青春の罪と罰1 ─とある中学生の物語─

 ──季節の変わり目は感情が不安定になりやすい。そう気がついたのは、もう後悔をした後の事だった。


 秋。三年生の先輩達が居なくなり、野球部の部員数は僕を含めて九人となった。

 野球は九人でするスポーツなので公式の試合にでるのはギリギリだ。

 このときにキャプテンとなった例の先輩は人数がギリギリな事に不安を抱いていたのだろう。

 それのせいなのか分からないが、僕への上から目線な攻撃はエスカレートしていった。

 だから、僕も、感情が少しずつ表れるようになっていった。

「はい、遅い。もう一本走ってきて」

「はっ? は、はい」

 一瞬キレそうになったりした。僕らはこのとき、ベースの間をタイムを測って走るということをやっていたのだけど、あきらかにタイムは丁度もしくは少し余裕があったはずなのに、上のやり取りのような嫌がらせをしてきたりして怒りが少しずつ蓄積されていった。

 十二月の話。

 野球部が正月休みに入った時から、体に異変を感じた。

 朝起きるとここ最近、毎日こむら返りを起こしていた。

「があぁぁぁぁぁぁ……!」

 朝、それもまだ日が昇っていない五時に基本的に朝練のため目を覚ましていた僕は、痛みに静かに耐えるしか無かった。

 その痛みは現在も続いており、ふくらはぎと太ももには酷いミミズ走りのような肉割れの跡がついている。

 これが、身体的な傷だと思う。
 ──感情は、時に原動力になる。だが、その感情は消え去れば後悔に変わる。

 一月。新年の幕開けは決して楽しいものなんかじゃなかった、

 正月休みも終えて、学校も三学期が始まった。

 このときの僕にとって学校に行くことは野球をするためだったから、授業なんてほとんど聞いていないようなものだった。

 朝練に誰も来ない時間帯に行き、練習用の設備を整え、朝練が始まるまでの空き時間に少しでも練習する。

 これだけが唯一(ゆいいつ)の楽しみであり、自分に自信が持てる行動だった。

 しかし、

「オラッ! もっと食らいつけ!」「それくらいは絶対捕れただろ!」

 実践は上手くいかない。

 毎朝やっていたとしても気持ちが、感情が自分の体力を向上させてくれることはない。

「くっそ……!」

 (いら)つきながら、思いっきりボールを壁に当てるも、この野球部のなかでは最も遅い。

 ぐるるるる……。

 まただ。お腹が痛い。

 ここ最近、冬の寒さのせいでお腹が冷えてきているのか分からないが、お腹が死ぬほど痛くなる。

 だけど、動かないわけにもいかずに体を動かして投げる。

 走るのも遅い。投げるのも遅い。基礎体力はゴミ以下。慢心で自意識過剰なクソ野郎。

 そんな僕は、この生活に絶望しつつあった。

 もう限界だった。

 体力的にも精神的にも。

 そして、二月十九日。

 その日、僕の人生が変わったある事が起きた。

 それは、許されない後悔の話だ。
 ──感情は全てを破壊する。自分が積み上げてきたもの、信念を。

 バレンタインデーも終わって、体力作りのために色々な練習を僕らはしていた。

 先輩には怒られ、アイツにはバカにされ、その取り巻き達には嘲笑(ちょうしょう)を浮かべられ。

