その日の放課後。
珍しくいじめられない平和な一日を過ごした私は、羽が生えた足でスキップしながら樹海へと吸い寄せられた。そして、相変わらず柔らかい微笑を浮かべてのんびり散策する先生と目が合った瞬間、ここ最近……いや、もしかしたら生まれてから今に至るまでで一番嬉しい出来事を、私は口を開くや否や生き生きと語り始めた。
「ねえねえ、聞いてよ先生! 私をいじめてた奴が昨日死んだんだって! ほんっと最高の気分っ!」
私の異常なテンションと物騒な言葉に、先生は目を何度も瞬かせて唖然とした。
そう、今朝クズ教師が初めて私を喜ばせた有益な情報は、これだ。
直接的に私をいじめていたのは、主に三人の同級生だった。名前は……どうでもいい。思い浮かべるだけで腹が立つし、覚えているだけで記憶容量の無駄だ。
とにかく、その中でもリーダー格だった高慢で単細胞で品のないクズ女が昨日の夜、自宅二階の窓から転落して死亡したらしい。青ざめたクズ教師の口からその事実が告げられた瞬間、どよめく教室の中で私は歓喜のあまり思わず拳を机の下でグッと握り締めてしまった。
「さすがに今日は嫌がらせもされなかったし、こんな愉快な日はすっごい久しぶり! でも、周りはお通夜みたいになってるからさぁ、顔がにやけるのを我慢するのが大変だったよ~」
「……それは……頑張ったね。それにしても、良かったよ。君が元気そうで……」
「そりゃ、元気にならない理由がないでしょ。でも変だよねー、アイツなんで落ちたんだろ? 自殺なんてあり得ないし、事故って感じでもなさそうだし。……あっ、もしかして天罰かな? だとしたら本気で神様を信じちゃうかも。ね、先生」
昨日までとは打って変わって、気持ち悪いくらい上機嫌でべらべらと捲し立てる私に、先生は反応に困ったようにぎこちない笑顔を返した。
「あはは……ところで、さっきから気になってたんだけど……その『先生』ってのは俺のこと?」
「うんっ! さん付けもめんどくさいし、なんか喋り方とか雰囲気とか、うちのクズ教師よりずっと先生っぽいもん」
空も飛べそうなくらい浮かれきっていた私は、近くに落ちていた木の枝を子供みたいに振り回して、舞い落ちる枯れ葉を意味もなくぺしぺしと叩きながら陽気に答える。昨日までの、死んだ魚のような目で首を吊ろうとしていた女と同一人物とは思えない所業だ。
「そう、かな……。まあ、気を遣わず砕けて話してくれた方が俺も嬉しいよ」
「先生も、私のことさん付けなんてしなくていいのに。年上なのに変な感じ~」
かつてない程に興奮しているとはいえ、数日前に会ったばかりの人に対して、どうしてこんな腹の底まで曝け出しているのか。それはきっと、いじめのことを正直に打ち明けられる唯一の人、だからだろう。
その後も私は、アップテンポなノリのいい曲を歌うように、あるいは自らの輝かしい武勇伝を語るように、ほとんど一方的に時間も敬語も忘れて夢中になって話し込んだ。先生は最初だけ少し複雑そうな顔をしていたけど、それでも心から嬉しそうに「良かったね」と言って喜んでくれた。
すごく楽しくて、清々しくて、懐かしかった。この気持ちが、ずっと続けばいいのにと、そう思った。
だけど……。
だけど、そんな淡い期待は、あまりにも早く、脆く崩れ去ってしまった。
――あいつの葬儀が終わった、わずかニ日後。
何事もなかったかのように、それが当たり前かのように、いじめは無慈悲に再開された。上履きは泥だらけでゴミ箱に捨てられて、机とノートには悪口が乱雑に書き殴られ、みんなには露骨に無視されて、体育のバスケでは何度もボールを勢いよくぶつけられて、放課後にはバケツ一杯の水を頭から浴びせられた。
相変わらず、あいつらは何が面白いのか分からない。私の何が気に食わないのか分からない。何があいつらをいじめに突き動かしているのか、何一つ分からない。
結局、何も変わらなかった。ただ嫌な奴が一人減っただけだった。
薄々……いや、内心ではそうなるんじゃないかと思ってはいた。少なくとも、「やっと楽しい学校生活を送れる」なんて楽観的に考えてはいなかった。ただ、現実逃避して深く考えないようにしていた。
だけど、実際に改めて無慈悲な悪意を向けられた時、やっぱりかと素直に受け入れられる程、私の心は強くなかった。
