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「お疲れ様です、先輩」


　午後6時半。この時間になると学校に残っていたほとんどの生徒が、下校の支度を始める。


　すっかり暗くなった窓の外を眺めながら、私もピアノの蓋を閉め、鞄を背負った。


「お疲れ、緋依。また明日な」


　そう言って手を挙げる先輩に、笑顔で手を振って音楽室を後にする。


　……〝また明日〟という言葉の魔法に、胸の高鳴りが抑えきれないのを感じながら。



　そのまま廊下を歩きつつ、ワイヤレスイヤホンを取り出し、片耳ずつ付ける。


　音楽プレーヤーの中から『コンクール曲』リストの再生ボタンを押しかけて……やめた。


　なんだかとっても聴きたい気分だったから。


　私は、再生リストの一番下にあった『好きな曲』リストを再生する。


　そうすれば一番初めに流れてくる、お目当ての曲『月の光』。


　一日の疲れが癒される至福の時間。


　ふう、と息を吐いて世界観に浸る。


　そうしてしばらく歩いて、ちょうど特別棟から普通棟に移る渡り廊下に差し掛かった時だった。


「緋依……！」


　ふと自分の名前が呼ばれたのを遠くに聞いた。


　私は驚いて、左耳のイヤホンを外し、後ろを振り返る。


　私のことを〝緋依〟なんて呼ぶ、異性の声の持ち主なんてひとりしかいない。


　でも優先輩とはさっき別れた……というかふだんだって、音楽室以外の場所で会うことなんてなかったから。


　そして口を開いた先輩の言葉に、私は耳を疑うことになる。


「あのさ──今日、駅まで一緒に帰らない？」


「……え？」


「あ、無理だったら全然大丈夫だからな。いつもあんまり話す時間ないから、たまにはちゃんと話したいってずっと思ってて」


　先輩は少し息を切らしながら、早口で言った。


「優先輩、他の友だちと帰らなくていいんですか……？」


　決して卑屈になっていたわけではない。ただ、単純に疑問が浮かんだだけ。


　そうすれば先輩は、私の質問に


「今、断ってきた」


　と、あっさり答える。