 積み重なった怒りの欠片はやがて、限界を迎え、飛び出す。

 二月十九日。

 とある中学校で、ひとつの揉めごとが起きた。

 この揉めごとは、僕の後悔となり、一生刺さる心の傷となる。

 ある程度の練習が終わり、自主練習の際に僕は先輩に呼ばれた。

「まだラン走り残ってるだろ。走れ」

 野球部では、勝手に決められるテストの目標点数を突破しないと目標点数から五教科の合計点数分引かれて「ラン」と呼ばれた走る回数を決められたのだ。

 それはしなければいけないとは、思っていたので、十本ずつ走る事にした。

 数分後、僕は、ようやく走り終えたのだけど。

 アイツのあるひと言により、怒りを貯めていた箱が崩れさった。

「え、遅っ。もう一本走ったら?」
 と人が走り終えて疲れているのに、無神経なことをアイツは言った。
 その言葉に純粋な怒りを覚えた。

 なんだと。ふざけるな。

 血管が千切れたような感覚だった。

 お前のなにが分かる。

 心の中は飛び出した怒りの欠片が集まり、やがて結晶となり感情を支配する。

 そして、頭の片隅にあったイメージ。

 血だらけで倒れているアイツのイメージが脳内に浮かび上がる。

 人をバカにしやがって。
 ──頭がクラクラする。いつも、その日を思い出す。

 その日、僕は初めの罪を犯した。

 ***

 先輩はなぜか、僕にベースの(くぎ)を打つ用のハンマーを持ってきた。

 なんでそんな行動をとったのかは、分からないけれど、そんな行動をとった先輩を僕は眼中にも入れていなかった。

 ただただ、目の前にいるアイツが気に入らなくて仕方がなかった。

 先輩は、アイツに寝転ぶように言った。

 そこで僕はそのハンマーを渡され、少し自分の良心に気付き始めていた。

 本当にやってしまっていいのかと。

 普通の人間なら、そこで謝るはずだ。

 僕も謝りたかった。

 だけど、何かをしておかないと僕は三年間ずっと苦しい想いをするのではないかという気持ちと、その時は辞めるなんて事は考えてもいなかったからバカにされるかも知れないと思う心がやはりあった。

 僕を逃がさまいとジリジリと来る先輩の圧から逃げ出したかった。

 だけど、ここでじっとしておく訳にも行かず、僕は、ゆっくりとハンマーを降り下ろしてしまった。

 うあああああ!!

 なんて事をしてしまったんだ。

 僕はここでやっと初めて人を傷つけるということを学んだ。

 そして、我にも返った。

 人を傷つける。

 それは、絶対にやってはいけないこと。

 僕は、逃げ出すように正門に駆け出そうとした。

 すると、後ろからユニフォームを引っ張られ、グラウンド整備用の砂場に連れていかれ、アイツとなぜか一体一(タイマン)をすることになった。

 僕は、鼻を殴られ、アイツに殴り返すことなど出来なかった。

 鼻血がでて、砂や、ユニフォーム、これは後から知った事だけど彼のユニフォームにも付いていた。

 逃げるように帰った。

 荷物の整理なんてなに一つせずに、まとめて持って帰った。

 もう、嫌だ。

 ここまで苦しい想いはしたことがなかった。
 ──取り返しがつかなくなる頃には、分かっていた。理解をしていたはずだった。だけど、その気持ちを僕は見て見ぬふりをしていた。