珍しくいじめられない平和な一日を過ごした私は、羽が生えた足でスキップしながら樹海へと吸い寄せられた。そして、相変わらず柔らかい微笑を浮かべてのんびり散策する先生と目が合った瞬間、ここ最近……いや、もしかしたら生まれてから今に至るまでで一番嬉しい出来事を、私は口を開くや否や生き生きと語り始めた。
「ねえねえ、聞いてよ先生! 私をいじめてた奴が昨日死んだんだって! ほんっと最高の気分っ!」
私の異常なテンションと物騒な言葉に、先生は目を何度も瞬かせて唖然とした。
そう、今朝クズ教師が初めて私を喜ばせた有益な情報は、これだ。
直接的に私をいじめていたのは、主に三人の同級生だった。名前は……どうでもいい。思い浮かべるだけで腹が立つし、覚えているだけで記憶容量の無駄だ。
とにかく、その中でもリーダー格だった高慢で単細胞で品のないクズ女が昨日の夜、自宅二階の窓から転落して死亡したらしい。青ざめたクズ教師の口からその事実が告げられた瞬間、どよめく教室の中で私は歓喜のあまり思わず拳を机の下でグッと握り締めてしまった。
「さすがに今日は嫌がらせもされなかったし、こんな愉快な日はすっごい久しぶり! でも、周りはお通夜みたいになってるからさぁ、顔がにやけるのを我慢するのが大変だったよ~」
「……それは……頑張ったね。それにしても、良かったよ。君が元気そうで……」
「そりゃ、元気にならない理由がないでしょ。でも変だよねー、アイツなんで落ちたんだろ? 自殺なんてあり得ないし、事故って感じでもなさそうだし。……あっ、もしかして天罰かな? だとしたら本気で神様を信じちゃうかも。ね、先生」
昨日までとは打って変わって、気持ち悪いくらい上機嫌でべらべらと捲し立てる私に、先生は反応に困ったようにぎこちない笑顔を返した。
「あはは……ところで、さっきから気になってたんだけど……その『先生』ってのは俺のこと?」
「うんっ! さん付けもめんどくさいし、なんか喋り方とか雰囲気とか、うちのクズ教師よりずっと先生っぽいもん」
空も飛べそうなくらい浮かれきっていた私は、近くに落ちていた木の枝を子供みたいに振り回して、舞い落ちる枯れ葉を意味もなくぺしぺしと叩きながら陽気に答える。昨日までの、死んだ魚のような目で首を吊ろうとしていた女と同一人物とは思えない所業だ。
「そう、かな……。まあ、気を遣わず砕けて話してくれた方が俺も嬉しいよ」
「先生も、私のことさん付けなんてしなくていいのに。年上なのに変な感じ~」
かつてない程に興奮しているとはいえ、数日前に会ったばかりの人に対して、どうしてこんな腹の底まで曝け出しているのか。それはきっと、いじめのことを正直に打ち明けられる唯一の人、だからだろう。
その後も私は、アップテンポなノリのいい曲を歌うように、あるいは自らの輝かしい武勇伝を語るように、ほとんど一方的に時間も敬語も忘れて夢中になって話し込んだ。先生は最初だけ少し複雑そうな顔をしていたけど、それでも心から嬉しそうに「良かったね」と言って喜んでくれた。
すごく楽しくて、清々しくて、懐かしかった。この気持ちが、ずっと続けばいいのにと、そう思った。
だけど……。
だけど、そんな淡い期待は、あまりにも早く、脆く崩れ去ってしまった。
――あいつの葬儀が終わった、わずかニ日後。
何事もなかったかのように、それが当たり前かのように、いじめは無慈悲に再開された。上履きは泥だらけでゴミ箱に捨てられて、机とノートには悪口が乱雑に書き殴られ、みんなには露骨に無視されて、体育のバスケでは何度もボールを勢いよくぶつけられて、放課後にはバケツ一杯の水を頭から浴びせられた。
相変わらず、あいつらは何が面白いのか分からない。私の何が気に食わないのか分からない。何があいつらをいじめに突き動かしているのか、何一つ分からない。
結局、何も変わらなかった。ただ嫌な奴が一人減っただけだった。
薄々……いや、内心ではそうなるんじゃないかと思ってはいた。少なくとも、「やっと楽しい学校生活を送れる」なんて楽観的に考えてはいなかった。ただ、現実逃避して深く考えないようにしていた。
だけど、実際に改めて無慈悲な悪意を向けられた時、やっぱりかと素直に受け入れられる程、私の心は強くなかった。