どれだけ時間が経ったかもわからない。ただずっとそうしていたような気がする。


 ようやく涙も収まり、少しだけ気持ちも静まってきたころ、私はふいにすぐ近くでなにかの気配を感じた。


 ハッとして顔をあげて、周囲に視線をやれば、心配げに揺れる男の人の澄んだ瞳とぶつかる。


「大丈夫?」

「あ……はい、えっと、」


 校則通りにきっちりと着こなした制服に、清涼感のあるマッシュヘア。


 イケメン、とは言わずとも、割と整った柔和な顔立ちは好印象だ。


 だが一番の問題は、私がこの男の人を見たこともなければ、まして知り合いでは無いということ。


 なぜこの人がここにいるかはわからないが、泣いているところを見られてしまったのは恥ずかしい。


 なんだか気まずくて目を逸らせば、この人の履いていた上履きが目に入った。


 私の学校では上履きに入っているラインの色が学年ごとに異なる。


 2年生の私は緑色で。


 青……ってことは3年生の先輩?


 私よりも一個上だ。


「ごめんな。静かに勉強できる場所を探して歩いてたら、泣き声が聞こえたから思わず……。驚かせるつもりはなかったんだ」


 申し訳なさそうに眉を下げる先輩に、私はふるふると横に首を振る。


 そうすれば先輩は「怒ってないならよかった」と安心したように笑って、近くにあった丸椅子に腰掛けた。


「俺は伽々里(かがり)(ゆう)、3年。優でいいよ。きみは?」


天野(あまの)緋依(ひより)、2年です」


 優……先輩に促されて答えた自分の声はまだ少し震えていた。
 

「緋依な、よろしく」
 

 人懐っこい笑顔を浮かべて、差し出してきた手を反射的に握る。


 すごく距離感の掴み方が上手いひとだ。言い換えればコミュ力が高い。


 きっと人気者なんだろう。私とは生きる世界が違う人だと思った。


「辛いならその気持ちをなにかにぶつければいいんだよ。大声出してもいい、何かを投げつけてもいい……そのピアノを思いっきり弾くとか、ね」


「……ぶつける、」


「そうそう、こうやって」


 突然、窓辺に移動した優先輩は、思い切り窓を開けて。


「ばっかやろー!」


 声を裏返しながら、大声でそう叫んだ。


 肩で息をする先輩が面白くて、私は思わず声をあげて笑ってしまった。