「こんにちは」
 映画館デートの一件から2週間ほど経ったある日、ヨークが店へと訪れた。ジオが目配せすると、ロンはカウンターへ出て来てヨークに気がついた。
「今日は、お礼も兼ねて来たんです。この前はありがとうございました」
 深々と頭を下げるヨークに、ジオとロンは慌てた。
「いや……その、すまない。傷ついただろう」
 ロンの言葉にヨークは苦笑したものの、その表情はどこか晴れやかだ。
「まあ多少は傷付きましたけど、おかげでスッキリしました。普通だったらフラれた店には来たくないかもしれないですが、ここのはいろいろ美味しかったし。それに、なんだか自分を取り戻したような気がするんですよ。ロンさんにマイルドちゃんを好きな理由を聞かれて、何だか我に帰ったような感じだったんですよね」
 ジオとロンは顔を見合わせた。
「頑張りたいことも見つけられたし」
 そう言ってヨークは筋トレする仕草を見せた。言われてみれば、心なしかスリムになったような気もする。ジオは頷いた。
「体を動かすのはいいことだよ。健康にもなるしね」
「ええ。それに、気持ちがスッキリしますね」
「本当に元気そうでよかった。それに、また店にも来てくれて。ありがとうね」
「こちらこそ、ありがとうございました」
 再度頭を下げてメニューを見始めたヨークにロンは声をかける。
「少し聞きたいことがあるんだが、いいか」
「はい、なんでしょう」
「この前、マイルドちゃんが君のことを好きだと誰かに言われたと言っていたが、誰に言われたか思い出せるか」
 ヨークは数秒、首を傾げたのち目を見開いた。
「……ルイス! ルイスだ! んーでも、冗談半分だったような気がするなあ。なんでイケると思ったんだろう……?」
 さらに首を傾げるヨークに、ジオとロンは頷き合ったのだった。

「で? そのルイスって誰なんだ」
 グレンはジオたちの報告を聞いて腕を組んだ。
「アルフの同僚だ。最近よく一緒に仕事をしているらしい」
 ロンの答えに、ディーンは頷いた。
「一度整理してみようか」
 ディーンが付箋と青いマーカーペンを手に取る。アルフ、マイルド、ヨーク、ルイスの4人の名前とアルファベットのエックスを書いた付箋をつくり、大きめの画用紙を机に広げた。
「今わかっている事実は?」
「マイルドちゃんはヨークにアタックされた」
 まず、ジオがマイルドとヨークの付箋を画用紙に貼った。
「それに、ヨークはルイスにけしかけられた」
 グレンがルイスの付箋をヨークの近くに貼る。ディーンがジオとグレンの説明を聞きながら矢印を書き込む。
「アルフは何者かに狙われている」
 ロンはアルフとエックスの付箋を先程ジオ達が貼った箇所から少し離して貼り、ディーンが画用紙に矢印を書き込んだ。
「それくらいだよな? 今わかっているのって」
 グレンが首を捻った。ディーンはまだあると言って書き込みを始める。
「ルイスとアルフは最近よく一緒に仕事をしてるんだよね? それに、マイルドちゃんとアルフ、ヨークは同じ演技教室の仲間だ。ルイスがヨークとどんな繋がりなのかはよくわからない」
 言いつつ、ディーンは書き込みを続ける。情報を書き終えるとペンを緑に持ち替えた。
「ここからは行動の理由についてで、推測が混じってくる。まず、ヨークの行動だけど、これは本人から証言があったように元々マイルドちゃんに好意を持っていたというのと、ルイスからの後押しがあったというもの」
「でも、ルイスの後押しは冗談混じりだったんだろ? ヨークはなんで本当に行動しようと思えたのかを不思議がってた」
 ジオの指摘にディーンは頷き、赤ペンに持ち替えた。
「そうだね。一旦、後押しのところは“?”としておこう。それから、アルフを狙っている容疑者Xの意図はわからないので、ここも“?”だね」
 ディーンは書き込み終えると緑色のペンに持ち替え、顔をあげて皆を見渡した。
「で、ルイスはなんでヨークをけしかけたんだと思う?」
「冗談まじりだったんだろう? 理由なんてあるのか?」
 グレンの疑問に、ディーンは鷹揚に頷く。
「うん。その可能性もある。だけど、実際にヨークは行動に移すレベルにまで気持ちが上がったんだ。ただ冗談まじりだっただけなら、きっとそうならない。本人も不思議がっていたくらいなのだから」
「つまり、ルイスにはなんらかそうしたい意図があって、ヨークを洗脳したのではってことだな」
 ロンがディーンに尋ねる。
「憶測に過ぎないけどね」
 ディーンはそう言って、ロンと二人で難しい顔をして黙り込んでしまった。ジオとグレンは二人の様子を伺い、顔を見合わせる。
「こうしててもわからない。ルイスについてちょっと調べてみよう。そこから何かわかるかもしれない」
 結局、ディーンがそう言ってこの話はお開きになったのだった。