 もう何回泣いたかなんて分からない。

 涙を流しながらいつも通りの帰路(きろ)をたどる。

 その途中、雨が降ってきた。

 ポツポツと降っていた雨はしだいに本降りとなり、僕の体を重くする。

 カバンが濡れて教科書がビチャビチャになろうが、風邪をひこうがどうでもよかった。

 自分が、(みじ)めだった。

 古びた窓ガラスが目にはいり、それに反射した自分の顔が(ひど)いことになっていることに気付き、公園に寄って、水道で顔を洗った。

 顔を冷やすと気持ちと顔は、少し落ち着いていった。

 だけど、惨めな気持ちは収まらなかった。

 その日は、塾があったため、周りに何かがあったのかと悟られぬように平常心を取り戻すくらいには回復した。

 それから、何事もなかったように塾に行った。

 その帰り、親からメッセージが届いていた。

『早く帰ってきてください』

 僕はなぜ早く帰ってきてほしいのか分かっていた。

 元の日常は、もう来ないかもしれないと思いながら全力で自転車を漕いだ。

 両親が、(けわ)しい顔でイスに座っていた。

 学校から連絡があった、なんで先に言わなかったのかと言われ、僕は泣きながら事実を言った。

 今まで僕がされていたこと、僕がしてしまったことを。

 そして、知った。

 当たり前の事だけど、やってしまったことは、もう取り返しがつかないことになるのだと。

 僕は、その日から進級まで生きた心地(ここち)がしなかった。

 これは、僕の罪。

 そして、後悔の物語の序章だ。
 泣くだけしかできなかった。

 経験がなさすぎて、傷付けた事実が重すぎて。

 もし、僕が人付き合いをきちんとしていれば、こんなことにはならなかったのかな。

 その後、顧問の先生、学年主任、担任と話をした。

 どのような経緯で起きたのか、原因はなんだったのか、ということを知るために。

 そして、なにより。

 再発防止のために。

 僕は、(われ)を忘れるほど本気で怒ったことがなかった。

 顧問の先生、学年主任、両親と共にアイツの両親とアイツの家まで行き、謝罪をした。

 僕は、終始泣いていた。

 泣きたいのは傷つけられたアイツとアイツの家族だろうに。

 アイツの母親は僕を許してくれた。

 だけど、それは形だけということを中学校一年生ながら分かった。

 夢で僕がやってしまったときのことを今でも見る。

 そして、いつも、思い出す。

 あの日の悔しさと悲しさが混じった気持ちと心に刺さったガラスの破片のような抜こうとしたら怪我してしまいそうな後悔を。

 結果的に、ハンマーを渡した先輩も、僕に対して挑発(ちょうはつ)を繰り返したアイツも、やってしまった僕自身も、止めようとしなかった野球部のメンバーも全員が悪いということになった。

