「健志、大丈夫よ、立木さんはあれ以来過呼吸起こしていない?」
「いや、錑の事聞いて、自分を責めてる、橘不動産の社長が来てみゆちゃんに錑の情報を伝えたからな」
「そう」
「錑はどこにいるの?行方不明って橘社長が言ってたけど、姉さんは錑の居所知ってるんだよね」
「うん、誰にも言わないでね、錑に口止めされてるんだから」
「わかった、どこ?」
北山先生は息を飲んでゆかりさんの答えを待った。
「アメリカ」
「アメリカ?」
「立木さんにも言わないで、心配させたくないからって錑から言われているの」
「わかった」
北山先生は電話を切った。
私は錑を信じて待っていようと言う北山先生の言葉に従う余裕はなかった。
宇佐美不動産との契約さえ元に戻れば、解決すると簡単に考えていた。
私は東京へ向かっていた、麗子さんに錑を助けて欲しいと頼む為に……
北山先生は私の姿が見えないことに不安を覚えていた。
「みゆちゃん、まさか東京へ行ったのか」
その頃、錑はアメリカにいた。
「はじめまして、桂木錑と申します、桂木ホテルリゾートの社長をしております」
「桂木ホテルリゾート?」
「親父から困った時訪ねるようにと聞いていました」
「桂木の息子さんかい、桂木は元気かな?」
「親父は亡くなりました」
親父から訪ねる様に言われていたのは、資産家の東城慎太郎だ。
いくつものホテルを経営しており、数十億の資産を保有しているとの噂だ。
「奴は先に行きおったか、それでわしになんの様だ」
「親父が亡くなった途端、メインバンクも取引先も撤退し始めて、このままだと会社の倒産は免れません」
「それで?」
「何か良い策はないものかとご相談に参りました」
東城氏は何か考えている様子だった。
「桂木くん、何か他にメインバンクが撤退する様な心あたりはないかね」
「実は親父の代から付き合いがあった企業とある理由により契約を破棄しました、自分に対してその企業の社長は相当立腹されていると聞いています」
「そのある理由とやらを聞かせて貰えるかな」
俺は深呼吸をして語り始めた。
「その企業は宇佐美不動産で、その企業のご令嬢が自分と結婚したいと言ってきました、でもそのご令嬢との結婚にノーと答えると、当時結婚したいと考えていた女性に嘘の情報を伝え、自分のマンションから追い出し、会社も辞める様に促しました、自分は卑怯な手を使って自分と彼女を引き裂こうと企んだことが許せなくて、一方的に契約を破棄しました」
「桂木くんが怒るのも無理はないな、その女性とは誤解が解けたのかな」
「はい、でもいつも自分のことを気遣ってくれて、今回も身を引くと言い張って、説得するのに大変でした」
「今時珍しい女性がいるんだね」
「そうですね、そこに惹かれたんですが、あと、その女性の涙にも惹かれました」
「そう言えば十年位前にわしは、妻に先立たれて、その時知り合った娘さんに助けられた、その娘さんは男性が信じられないと嘆いていた」
「その娘さんとはどうなったんですか」
俺はみゆと重ね合わせていた。
「しばらく一緒に居てくれたおかげで、わしは妻を失った悲しみを克服出来た、だが彼女を幸せにするだけの若さがなかったからな、縁がなかったってことだな」
「そうだったんですか」
「当時桂木ホテルリゾートに勤めていたんだが、まだいるかな」
「えっ?名前は?」
「立木みゆちゃんじゃ」
俺はみゆの名前が出た事にビックリして狼狽えた。
「あの、立木みゆは自分の結婚相手です」
「そうなのか、みゆちゃんは桂木くんの奥さんになるのか」
「はい」
「そうか、そうか、良かった、良かった」
「あのう、会社の件ですが何か良い方法はありますでしょうか」
東城氏は「そうだったな」と言いながら提案を俺に伝えた。
「わしの会社、東城ホールディングスと契約しないか」
「えっ?」
「東城ホールディングスのホテル部門のグループ会社として仕事を続ければいい」
俺はあまりの規模の大きさに手が震えた。
「桂木ホテルリゾートの名前も残し、桂木くんの役職もそのまま社長を続けてくれ」
「とてもありがたいお話ですが、何か条件があるのではないでしょうか、御社に取ってメリットはありますでしょうか」
「それは桂木くんの頑張り次第だ」
俺はすごい責任に押し潰されそうな気持ちに戸惑った。
「何、今まで通り仕事をしてくれれば良い、ただ一つだけ条件がある」
「何でしょうか?」
「みゆちゃんを生涯愛して共に生きて行くと誓ってくれ、あの子は男を信じられないと悩んでいたからな」
「はい、誓います」
東城氏は満面の笑みで安堵の表情を見せた。
「では、秘書を連れてまた改めて伺います」
「ああ、あのう、桂木くんにお願いがあるんじゃが……」
