「お前にはいっつも金貸してもらってっからさ~、今日はお返ししてやろうと思ってんだよ。いやぁー優しいよなあ、アタシら」
「そうそう、別に借りっぱなしでもいいのにさあ、律儀にお礼するんだからマジ感謝しろよな。ってことでぇ……」
放課後、無理矢理トイレに連れ込まれた私は、勝手なことを言うクズに後ろから羽交い締めにされる。抵抗はしない。抵抗しても殴られる回数が増えるだけだから。
「良かったなあ~、そのうざったい髪、すっきりキレイにしてやるよ」
「時間もかかんねえから安心しろよ。まとめて一気に切り落とすだけだから。キャハハハハ!」
やめて。そう叫ぶことも、こいつらを無駄に喜ばせることにしかならない。どれだけ必死に求めたところで誰も助けになんか来てくれないことは、もう理解している。
「言っとくけど、動かねえ方がいいぞ。間違えて別のとこ切っちまうかもしれねえからなぁ~」
「……ッ」
ギュッと唇を引き結んで理不尽に耐える私に、ニタニタと下卑た笑みを浮かべたクズが百円で売っている安っぽいハサミの刃を威圧的に向ける。
ああ……早く終わってほしい……。
この時間が……今日が……明日が……高校生活が……。
早く……お願いだから、早く終わって…………。
――学生の頃に戻りたい、と大人はよく言う。
ブラック企業で奴隷のように酷使される社蓄ばかりでなく、大手企業で勝ち組の人生を謳歌するリア充だって同じだ。たとえ勉強にも部活にも打ち込まず、友達が多かったわけでも恋人がいたわけでもない冴えない生活を送っていたとしても、戻れるのなら戻りたいと切に願う。それほどまでに、多くの人にとって青春時代は眩しく、尊く、素晴らしく、何物にも代え難い価値のある時間なのだろう。
でも、私は違う。
私は確信できる。大人になっても、おばさんになっても、おばあちゃんになっても、寝たきりになって命が尽きる寸前になっても、私は今の……高校生の頃に戻りたいと思うことは、絶対にない。
これから先、何があろうと、絶対に――――
仲間外れにされる。
暴言を吐かれる。
叩かれる。
蹴られる。
髪を切られる。
机に落書きされる。
教科書を破かれる。
筆記用具を壊される。
靴を隠される。
お金を要求される。
万引きを強制される。
SNSで誹謗中傷される。
そんな陰湿で卑劣ないじめは、自分とは全く無縁だと思っていた。少なくとも、高校に入学してしばらくしてから現在にかけての約一年もの間、片時も忘れられないほど私を苦しめることになるとは夢にも思っていなかった。
なんで私がいじめられなければいけないのか。私が何をしたのか。私の何が気に入らなかったのか。何度も何度も自分の心に問いかけるが、答えは一向に見つからない。
一体どうすれば……この地獄から解放されるのだろう……。
「……ここ……は……」
重い足取りで学校から真っすぐ帰路についていたはずの私は、ふと我に返ると鬱蒼とした樹海でぽつんと立ち尽くしていた。しつこい残暑も眩しい夕焼けも断絶する異質な空間の中たった一人、私はかすかに粟立つ肌を擦りながら周囲を見回す。
一度も来たことはない。見覚えもない。が……放課後から今に至る記憶が徐々に鮮明になるにつれ、ここが自宅からほど近いとある場所であることを悟った。
どうしようもない陰鬱とした思いが頭の中をもやもやと漂い、心ここにあらずの状態であったために潜在意識が求める場所へ自然と足が向いてしまった……とするならば、どうやら私はかなり重症のようだ。
なぜなら、ここは全国的にも有名な自殺の名所なのだから。
「何やってんだろう、私……早く帰らなきゃ……お父さんとお母さんが心配しちゃう……」
そう自分に言い聞かせて踵を返そうとするが、ふらついていた足は地面に根を張ったようにぴくりとも動かせない。不意に視界がぼやけて目を擦り、そこで初めて止めどなく流れる涙に気が付いた。
心も、体も、ここから去ることを拒んでいる。その理由は、考えるまでもなかった。
「……死にたいの?」
不意に聞こえてきた、低くゆったりとした声。
俯いていた顔を上げて振り返ると、生い茂る木々と薄暗闇に紛れて、濃紺色のスーツを着た二十代半ばと思しき若い男が穏やかに微笑んでいた。
いつの間に……いつからそこにいたのだろうか。警戒して後ずさる私を見ても慌てることなく、男は笑みを深めて言葉を重ねる。
「ああ、驚かせてごめん。こんな場所で知らない人が突然話しかけてきたら、そりゃ怖いよな……。でも大丈夫、安心して。俺は……」
男は胸ポケットから名刺を取り出し、「一応これも」と言って運転免許証のような顔写真付きのカードを添えた。危害を加えるつもりならこんな行動は取らないだろうと判断し、私は身構えながら恐る恐るそれを手に取る。
「……春原……大晴……スクールカウンセラー……」
