瀧上(たきがみ)優菜(ゆな)、二年生。
 大人しい性格をしていて、授業態度は真面目で勤勉。部活動はしておらず運動は得意ではないが、勉強の成績は学年で上位に入るほど優秀。意外にも毎朝遅刻間際に登校しているのが印象に残ったが、顔を合わせて挨拶した時も、授業中に各教室を巡回した時も、特に気になる点はなかった……はずだった。
 それなのに……。

「……一年くらい前から……大したことない嫌がらせでしたけど……最近は、だんだん酷くなってきて……もう……もう、私……」

 きっと、今までは周囲に悟られないよう気丈に振舞ってきたのだろう。いつか終わる日を信じて、耐えて、耐えて、耐えて……だけど、ついに耐え切れなくなったのだ。
 俺は、自分の未熟さが情けない。こんなに生徒が憔悴する前に気付けなくて、どうしてスクールカウンセラーを名乗れるというのか。

「よく……今まで我慢できたね。辛かっただろう……優菜さんは本当に偉いよ。そして、俺に相談してくれてありがとう。これからは、一人で抱えこまなくていい。そのために俺はいるんだから」
「春原さん……」

 だけど、良かった……俺に打ち明けてくれて。まだ大丈夫だ。まだ間に合う。
 一人ではどうしようもない問題でも、誰かが一緒に悩んで、考えて、戦えば、きっと解決できる。かつての俺のように。

「俺だけじゃない。ご両親、教師の皆さん、教育委員会も、みんな優菜さんを助けてくれる。みんなで協力して頑張ろう。俺達に出来ることは遠慮しないでなんでも言っていいんだよ」

 社会は、正しく善良な人間の味方だ。悪質ないじめをする敵よりも、自分の味方の方が遥かに多い。当たり前のことだが、心が深く傷つくと周りが見えなくなってしまう。それに気付かせて少しでも不安を和らげたかったのだが、優菜さんは苦しそうに顔を歪めて深く俯いてしまった。

「……でも……両親には、迷惑かけたくないし……先生は……きっと助けてくれないと思います……」
「……そっか……親思いで優しいね。それと、俺を頼ってくれて嬉しいよ。少なくとも、俺は何があっても優菜さんの味方だから、安心して」

 教師が助けないなんて、そんなことはない――と思ったが、気持ちは分かる。教師は常に子供を最優先に行動するが、子供の目線では誤解されることがままある。それに、こういう時は何事も悪い方に悪い方にと考えてしまうものだ。俺もそうだった。
 それから、優菜さんは一年に渡って受け続けた陰険ないじめの詳細について時間をかけて語り始めた。忌まわしい記憶を呼び起こし、嗚咽を必死に堪えて、ぼろぼろと大粒の涙を流し、消え入りそうな震える声で、少しずつ、少しずつ……。

「す……春原……さん……?」
「え…………?」

 気づけば、俺の目からも涙がこぼれていた。頼りない姿を見せるべきじゃないのに、慰めないといけない立場なのに、俺の意思に反して溢れる涙は一向に止まらない。

「あっ、ご、ごめん……辛いのは優菜さんなのに……」
「いえ……あの、嬉しいです……私の話、本気で聞いてくれて……」

 何をやっているんだ、俺は。カウンセラーとして……いや、それ以前に大人として、なんて情けないんだ。
 目を擦って懸命に涙腺を引き締めるが、この日のために勉強したはずの心理学もカウンセリング技法も、完全に頭から吹き飛んでしまった。しかし、これ以上醜態を晒すわけにはいかない。
 ほんの少しだけ表情が和らいだ優菜さんに、改めて俺は昔を思い出しながら心から共感し、同情し、元気づけた。
 打算が潜んだ小手先の話法を捨てて、ありのままの気持ちを……。
 あの時、自分が欲しかった言葉を……。
 あの時、自分がもらった……自分を救ってくれた言葉を――。

「……ありがとうございます……なんだか、少しすっきりしました」

 ひとしきり話し終えた優菜さんは、まだ心身の疲労が色濃く残っていたものの、暗い瞳にわずかな光が灯ったように感じられた。

「あ、あの……また、相談しに来ても……いいですか……?」
「もちろん。何かあってもなくても、来たい時にいつでも来て欲しい。俺は大抵ここにいるから」