絵を描くことは嫌いじゃなかった。

 趣味で日本画教室に通っているお母さんのおかげで、家の中には絵の具や色鉛筆やスケッチブックなどの画材道具がいろいろあって。それらを使って遊ぶことがわたしの日常だったからだ。

 子どもの頃から、わたしが描くのは風景画が多かった。

 幼稚園の頃は、両親や先生が読んでくれた絵本に出てきた森の中のお花畑や海や空を想像して。小学生になってからは、両親と出かけた先の風景を思い出しながら描いていた。

 それ以外にも、庭から摘んできた花とか、お母さんと行ったスーパーで買ってきた果物とか、家にあったお土産の置き物とか、毎朝ホットミルクを飲むのに使っているカップとか。目についた《物》をいろいろと描いたけど、わたしが自由に描く絵の中に人が出てくることはほとんどなかった。

 人を描くのは、幼稚園や学校の図工でどうしても描かないといけないときだけ。そのときは、周りに座っている子たちの描き方を真似て、楕円の顔型の中に線のような眉を二本とまん丸の目をふたつと、三角の鼻と、半円の口を適当に配置した。

 だけど、真似をして描いたつもりでも、わたしが描く人の顔はやっぱり不自然らしい。
 
 小学五年生のとき、教室の後ろの壁にみんなが描いた運動会の思い出の絵が飾られたことがあって。適当に玉入れの絵を描いたら、わたしの絵を見たクラスメートの女子に笑われたことがある。

『榊さんが描いた人の顔、なんか変じゃない? 無表情で怖っ』

 クラスメートが笑っているのを聞いて、他の子の絵と自分の絵の人の顔がどれほど違うのか観察してみたけれど、わたしにはどこが変なのか、どこが怖いのかよくわからなかった。