 これが、人を傷つけ、自分自身も傷ついた初めの罪だった。

 僕は、自分が犯した罪を後悔してもう二度と誰も悲しませないように生きていく。

 今もそれは続いているし、実際、あの日があったからちゃんと自分自身を見て見ぬふりをせずありのままの自分を大事に出来たのかも知れない。

 ***

 一ヶ月後の三月に下旬頃に、僕は、野球部を辞めた。

 続けたいという想いはもう、なかった。

 あれだけ迷惑をかけたのだから、こうなって当然だった。

 最期に顧問の先生の握ってくれた手のぬくもりが今でも、温かく、僕を救ってくれている。

 これが、一年目。

 僕の罪の物語。

 だが、これで終わりではない。

 もう一人、傷付けてしまう。

 もう、元には戻れない。

 あの笑顔は、もう見れない。

 ──何度、元にやり直したいと思っても、誰かが悲しまない未来なんてないのだ。
 ──出会いというものはいつも突然で、それを運命と呼ぶ。

 ならば、あの日僕らは、きっと誰よりも固い絆を手にいれたのだろう。

 僕は、過去の後悔抱えたまま、中学校二年生に進級した。

 数日間はクラスや周りの目をかなり気にしていた。

 進級したとはいえ、僕の学校では生徒の人数が少なかったので何かがあったとき、話題になりやすかったからだ。

 女子の間で揉め事があった時も、話題になっていた。

 時々、噂を聞き付けたクラスメイトが僕になんでやったのかと話しかけてくる。

 初めはバカにしているのかと思っていたが、そうではなかった。

 嘘をつくことも出来たけど、春休みの間に考えていた新しい自分の人生の目標が僕をそうはさせなかった。

 ありのまま、事実を話終えると彼らは、決まって納得し、そして帰っていく。

 さて、新学期になって変わった事はふたつある。

 まずひとつ目は良いこと。

 それは、僕に親友と呼べる存在が出来た事だ。

 親友はバスケ部のエース的存在で身長百八十cmの巨体の持ち主だ。しかし、彼とはクラスは違っていた。

 ふたつ目は、クラスに僕に友達と呼べる存在が居なかったこと。

 適当に前後左右のクラスメイトとは会話をしていたものの、友達になれそうな雰囲気ではなかった。

 俗に言うパリピ、陽キャという奴らが集まっていたからだ。

 まぁ、それで僕は幸か不幸かあの子と仲良くなるのだけれど。

 その話はまた追い追い。

 休み時間、一人ポツリと椅子に座っている眼鏡をかけた男子生徒が居た。

 その子が後に僕のバンド仲間となるのだから、運命って凄いなと思う。

 僕は気がつけば話しかけていた。

 そして、すぐに仲が良くなった。

 バンド仲間は僕に勇気を与えてくれた。

 そして、三年間のうちの二年分を笑顔に変えてくれた。
 今思えば、これが僕が楽器に触れるキッカケだった。

 その一言で機会が出来たのだから、本当に言葉の持つ力は凄い。

「……僕と、バンドを組まないか?」

 人を自分の夢に誘う事は初めてだった。

 どんな反応をされるのか分からない。

 これを言ったことで、また誰かに迷惑をかけるのかも知れない。

 でも、人よりなにか()けている部分があるのなら。

 その分野でトップとれたら。

 僕は、(くつがえ)せるかもしれない。この状況を。

 そして、僕はもしかしたらアイツを見返せるかもしれない。

 とこのときは思っていた。本当に嫌いだったから僕はアイツに勝てるならなんだってしてやると思っていた。

 また調子に乗っていたのかもしれない。

 野球を辞めたから何か他に出来る事を探して、行き当たりばったりでギターを購入したのだ。

 最初は全然できなかった。

 しかし、親父の弟……つまり叔父に教わり、少しずつ上達して現在に至る。

 四月十五日。

「俺で良ければ、楽器なんて弾いたことないけどよろしく」

 バンド仲間は僕にそう言った。

 眼鏡の奥の澱んでいた瞳を光らせて。

 その日から僕らのデュオが結成された。

 そして、僕らは約一年後の九月。初ライブを決行の日。

 あの日までの短い時間のデュオは、膝の砂を払って立ち上がる。

 これは、僕らが底辺からギターで成り上がるまでの物語だ。
 今はもう、感じることの無いこの気持ち。

 チクリと胸が痛むような、電流が脳内を走るような感覚。

 ──きっと、それを人は〝一目惚れ〟と呼ぶのだろう。

 ***

 今でも、あの子との出会いを夢に見る。

 僕はきっと誰かに自分自身の存在を肯定して欲しかったのだと思う。

 自分を認め、信じてくれる人なら誰でも良かったんだ。

 それが、たまたまあの子だっただけだ。

 バンド仲間と出会い、友達になってから、二ヵ月が経った。

 僕は夏休みはダラダラと過ごすつもりだったけど、夏休み前にあの子と会話を交わし、一緒に帰ってしまった。

 この時、脳内がレンアイに埋め尽くされていた僕を恨む。

 人を傷付けたやつに彼女なんて出来るわけが無い。

 そう最初から思っていれば、あの子を傷付ける事も無かったのに。

 今なら、僕はあの子とも関わらないし、野球部にも入ることはない。

 僕は、このとき、彼女が僕の幼馴染みの彼と一緒に帰り、悩みを共有しているなんて思いもしていなかったから、彼氏気取りで横を歩ける事に嬉しさを感じていた。

 本当にバカじゃないのかと今なら鼻で笑っているけど。

 そして、彼女とは決まって十字路で別れる。

 「じゃあ、ね」

 肩までのショートカットの黒髪が夕日に照らされて、艶めいている。

 心が熱くなった。

 その一言に心を踊らされたのだから、恥ずかしい。

 思えば、この時から僕はあの子に()かれていったのだろう。

 もし、やり直せるなら。

 僕は、このときにどんな言葉をかけているだろうか。