上辺だけの賞賛や、コンクールの賞なんかよりも。
先輩がくれた言葉はたぶん私がずっと1番ほしかったものだったんだと思う。
上手、じゃなくていい。私はただずっと、誰かの心を揺るがす演奏がしたかった。
「将来はピアニストになるの?」
「なり、たいです。すごく狭き門だし、難しいかもしれないけど」
だって、私はピアノが大好きだから。その気持ちをようやく思い出した気がする。
「絶対なれる。俺、めっちゃ応援してるから」
私の瞳をまっすぐに見つめて、力強くそう言ってくれた先輩に、どんどん私の中に固まっていた何かが熱く溶かされていく。
照れくさくて、「……ありがとうございます」と、小声で言ってから、私は少しだけ勇気を出したくなった。
「……な、なんか好きな曲ありますか?」
私がそう言うと、きょとんとした顔で見つめ返してきた先輩。
「なかったら全然いいんです! もしあったら弾こうかな……って」と慌てて弁明する。
「え、めちゃくちゃ嬉しい……。じゃあ──『月の光』は?」
「弾けます! 私も大好きな曲です……!」
月がこぼした淡い光のように、美しく澄んだ旋律。
私はこの曲を初めて聴いたいつかの日、一瞬で恋に落ちた。
もうすでに瞳を輝かせて、演奏を待つ先輩を見届ける。
──ドビュッシー作曲『月の光』
静かに、優しく、闇夜を照らす月のように。
高音のメロディーを奏でれば、思わずうっとりと目を閉じる。
たったそれだけの時間に。
「続けててね」
……え、と反応する間もなく、気づいたら私の左どなりに腰を下ろしていた先輩。
ピアノ専用の長椅子にふたりで座る形になり、私はわけがわからないまま、演奏を続けながら少し右に移動する。
9小節目。
重厚な低音がようやく姿を現す、その瞬間に彼の音楽は、私の音楽と交わって。
原曲よりも豪華になった伴奏を奏でていく。
驚いて、左を向けばいたずらっぽく笑う先輩。
だんだんと盛り上がりを見せる曲調に合わせて、アレンジを加えていく先輩に驚きを隠せなかった。
──着いてきてね。
そうとでも言いたげに、先輩が私の方をちらりと見る。
──のぞむところですよ。
ふっと私がこぼした息遣いを合図に、先輩はガラリと曲の雰囲気を変えた。
まるでジャズ風。こんなの普通はありえない。
複雑なリズムの伴奏を正確に刻む先輩に感服しつつ、トレモロやトリルなんかを入れて、軽快なステップを踏む。
月夜のダンスパーティー。たまにはこんな夜も悪くないでしょ……?
止まらない。私たちは、もう誰にも止められない。
おしまいにはグリッサンドまで入れて、キメ顔をしてやれば、先輩が隣で笑いをこらえているのを感じた。
──戻るよ。
──了解です。
原曲に戻るコードを奏でた先輩に合わせて、私たちは共に曲を終焉に導いていく。
今度は目配せさえ必要なかった。
そして曲は、ゆっくりと、柔らかに、エンディングを迎える。
ふたりで響かせた最後の音の余韻が。
1滴残らず蒸発し終わったその瞬間に。
「……ふっ」
私たちはどちらからともなく吹き出して、声を出して笑いあった。
先輩がくれた言葉はたぶん私がずっと1番ほしかったものだったんだと思う。
上手、じゃなくていい。私はただずっと、誰かの心を揺るがす演奏がしたかった。
「将来はピアニストになるの?」
「なり、たいです。すごく狭き門だし、難しいかもしれないけど」
だって、私はピアノが大好きだから。その気持ちをようやく思い出した気がする。
「絶対なれる。俺、めっちゃ応援してるから」
私の瞳をまっすぐに見つめて、力強くそう言ってくれた先輩に、どんどん私の中に固まっていた何かが熱く溶かされていく。
照れくさくて、「……ありがとうございます」と、小声で言ってから、私は少しだけ勇気を出したくなった。
「……な、なんか好きな曲ありますか?」
私がそう言うと、きょとんとした顔で見つめ返してきた先輩。
「なかったら全然いいんです! もしあったら弾こうかな……って」と慌てて弁明する。
「え、めちゃくちゃ嬉しい……。じゃあ──『月の光』は?」
「弾けます! 私も大好きな曲です……!」
月がこぼした淡い光のように、美しく澄んだ旋律。
私はこの曲を初めて聴いたいつかの日、一瞬で恋に落ちた。
もうすでに瞳を輝かせて、演奏を待つ先輩を見届ける。
──ドビュッシー作曲『月の光』
静かに、優しく、闇夜を照らす月のように。
高音のメロディーを奏でれば、思わずうっとりと目を閉じる。
たったそれだけの時間に。
「続けててね」
……え、と反応する間もなく、気づいたら私の左どなりに腰を下ろしていた先輩。
ピアノ専用の長椅子にふたりで座る形になり、私はわけがわからないまま、演奏を続けながら少し右に移動する。
9小節目。
重厚な低音がようやく姿を現す、その瞬間に彼の音楽は、私の音楽と交わって。
原曲よりも豪華になった伴奏を奏でていく。
驚いて、左を向けばいたずらっぽく笑う先輩。
だんだんと盛り上がりを見せる曲調に合わせて、アレンジを加えていく先輩に驚きを隠せなかった。
──着いてきてね。
そうとでも言いたげに、先輩が私の方をちらりと見る。
──のぞむところですよ。
ふっと私がこぼした息遣いを合図に、先輩はガラリと曲の雰囲気を変えた。
まるでジャズ風。こんなの普通はありえない。
複雑なリズムの伴奏を正確に刻む先輩に感服しつつ、トレモロやトリルなんかを入れて、軽快なステップを踏む。
月夜のダンスパーティー。たまにはこんな夜も悪くないでしょ……?
止まらない。私たちは、もう誰にも止められない。
おしまいにはグリッサンドまで入れて、キメ顔をしてやれば、先輩が隣で笑いをこらえているのを感じた。
──戻るよ。
──了解です。
原曲に戻るコードを奏でた先輩に合わせて、私たちは共に曲を終焉に導いていく。
今度は目配せさえ必要なかった。
そして曲は、ゆっくりと、柔らかに、エンディングを迎える。
ふたりで響かせた最後の音の余韻が。
1滴残らず蒸発し終わったその瞬間に。
「……ふっ」
私たちはどちらからともなく吹き出して、声を出して笑いあった。