞こえた。
家族に会うだけで、彼女の心残りが解消される保証はない。だけど、それはアンジェにとって必要なことに思えた。
少しでも、彼女の気持ちが穏やかになればいい。自分の人生が辛いことばかりではなかったと、思い出してほしかった。
アンジェはなかなか決心がつかないらしく、結局その後何時間も、僕らはその場でただ家を見ていた。
幽霊というのは空腹も疲労もないからなのか、意外にこういうことが苦にはならない。空間だけでなく、時間の感覚も生前とは違うのだ。
アンジェの決心がつくまで、僕は一晩でも二晩でも待つつもりだった。
彼女の家が騒がしくなったのは、空が暗くなってからだ。
家の中でなにかを探し回るような話し声や物音が聞こえてきたかと思うと、高校生くらいの女の子がひとりで飛び出してきた。
「お姉ちゃん!」
アンジェが叫んだ。
と、アンジェに連れて行かれたのは、彼女の家だった。
生前にはあまり縁がなかった高級住宅地。中でもひときわ目を引く豪華な洋風建築が彼女の生家だ。
中に入るのかと思ったら、アンジェは前と同じように、家が見える電柱の陰に隠れるようにして見ている。端から見るとかなり怪しいが、未だに加奈のアパートを見守っている僕も人のことは言えない。
「なにやってんの? 家族に会いに行くんじゃないの?」
「だって、家に入るの怖い」
そう言って、アンジェは電柱の陰で身をすくめる。
死んでからの一年間、アンジェは自分の家に一歩も足を踏み入れず、家族の顔も見ていないという。辛くてできなかったのだと。
会わない時間が長くなるほど、会うことに勇気が必要になる。加奈に会えない僕と同じだ。
「だからって、電柱に隠れることはないと思うけど」
どうせ誰にも見えないのに。こういうところ、生きていたときの感覚ってなかなか抜けないものだ。
僕は近くの塀の上に腰かけて、アンジェの気が済むまでとことんつきあうことにした。
「アンジェの家には誰がいるの?」
「この時間はママとお姉ちゃんかな。パパはまだ会社。あと、ルルがいる」
「ルル?」
「猫」
「ああ」
この前、窓から外を覗いていた猫を思い出した。あれがルルだろう。
あのとき、僕は勝手にアンジェの家に侵入したんだ。黙っていればわからないことだけど、それもまた心苦しく感じる。
「アンジェ、今のうちに謝っておくよ。実は、前にここで君を見かけたことがあって、気になったから、君の家に少しだけ入った」
アンジェが瞳を猫のように釣り上げた。
「ちょっと! いくら幽霊でも不法侵入だよ!」
「だから悪かったって! 窓から中を見てたら、猫がいたから……」
「猫好きなの?」
とたんに、アンジェがパッと笑顔に変わる。
「好き……かな」
本音を言えばそれほどでもないが、アンジェの反応から考えて、ここは否定しないほうがいい気がする。
「私も大好きなの! 猫って可愛いよね。猫はどんな猫でもみんな可愛い。タローくんも猫飼ってたの?」
「飼ってはいなかったけど、可愛いよね」
本当に適当で申し訳ない。
機嫌を良くしたアンジェに心の中で謝りながら、僕は笑顔で頷いた。
愛猫にも会いたいんだろうに。小生意気で口が達者なアンジェだけど、まだ十代半ばの少女だ。両親のことも恋しいに違いない。
「君の家に入ったとき、見たんだ。リビングのサイドボードの上に、君の写真がたくさん並べられているのを。小さな頃から、今の君の写真まで。どれも写真立てに収められて、大事にされているようだった。君の家族は、今も君を大切に思っているよ」
「……そう」
アンジェは短くそう言ったきり、俯いて黙り込む。
小さく鼻をすする音が聞こえた。
家族に会うだけで、彼女の心残りが解消される保証はない。だけど、それはアンジェにとって必要なことに思えた。
少しでも、彼女の気持ちが穏やかになればいい。自分の人生が辛いことばかりではなかったと、思い出してほしかった。
アンジェはなかなか決心がつかないらしく、結局その後何時間も、僕らはその場でただ家を見ていた。
幽霊というのは空腹も疲労もないからなのか、意外にこういうことが苦にはならない。空間だけでなく、時間の感覚も生前とは違うのだ。
アンジェの決心がつくまで、僕は一晩でも二晩でも待つつもりだった。
彼女の家が騒がしくなったのは、空が暗くなってからだ。
家の中でなにかを探し回るような話し声や物音が聞こえてきたかと思うと、高校生くらいの女の子がひとりで飛び出してきた。
「お姉ちゃん!」
アンジェが叫んだ。