アンジェがなぜか泣き出しそうな顔をしていた。まさか泣くとは思わなかったので、僕はついじっと彼女を見つめる。

「泣くなよ、アンジェ」

「べつに、泣いてない」

 そう言って、アンジェはぷいっとそっぽを向く。

「メイクが崩れるよ」

「崩れないよ。幽霊だもん」

「そうだよな。本当に、そういうところだけは便利だよな」

 お道化た調子で言うと、鼻に掛かった涙声でアンジェも笑った。

 それから、アンジェがくるりとこちらを振り返る。黒いスカートの裾がふわりと揺れた。

「ねぇ、タローくん。あたしも聞いてほしい話があるんだ」

 めずらしく改まった口調に、僕は彼女がなにを話そうとしているのか察しがついた。

「いいよ、なんでも聞く。お兄さんに言ってごらん」

「タローくんみたいなお兄ちゃんは勘弁だってば」

 しっかりと辛辣な一言を放ってから、アンジェは何か決意するように大きく息を吐いた。

 それから、

「あたしね、自分で死んだんだ」

 重いセリフにはそぐわない奇妙に明るい声で、アンジェは言った。

 僕は黙って頷いた。

 知っているよ。

 デパートの屋上でアンジェの手に触れたとき、彼女の記憶が僕の意識に流れ込んできたから。

 あの瞬間、僕は彼女の苦しみを共有した。

「あたし、中学高校とエスカレーター式の学校に通っててね、中学のときから全然なじめなくて……イジメられてたんだ」

 そこまで言って少し肩の荷がおりたのか、アンジェは薄く笑った。

「仲間外れにされたり、教科書や内履きを隠されたり。聞こえるくらいの声で悪口を言われて、バカにされて、笑われて。学校にはどこにも居場所がなくて、ときどきサボって街を歩いてたら補導されて。先生には怒られるし、お母さんは心配して泣くし、もうどうしていいかわからなくなったの。あたしのなにが悪かったのかな、どうすればみんな仲良くしてくれたのかなって考えてるうちに、この世から消えたくなっちゃった」

「そうか」

 他人事のように明るく話すアンジェが痛々しかった。

『助けて』と、彼女は心の中で叫び続けていた。

 だけど、その苦しみも、寂しさも、彼女はすべて自分の心に閉じ込めて。それはやがて、彼女自身を蝕んだ。

 自分を呑み込もうとする暗闇と、たったひとりで戦って、戦って……。

 抗いきれなくなった彼女は、ある日、学校の屋上から飛び降りた。

「バカだと思うでしょ? ムカつくでしょ? タローくんもバンさんも、それ以外にも大勢の人たちが、死にたくないのに死んでいく。なのにあたしは、自分で自分の命を絶ったんだから」

「それは違うよ、アンジェ」

 自分を呪うように言葉を吐き出す小さな肩を、僕は強く抱き寄せた。

 また、アンジェが闇を生み出せば、僕も呑み込まれる危険もあったけれど。今はこうしたいと思ったんだ。

 たとえ彼女を救えなくても、この傷ついた魂に寄り添ってやりたかった。

 バンさんが言っていたように、もしも僕に妹がいたならこんな気持ちになるのかもしれない。

「君だって、すごく苦しんだんだ。アンジェが戦っていたのは、絶望という名前の病気だよ。僕と同じで、必死に病気と戦ったけど、勝てなかっただけだ。それは悲しいことだけど、バカなことじゃない。誰も君を責めたりしない。だから、君も君を責めないで」

 誰だって、死にたくなんかない。

 幸せを感じて、元気に生きていたいんだ。

 家族や友達や恋人と、他愛のない話をして、笑いあって。

 そんな日が明日も来ると信じて。

 他人から見れば、若いのに、もっと他に道があったはずなのにと、いろいろ言われることかもしれない。

 だけど、当人にとっては、命を絶ちたくなるほどの絶望だった。

 逃げ道を見いだせないほど、暗闇に包まれていた。その闇の深さは、彼女にしかわからない。

 死んでしまった今でさえ、彼女は自分の苦しみと戦っている。彼女の心に勇気を与える“戦闘服”を身にまとって。

「タローくんのくせに……たまにはいいこと言うんだ」

 泣きながらも減らず口を叩くアンジェの頭をそっと撫でた。

「たまには? 僕はいつもいいこと言ってるだろ?」

 ようやく胸の内を吐き出せたからなのか、腕の中でアンジェの強ばりが解けていく。彼女から、あのときのような闇が生まれる様子はない。

 アンジェは僕の腕を払うことなく、肩を震わせて静かに泣いていた。