金糸雀色のワンピースに袖を通して、白いハイヒールの靴に足をおさめる。
 鏡の前で一周くるりと回ってみた。以前とは違う。髪を切った新しい自分。
 心が躍る。自分で言うのは恥ずべきことだが、美しいと思った。
 鏡に映るのは可憐な少女。少し、幼くなった気はするけれど、年相応のような気もする。
 動く度に揺れるフレア。影がゆらめき、気分も華やかになってくる。

 コツン、とヒールと床で音を鳴らして、来た道を引き返す。
――どんな反応をするのか、楽しみだわ
 千代は胸を躍らせながら扉を開けた。

 目に入ったのは、今か今かと待ちわびていた茂と静子だ。
 思わず、ふ、と吹き出した千代に、2人は満足そうに笑った。

「美しいよ、千代」
「ええ、本当に綺麗だわ。ちょっと待って」

 静子は小走りでどこかに行ったと思ったら、すぐに戻ってきた。そして、きんちゃく袋から棒状のものを取り出した。蓋を開けると、中は真っ赤だった。

「静子さん、それは?」
「紅よ。今はね、こういう棒状になった紅が発売され始めたの」
「初めて見るわ」

 静子は少し笑って、赤い棒を唇に近付ける。それを茂が横からかすめ取った。

「それは、僕がつけたいな」

 静子と千代は目配せをする。静子は紅を茂に手渡す。茂が、目の前に跪いた。
 指先が顎に触れる。少し顎があげられ、色素が薄めの茶色い瞳と目が合った。微笑む。紅が唇に触れられ、上、下と優しく撫でる。
 できたよ、と茂は言った。静子は小さなため息と一緒に、うっとりと微笑んだ。

「これで立派な、モダン・ガールだ」

 頬が赤い。火照る。茂の顔が近かった。鏡を見る。金糸雀色のワンピース、白いハイヒール、おかっぱの髪、赤い紅。昨日までの千代とは違う。生まれ変わったような気分だった。

「モダン・ガール……」
「どうして君にこうなってほしかったのか、僕の話を聞いてくれるかい?」

 ええ、と千代は頷く。静子は茂と目を合わせた後、控室へと去っていった。理容館には茂と千代の二人だけがいる。

「僕はね、これからの時代は女性が引っ張っていくべきだと思っているんだよ」
茂は話始める。
「僕は成金でね。でもそれも、今は輸出業が盛んだから成り立っているだけで、いつかは必ず廃れると思うんだ。そんな時に目に付いたのが、女性さ」
「女性、ですか」
「そう、女性だよ。これからは、女性が輝く時代さ。だから、化粧も、ファッションも、髪型も、もっと自由に、美しくなるべきだと思っている」
「それで、どうして私に、こんなことを?」

 千代は尋ねた。時代の最先端に連れて行く、と言われた。その上衣装や化粧、髪型までも変えられて、それも全て茂のお金だ。見ず知らずの女性にここまでする意味が分からなかった。他にも女性は沢山いるのに。

「君には、広告塔になってほしいんだ。僕には君のような美しい女性が必要なんだ」
「そんな、私はそんなに、美しくなんかありませんわ」
「いいや、君は美しい。もちろん、外見だけじゃない。中身の美しさも。凛として、強く、華やかで。美しさで勝負できるのは女性の特権だよ」

 あなただって美しいのに、と千代は思った。
 茂の顔を見ると、胸がどうしようもなくうるさくなる。時には自分の声をかき消すくらいに。

「でも、私、もう婚約が近いのですよ」

 泣きたくなった。結婚。それは自由とは正反対の言葉だ。常に家の名字を背負い、誰かの妻として行動を監視される。それに、立花家はここ一体で名前は知らない人はいないほどの大富豪だ。そんな自分が、広告塔になんかなれるはずがない。

「問題ないよ」茂は答えた。「――僕の実家は、立花造船だからね」
 ひゅう、と息を吸い込む音がした。立花造船。千代の嫁ぐ場所だ。
「じゃあ、もしかしてあなたは――」

 立花造船の子息だ。義母の綾子の声が頭の中で反芻する。「長男は行方不明、次男は引きこもり――」
 情報とは違っているが、立花で成金と言えばそこしかない。
 最初から、知っていたという事か。私が立花家に嫁に行くことを。

「全部、知っていたのですね」
「すまない、でも――」
「聞きたくありませんわ」

 千代は立ち上がり走り出した。宙を浮くようだった足は、地下に潜りそうなくらい重かった。金糸雀色のワンピースが軽い。なんて動きやすいのかしら。これも茂から与えられたものだというのに。
 令嬢が、泣いてはいけない。こんなところで泣いてはいけない。
 母の言葉を頭に思い浮かべる。泣いてはいけない。泣いては、いけない。