「──卒業証書授与」


 司会の先生の掛け声のもと、流れるように進んでいく卒業式。


 私たち在校生は、その様子を教室に設置された電子黒板越しに眺めていた。


 とはいえ長時間にも渡る式を、全員がただ見続けられる訳もない。徐々に大きくなる話し声を先生が咎める様子もなかった。


 私も時折画面には目を向けつつ、目前に迫った本番に向けて楽譜を広げる。


 注意書きで埋め尽くされた楽譜を読みながら、頭の中に流れていく音楽。


 目を閉じ、集中力を高めれば、私だけの世界が生まれる。


 だが、集中力は足りていなかったらしい。私はさも簡単に現実に引き戻されてしまったのだから。


「──卒業生答辞。卒業生代表、伽々里優」


 はい、という凛とした声が響き渡った瞬間、だれもがハッとしたように会話をやめ、学校全体が水を打ったように静まり返った。


 そういう魅力が、人を惹きつけるなにかが、先輩にはあった。


 それはきっと魔法。


 優しく、それでいて力強く。


 語られる彼の言葉に、世界中が耳を傾けているような気さえする。


 ──先輩、ごめんなさい。

 
 私、まだなんのお礼も伝えられてないまま、今逃げようしてます。


 自覚してしまった〝好き〟の気持ちが。


 この3ヶ月間、私をたくさんたくさん苦しめてきたんです。


 好きだから、別れが寂しい。
 好きだから、先輩に心から応援してほしい。
 

 でも、先輩に会うまで知らなかった感情に振り回される度に、ピアノに集中しなくちゃいけない、と妙な罪悪感に苛まれる。


 こんなことなら、出会わなければよかったのかな。


 このまま先輩に会わずに今日を終えれば、あの魔法の時間は私の記憶のそこに沈んで。


 もう何事もなかったかのように、忘れることができるかもしれない。


 私は生粋のピアノバカで、人間としてはあまりに未熟で。


 それでも先輩と出会って、少しだけ成長できたはずなのに。


 ……やっぱり私はとても弱かった。
 


 お辞儀をする先輩に送られる盛大な拍手に飲まれて、消えていってしまいそうなくらい。


 弱く、脆い。