「はぁ……何やってんだろ、私……」

 先生から逃げ、私は駅近くのショッピングモールに来ていた。
 真っ直ぐ家に帰らず寄り道をしている理由は、誕生日プレゼントを買うためだ。贈り先は私。自分へのご褒美では、もちろんない。そんなに頑張ってはないし、そんなに欲しい物もない。あまりにも虚しい行為だが、今日はどうしても用事があって来れない親友からもらった……という設定にするためには、どうしても必要不可欠なのだ。

「う~~ん、何にしようかなぁ……高い物は買えないけど、あんまり安すぎても嘘っぽくなる気がするし……」

 とりあえず、今後かなり消費するであろう文房具類を中心に実用性を重視した物を購入し、プレゼント用に丁寧にラッピングしてもらう。これほど罪深い紙資源の無駄はないだろうなぁとげんなりしながら外へ出ると、実際の気温より冷たく感じる乾いた風が容赦なく肌に突き刺さる。

「後は私の演技力次第か……あ~……気が重いなあ……」

 まあ、自業自得なんだけど……。
 胸に居座る自己嫌悪の気持ちを無理矢理に奥へと押しやり、私は覚悟を決めて歩みを進めた。平日の中途半端な時間のためポツポツとしか人のいない寂れた駅を通り過ぎようとした、その時――

「……あんたが……あんたが悪いんだから……!」

 ガラスを引っ掻くような、本能的に人を不快にさせる耳障りな声が、耳元で聞こえた。
 ぞわっと肌が粟立つくらいの嫌悪感を感じるのとほぼ同時に、これまでの人生において経験したことのない激痛が右脇腹を襲った。
 痛覚以外の全ての感覚、あらゆる思考が頭から吹き飛び、呼吸すらままならない。燃え盛る炎のように熱い痛みは即座に生命力を焦がし、私は地面に崩れ落ちた。

「うっ……ぐ……うぅ……」

 自分の身に何が起こったのか。確認する気力も、考察する余裕もない。しかし、ただ一つ確信が持てる事実。ついさっき聞こえた声の主を、思うように動かない脱力した体を無理矢理動かしてキッと睨みつける。

「ひッ――!」

 目が合うや否や、恐怖に満ちた甲高い金切声を上げて後ずさったのは……私を散々いじめ続けてきた、クズ女だ。真っ青な顔で小刻みに震え、べったりと血の付いた包丁を両手で固く握り締めたクズ女は、倒れた私を見下しながら荒い呼吸でぶつぶつと呟く。

「あ、あんたが……あの二人を、こっ、こっ、殺したから……。あた、あたしは、死にたくないっ……こうしなきゃ、あたしも……。悪くない、あたしは、悪くない……っ」

 そんな訳の分からないことを自分に言い聞かせるように吐くクズに、私は全身の血が沸騰して頭に上っていくような感じがした。
 何を……何を言っているんだ、こいつは。私が、あの二人を殺した? 殺される前に殺そうとしただけで、自分は悪くない? そう言いたいのか? 本気でそう言っているのか?

「ふざっ……けんな! 私は、何もしてない! お前らが、今まで私に何をしてきたか覚えてる?! よくも……そんな勝手なことを……っ!」

 刺された腹部の感覚が麻痺して……いや、怒りの方が遥かに上回り、痛さなんて気にならなくなった私は、お腹の底から積年の恨みをぶつけるように叫んだ。

「なんでっ……なんで、あんな酷いことしたのっ!? 私が何をしたの?! 私は何もしてない! お前らとは違う! 私は本当に、何もしてないのにっ!!」

 異常に気付いた周囲の喧騒も、じわじわと血が流れ出ていく創傷部も、何もかもどうでもいい。今まで見せたことのない私の激しい剣幕に、クズは狼狽しながらも血色の悪い唇を強く噛んで言い返した。

「しっ、しょうがないじゃない……あたしが、あいつらの悪口言ってたのが、バ、バレそうになって……。誰か……誰か身代わりにしなかったら、あたしがいじめられてたんだからっ!」
「は…………はぁ!?」

 あまりに自分勝手な理由に、私は耳を疑った。つまり、こいつの悪口を私が言ったことにされて……たったそれだけで、そんな理不尽な理由で、私は一年以上も虐げられてきたというのか。
 ずっと……今までずっと、納得できなかった。なんで私はいじめられているのだろうと。こいつらはいつも「ムカつく」とか「うざい」としか言わず、心底ふざけていると思ったが、本当の原因は……なおさら受け入れられるものではなかった。
 何より……こいつは今まで、あの死んだ二人と一緒に嬉々として私をいじめてきた。我が身可愛さで自分の悪行を私になすりつけておいて謝罪一つなく、申し訳なさそうな顔も一切せず、強者に取り入り人をいたぶって楽しんでいたことが、どうしようもなく許せない。
 あまつさえ、自分の行動を棚に上げて被害妄想で私を殺そうとしているだなんて……!

「こ……この……っ!」

 今すぐこのクズをぶん殴ってやりたいという衝動に駆られるが、沸々と煮えたぎる憎悪に反して、体から力が抜けていく。傷自体は深くなさそうだが、立ち上がることすらできない。
 周りの人達も、血に濡れた包丁と明らかに正気を失っているクズ女を警戒して、直接の介入をためらっているようだ。

「これから先、ずっとあんたに、こ、殺されるんじゃって、びくびくしながら生きていくなんて、あたし……耐えられないっ……! それならいっそ、今やっちゃえば……未成年なら、大した罪にもならないし……っ」

 血走った目で包丁の切っ先を真っすぐ私に向け、クズ女は覚悟を決めたかのように力強く踏み出した。一歩……また一歩と着実に近づいてくる。おそらく誰か警察は呼んでいるだろうが、とても間に合わない。
 ――こんな……こんなところで、私は死ぬの……? やっといじめがなくなり、絶対に叶えたいと思える将来の夢を見つけて……目標となる、尊敬できる人を追いかけられると……新たな人生を踏み出せると、そう思った矢先に……。

「…………た……助けて…………」

 ついにクズ女が目の前まで迫り、足を止める。
 そして……醜く歪んだ殺意を込めた鋭利な刃が勢いよく振り下ろされ、無防備な私の心臓に吸い寄せられていく。
 死の間際に抱いた強い感情は、目の前のクズに対する怨嗟と、不遇な人生に対する悲哀と、親孝行できなかった両親に対する悔恨と……それと、憧れのあの人に対する感謝と、もっともっと話したかったという渇望だった。

「助けて…………先生……っ!」

 ぎゅっと目を瞑り、体を強張らせる。
 せめて、どんなに痛くても声は上げない。
 ささやかな、せめてもの抵抗だ……。

「……………………?」

 しかし、一秒、五秒、十秒と経過しても、私の心臓は無事に鼓動している。
 騒がしかった周囲も、しんと静まり返っている。
 不思議に思い、そっとまぶたを持ち上げると……

「…………っがは……ぐっ……げぇッ……」

 口から泡を吹き、土気色の死人のような顔で目を剥いて苦しみに悶える、クズ女――――の首を絞め上げている、冷たい目をした先生がいた。