「何でしょうか」
「今度、みゆちゃんを連れてきてくれないかな」
東城氏は恥ずかしそうに俯いた。
「はい、今度一緒に伺います」
「そうか、楽しみにしているよ」
俺は東城氏に挨拶をして、その場を後にした。
まず、東京へ戻り、会社へ向かった。
事の事情を高城に説明した。
「社長、それは本当ですか」
「ああ、早速契約の準備をしてアメリカへ行くぞ、お前も一緒に頼む」
「もちろんです」
俺は北山に連絡を取った。
この事を早くみゆに伝えたかった。
みゆのおかげで会社は倒産の危機を乗り越えたんだから……
その夜、健志のスマホに電話した。
「健志、俺だけど、みゆは大丈夫か?」
「錑、みゆちゃんはそっちに行っていると思うんだが、お前のところじゃないか」
「みゆが東京に?」
「ああ、すまん、ちょっと目を離した隙に姿が見えなくなった」
俺は嫌な思いが脳裏を掠めた。
「橘不動産の社長が来て、錑の会社が倒産寸前の事やそれが宇佐美不動産ご令嬢との結婚を断った為だとか、良からぬ噂を吹き込んだんだ」
「それで、自分のせいだと責めているのか」
「ああ」
みゆはいつでも俺の事を考える女だ。
だが今回だけはみゆが俺の側にいることが会社の存続に大きく影響する。
みゆはその事実を知らない。
「わかった、こっちでみゆを捜すよ」
「ああ、みゆちゃんをよろしく頼むよ」
俺は急いでみゆの行方を捜した。
その頃、みゆは麗子の元を訪ねていた。
宇佐美不動産本社を訪ね、麗子とのアポを取った。
「あら、みゆさん、お久しぶりですわね」
「桂木ホテルリゾートの噂をご存知ですよね」
「ええ、倒産寸前だとか」
「錑、いえ社長を助けてください」
「錑様には申し伝えました、私と結婚して、宇佐美不動産と契約してくださいと、今、錑様は私との結婚を考えてくださってるところですわ」
「そうですか」
「でも、いつまでもあなたが錑様の側をうろうろしていると、錑様も決心が揺らぎます、さっさと錑様の前から姿を消してくださらないこと?」
「わかりました」
もう、錑は私との別れを決めて、麗子さんとの未来を歩もうと決めたんだ。
そうだよね、会社を救うことが出来るのは麗子さんだけだから……
この時みゆは決心していた、錑のため、会社のために錑と別れなければと……
そして与那国島に戻った。
俺は早速麗子を訪ねた。
「錑様、良いお返事を持って来てくださったのですよね」
「いや、宇佐美不動産との契約を復活させるつもりはない、従ってお嬢さんとの結婚もなしだ、俺はみゆと結婚する」
「会社の社員を見捨てるおつもりですか」
「桂木ホテルリゾートは東城ホールディングスと契約する」
「東城ホールディングス?東城慎太郎が会長を務める大手の大企業ですよね」
「ああ」
「どうして?」
「親父の知り合いでね、それと十年前みゆに命を助けて貰ったことがあるそうだ」
「みゆさん?」
麗子はビックリした表情を見せた。
「契約の条件はみゆと俺が結婚すること、そして生涯みゆを愛すると誓うことだ」
「そんな」
麗子はがっくりと肩を落とした。
俺はみゆを迎えに行くため与那国島へ向かった。
その頃、与那国島ではみゆが自分の気持ちを北山先生に伝えていた。
「みゆちゃん、心配したよ」
「北山先生、すみませんでした」
「錑から連絡があったよ」
「そうですか」
私は錑と別れることを北山先生に告げた。
「北山先生、私、錑とは別れます、錑は会社のため、そして錑の将来のために麗子さんと結婚することが一番いいと思うんです」
涙が溢れて止まらなかった。
北山先生は私を引き寄せて抱きしめた。
北山先生に甘えてはいけないと思いながら、私は北山先生の胸で大声で泣いた。
北山先生は何も言わずにそのまま私を抱きしめてくれた。
どれ位の時間が過ぎただろうか。
診療所のドアの向こうに錑がいた事に気づかずにいた。
錑が急に入ってきて、私を北山先生から引き離した。
「みゆ、話がある」
そう言って、私を外に連れ出した。
錑は私に背を向けて、信じられない言葉を投げかけた。
「健志が好きなのか」
私はなんて答えればいいか迷っていた。
錑は私の方に振り返り「俺じゃなく、健志を選んだのか、答えろ、みゆ」と声を荒げた。
俺はわかっていた、みゆはそんな女ではない事を……
でも、健志と抱き合っていた光景に嫉妬の炎が燃え上がった。
みゆは俺のこと、会社のことを考えて、身を引こうとしている。
でももし本当に俺が振られたんだとしたら、みゆとの結婚で会社が危機を脱することが出来ることなど、言えるわけがない。
俺に愛情がなくとも、俺との結婚を選ぶだろう。
俺はみゆと愛し合いたいんだ、偽りの愛はいらない。