 パトロールから戻ったディーンはロンに声をかけた。個人訓練で射撃を練習していたロンはディーンからのハンドサインにヘッドホンを外す。
「ロン、ごめんね。協会からのお達しもあってなんだけど、捕縛術を学んでみない?」
「捕縛術というと、警察なんかで使うあれか?」
「ううん、ロンが加護してもらっている精霊の力をつかったものだよ。この前、ジオが任務で使っていたようなイメージかな」
 老婦人の一件でジオは自身が使役する犬の精霊達を使って、老婦人の動きを制していた。ロンは無言で頷く。
「普段はジオと組んでもらっているからいいんだけど、この先ローテーションで俺やグレンと組んでもらうことになることもあるし、場合によってはそろそろ一人で任務にあたる必要も出てくる」
 ディーンのセリフに、ロンは考えるそぶりを見せた。
「だけど、捕縛術の前に風のコントロールをもう少し覚えてもらわないといけない。全体練習の前に、俺と一緒に練習してみない? もちろん無理強いはしないよ」
「いや、やってみるよ」
 ディーンは自身を真っ直ぐ見つめるロンに、ほっとした顔で笑った。
「よかった。じゃあ早速やろうか」
 そう言って、ディーンはロンを連れて射撃練習室を出てトレーニングルームの別の一角へ向かった。
「今のイメージは勢いで一瞬ぎゅっと圧縮して押し出しているだろう? でも捕縛するには、持続的に適度に強い風の力をかける必要がある。だから、トレーニングは2つあるんだ。持続的に風を送る練習と、適度に強い風を送る練習。それができたら、二つを合わせて使えるようにする。それから、範囲や方向をコントロールできるようにしていこう。まずは、持続的に風を送る練習から」
 そう言ってディーンは、キャンバスのようなものを取り出した。キャンバスと異なるのは、木枠に張られている布はピンと張っているものではなく、伸びやすい性質の布でゆとりがある点だ。ディーンは部屋の隅にトレーニング用で立たせてある鉄棒に布が裏側に来るように木枠部分をロープで括り付けた。
「この布が凧みたいに張るように、風を送ってみてくれるかな」
 ロンは頷いて目を閉じる。一つ深呼吸すると、目をゆっくり開けて布を見つめた。しばらくして、布が一瞬張った。
「うーん。今のは瞬間的な力だよね。そうだな……。もっとこう、ドライヤーみたいなイメージ」
 ロンは頷いて、眉根を寄せて再度布を見つめた。ふわりと部屋の風が動き始めるが、5秒ほどで息が上がり始め、風が止んだ。肩で息をするロンに、ディーンは腕を組んだ。
「OK。じゃあ、まずは10秒キープできるようになっていこう」
 ロンは首を縦に振ったが、難しい表情をしていた。

 木々に囲まれた大学内の公園で、アルフは撮影に挑んでいた。今日は雑誌の撮影である。同い年で同じ大学に通っている俳優ルイスとともに様々なポーズを取っていた。アルフは最近、ルイスと仕事を共にすることが増えていた。
 ルイスは祖父が欧米からの移民で、顔立ちにもそれが色濃く表れている。彼の実家はかなり裕福で、バンコクに居を構える富豪の一つだ。芸歴もアルフよりずっと長い。学部はアルフと違い、芸術系の学部に通っている。
 そんなルイスがアルフと一緒に撮影しているのには理由がある。二人は3ヶ月前に受けたオーディションでドラマの役に抜擢されたのだ。そのため、宣伝も兼ねてドラマのスポンサー企業の商品を紹介したり、雑誌からの取材を受けたりを一緒にやっている。
 二人が撮影を終えると、仕事の邪魔にならないよう遠巻きに見ていたファンらしき女性たちが二人の元へやってきた。外での撮影だとよくあることで、一緒にセルフィーをとって欲しいというのが多い。二人も快く対応し、ファンたちはそれぞれ数枚取ると礼を言って去っていった。
「アルフがいるとファンが増えたって錯覚しそうだよ」
 撮影の後片付けを手伝いながら、ルイスがそんなことを言うのでアルフは驚いた。
「ええっ。あのファンの子達、みんなルイスのファンだと思うよ? 手帳とかにも君の写真ばっかりだったし」
「そうかな……」
「うん、そうだよ。どうしたの、そんなこと言うなんて。何かあった?」
 ルイスはなんでもない、と暗い顔で首を振った。
「おーい! アルフくん、ちょっと来てくれるかー?」
「はぁーい! 今行きます!」
 アルフは返事をすると、ルイスを気にかけながら立ち上がって駆けていく。その様子を見送って、ルイスは近くにいた衣装担当のスタッフに声をかけた。
「これ、僕の私物なんだけど、撮影に使えないかな? アルフに似合うと思うんだけど」
 ルイスはそう言って、赤い石を嵌め込んだ男物のネックレスを取り出した。
「へえ、綺麗だね! うん、今日のテイストにも合うし使ってみるよ。ありがとう!」
 スタッフはそう言ってアルフの元へ向かっていく。ルイスの目と赤い石がキラリと鈍く光った。