「はい、次は緋依の番」


「……じゃあ」


 私はピアノのイスに座ったまま大きく息を吸った。


──ショパン作曲練習曲作品10-12『革命』


 ショパンが自分のふるさとが行く末への不安を、激情的に表した言わずと知れた名作。


 体の弱かったことや他国に渡っていたことが原因で、祖国ポーランドで起きた蜂起に参加できなかった彼は自身の怒りをこの曲にぶつけた。


 なら私は。


 右手の第一音に今感じている、言いようのない悔しさも悲しみも、全てを込めて。


 そういえばいつかだれかがコンクールで言っていた。


 『機械の天野』


 私の演奏はいつだって完璧。


 並外れたテクニック、すべて楽譜通りにこなす強弱やアーティキュレーション、作曲家の意図を完全に汲み取った非の打ち所のない演奏。


 でも、つまらない。惹き込まれない。まるで機械のようだと。


 細かく動く左手を勢いに任せて弾いていれば、ショパンが私を誘ってゆく。


 何もかもどうでもよくなった。


 力が入って腕が鉛のように重くなっても、レガートのパッセージが雑でも、弱く弾くべきところをどんなに強く弾いても。


 今は、どうだってよかった。


 ──響け、どこまでも。この激情をのせて。


 もう『機械の天野』なんて言わせない。


 今、この想いに、革命を。


 意味を見いだせなくなってしまった日常に、革命を。


 自分のつまらない演奏に、革命を。


「……っ」


 最後の重低音が爆発した瞬間、時間が止まった気さえがした。


 同時に湧き上がる、今までに味わったことのないような快感。


 しばし訪れる沈黙に私の荒い呼吸だけが響いていた。


 そして。


「……え、なにこれ、鳥肌止まんない、どうしよう」
 

 私が振り向くのと、先輩がぼそっと独り言をつぶやいたのはほぼ同時だった。


 尚も呆然とした様子でやばい、すごすぎる、と繰り返す先輩。


「心が震えて、熱くなって……。あー、なんて言ったらいいんだろ。とにかく感動した……」


「……嬉しい、です。そう言ってもらえて」


 心からの想いが考えるより先に溢れて、こぼれ落ちた。