名刺の文言をぽつりと呟くと、男は小さく頷いた。
「そうそう、別に借りっぱなしでもいいのにさあ、律儀にお礼するんだからマジ感謝しろよな。ってことでぇ……」
放課後、無理矢理トイレに連れ込まれた私は、勝手なことを言うクズに後ろから羽交い締めにされる。抵抗はしない。抵抗しても殴られる回数が増えるだけだから。
「良かったなあ~、そのうざったい髪、すっきりキレイにしてやるよ」
「時間もかかんねえから安心しろよ。まとめて一気に切り落とすだけだから。キャハハハハ!」
やめて。そう叫ぶことも、こいつらを無駄に喜ばせることにしかならない。どれだけ必死に求めたところで誰も助けになんか来てくれないことは、もう理解している。
「言っとくけど、動かねえ方がいいぞ。間違えて別のとこ切っちまうかもしれねえからなぁ~」
「……ッ」
ギュッと唇を引き結んで理不尽に耐える私に、ニタニタと下卑た笑みを浮かべたクズが百円で売っている安っぽいハサミの刃を威圧的に向ける。
ああ……早く終わってほしい……。
この時間が……今日が……明日が……高校生活が……。
早く……お願いだから、早く終わって…………。
――学生の頃に戻りたい、と大人はよく言う。
ブラック企業で奴隷のように酷使される社蓄ばかりでなく、大手企業で勝ち組の人生を謳歌するリア充だって同じだ。たとえ勉強にも部活にも打ち込まず、友達が多かったわけでも恋人がいたわけでもない冴えない生活を送っていたとしても、戻れるのなら戻りたいと切に願う。それほどまでに、多くの人にとって青春時代は眩しく、尊く、素晴らしく、何物にも代え難い価値のある時間なのだろう。
でも、私は違う。
私は確信できる。大人になっても、おばさんになっても、おばあちゃんになっても、寝たきりになって命が尽きる寸前になっても、私は今の……高校生の頃に戻りたいと思うことは、絶対にない。
これから先、何があろうと、絶対に――――
仲間外れにされる。
暴言を吐かれる。
叩かれる。
蹴られる。
髪を切られる。
机に落書きされる。
教科書を破かれる。
筆記用具を壊される。
靴を隠される。
お金を要求される。
万引きを強制される。
SNSで誹謗中傷される。
そんな陰湿で卑劣ないじめは、自分とは全く無縁だと思っていた。少なくとも、高校に入学してしばらくしてから現在にかけての約一年もの間、片時も忘れられないほど私を苦しめることになるとは夢にも思っていなかった。
なんで私がいじめられなければいけないのか。私が何をしたのか。私の何が気に入らなかったのか。何度も何度も自分の心に問いかけるが、答えは一向に見つからない。
一体どうすれば……この地獄から解放されるのだろう……。
「……ここ……は……」
重い足取りで学校から真っすぐ帰路についていたはずの私は、ふと我に返ると鬱蒼とした樹海でぽつんと立ち尽くしていた。しつこい残暑も眩しい夕焼けも断絶する異質な空間の中たった一人、私はかすかに粟立つ肌を擦りながら周囲を見回す。
一度も来たことはない。見覚えもない。が……放課後から今に至る記憶が徐々に鮮明になるにつれ、ここが自宅からほど近いとある場所であることを悟った。
どうしようもない陰鬱とした思いが頭の中をもやもやと漂い、心ここにあらずの状態であったために潜在意識が求める場所へ自然と足が向いてしまった……とするならば、どうやら私はかなり重症のようだ。
なぜなら、ここは全国的にも有名な自殺の名所なのだから。
「何やってんだろう、私……早く帰らなきゃ……お父さんとお母さんが心配しちゃう……」
そう自分に言い聞かせて踵を返そうとするが、ふらついていた足は地面に根を張ったようにぴくりとも動かせない。不意に視界がぼやけて目を擦り、そこで初めて止めどなく流れる涙に気が付いた。
心も、体も、ここから去ることを拒んでいる。その理由は、考えるまでもなかった。
「……死にたいの?」
不意に聞こえてきた、低くゆったりとした声。
俯いていた顔を上げて振り返ると、生い茂る木々と薄暗闇に紛れて、濃紺色のスーツを着た二十代半ばと思しき若い男が穏やかに微笑んでいた。
いつの間に……いつからそこにいたのだろうか。警戒して後ずさる私を見ても慌てることなく、男は笑みを深めて言葉を重ねる。
「ああ、驚かせてごめん。こんな場所で知らない人が突然話しかけてきたら、そりゃ怖いよな……。でも大丈夫、安心して。俺は……」
男は胸ポケットから名刺を取り出し、「一応これも」と言って運転免許証のような顔写真付きのカードを添えた。危害を加えるつもりならこんな行動は取らないだろうと判断し、私は身構えながら恐る恐るそれを手に取る。
「……春原……大晴……スクールカウンセラー……」
名刺の文言をぽつりと呟くと、男は小さく頷いた。