白い満月が美しい夜だった。
バンの扉を開けた時、そう思った。

僕とミカちゃんがバンを降りると、大人達はすぐに僕たちやバンの中にいるゼロのところに駆け寄った。
僕とミカちゃんのもとにはあのおじさんがやってきた。
「君たちは…」
僕とミカちゃんは手を繋いで必死に涙を堪えていた。僕はバンの方を無言で指さした。
おじさんは促されるようにバンの方へと向かった。
ミカちゃんが、その背中を見つめながら言った。
「あんなに威勢よく色々と言ってたくせにさ、私いざとなったらなんにも出来なかった」
「そんなことないよ。僕だけだったらきっと逃げ出してた。そもそも最初からゼロとこんなふうに仲良くなんてなれなかったし。
全部、ミカちゃんのおかげだよ」
ミカちゃんは糸が切れたみたいに泣き出した。
僕もミカちゃんを抱きしめて一緒に泣いた。

***

あの時、ゼロは僕とミカちゃんに向き合うようにして座っていた。
上着を脱いでTシャツをめくると、ちょうど胸のあたりの位置にパカリと開く正方形の扉のようなものがあった。
ゼロは扉についた小さな溝に指を引っ掛けるようにしてそれを開けた。
黒っぽいベースの中にぽつんと一つ赤い押しボタンが見えた。
ゼロはそれを指差して僕らに言った。
「これが僕の停止ボタン。これを押したら色んな記憶がリセットされて、僕は初期化するようになってる」
わかっていたことでも、いざ自分の前にそれが示されるとどうしても二の足を踏んだ。
それでも、僕は押さなければならない。
僕とミカちゃんは選んだのだから。
たとえ記憶が失われても、ゼロの存在そのものを失いたくはなかった。
アンドロイドにこんな言い方はおかしいのかもしれないが、僕たちはゼロに生きていて欲しかった。
どこにいても、もう二度と今までみたいに笑い合うことが出来ないとしても。
だから、僕らはボタンを押すことに決めた。
ゼロが示したボタンに指を伸ばす。
僕の指先は情けないほどに震えていた。
ダメだ、やっぱり押せない。
そう挫けそうになったとき、隣から指がすっと伸びてきた。ミカちゃんだった。
「一緒に押そう。一緒に押せば悲しいのも苦しいのも半分こできる」
ミカちゃんの指も震えていた。
目にはいっぱい涙を湛えていたし、僕に負けないくらいにぐずぐずのボロボロだった。
でもたしかに、ぐずぐずのボロボロが二人力を合わせれば、なんとか一人分の仕事くらいは果たせるのかもしれなかった。
「それじゃ、いくよ」
ミカちゃんが言った。僕もうなずく。
「せーの」

***

「一緒に押してよかったのかも、あのボタン」
泣き止んだミカちゃんがぽつりと呟いて、僕は思わず聞き返した。
「よかったって?」
ミカちゃんの顔からはいつもみたいな気丈さは抜け、その代わりに影がさしていた。
「どっちがゼロをリセットさせたのか、二人で押したからわかんなくなったでしょ?だから自分があの子の時間を止めてしまったんだって責任を一人きりで背負う必要がなくなった。責任も後悔も半分ずつ。ね、よかったでしょ」
僕は答えられなかった。
だって、それは本来僕だけが負うはずのものだったから。ミカちゃんを巻き込んだのは僕で、ミカちゃんはそんなこと、考える必要もなかったはずなのに。
「ごめんね、僕のせいで巻き込んじゃって」
「ばか違うよ。そうじゃない」
僕がミカちゃんを見ると、ミカちゃんは何かを決めたというように凛とした顔をしていた。
大人の女の人みたいで、僕はまた少しどきりとした。
「私は私が大事だって思ったものを選んだの。いつだってそれは変わらない。大輔やゼロと一緒にいることも私が選んだんだし、ゼロの時間を一緒に止めるってことも私が選んだ。だから大輔のせいじゃない。それにね、私、今決めたの」
「決めたって、なにを?」
ミカちゃんの視線の先では大人達がうろうろと忙しなく動き回っている。
「私はあいつらのしたこと許さない。絶対にこんなの間違ってる。だから私、いっぱい勉強してあいつらのトップになる。そんで今やってること全部ぶち壊してやるんだ」
僕はなんて答えたらいいかわからなくて、うんとだけ言って、もう一度ミカちゃんの手を握った。
その手はいつもよりもひんやりしていて、僕はゼロのかたい手のひらを否が応にも思い出してしまうのだった。