「今回の男って、どこで会ったのさ」
「ん。会社の同僚の紹介」
「へえ。でも付き合うってことは、初めは何か心に響くものがあったんだろ。相手のどこがよかったんだよ」
「今となっては、何がよかったんだろう。自分でもよくわかんない」
「ほーん」
よくわかんない……なんて言葉は本当は嫌いなのだけど、今は本当によくわかんないんだからしょうがないだろ……という気持ちで、わたしはその言葉を放り投げた。
敦士はいつも通り、そんなふうにわたしが暴投したボールを、涼しい顔で受け止める。それでいい。ここでいきなり「真面目に答えろよ」とか激昂されても、話す気が萎えてしまう。なんとも人間らしい自分勝手な考えだけど、仕方がない。
敦士は幼馴染だ。わりと大きな都市でありつつも、郊外に行けばのどかな農村地帯が広がる街で、家業のタマネギ農家を継ぐ一人息子である。
なお、わたしは敦士の家の近所で、同じように農家を営む家からただ出てゆくだけの存在だった、三人きょうだいの二女という立ち位置だ。そうでなければ、わたしが進学を口にしたとき、親に(三人のうち一人くらいは嫁なり婿なりを連れて戻って来るだろう)などとは思ってもらえなかったに違いない。
敦士の家はわたしの家と違い、地元でも有名な大きい農家だ。農協から金を借りることもせず安定した経営を続け、敦士が本格的に家業を手伝い始めてからはさらに規模を広げているというから驚きだ。わたしはそれを、実家から送られてきた野菜のダンボールの中に、頼みもしないのに敦士のインタビューが載った広報誌がぶちこまれていたことで知った。
実家にいるのが嫌だからと言って、学業もそこそこに単に四年間をドブに捨てただけのわたしと違い、敦士は確実に前に進んでいる。その事実をまざまざと見せつけられた気がしてうんざりしたのは記憶に新しい。
だからと言って今後にやりたいこともなければ、共に未来を誓い合う相手も見つかりそうにない。本当は自分が何をどうしたかったのか、今となってはもうわからない。
まとまった連休が当たりつつも、家に居たら光熱費が嵩むと感じたわたしは、何食わぬ顔で地元に帰省することを決めた。そして、雪の降り積もる冬は農業も閑散期で、敦士も数ヶ月間におよぶ長い休みを満喫していた。もうすぐでその長い休みが明ける敦士を街中まで呼び出して、今はこうして大衆居酒屋のテーブルを挟んで向かい合っている。三分の二くらいを敦士がひとりで食べた寄せ鍋とコンロはさっき店員に片されて、今はちびちびとおつまみをつついている段階だった。
たいていの場合、わたしは男と別れると、こうして敦士に事の顛末を報告、もとい愚痴をこぼすのが恒例だった。職場の同僚にぺらぺらと自分の悲恋話を語りたくはないし、学生の頃からの友人たちはこの歳になるとみな家庭に入っており、他に気軽に呼び出して話せる相手がいなかった。
また、敦士はいつもわたしの話を程よく聞き流してくれる。別にそこまで深刻に聞いてほしいわけでもないし、過剰に熱いアドバイスも要らなかった。ただ聞いてくれる相手がいればよかった。
そういう意味では、敦士はそのすべてを叶えられる、理想の存在であったと言える。
敦士は、まだ湯気の上がっている焼酎のお湯割りを傾けた。そして、はあ……と一息ついて、頬に笑いえくぼを浮かべつつ、口を開く。
「しっかし、梢もずいぶんと果敢にトライするよな」
「どういうこと」
「普通、そんだけ何度もバッドエンドばかり迎えてたら、いい加減(自分には恋なんかできないかも)って臆病になるもんじゃないのか? それでも恋しようと思うのは、どうしてだよ」
「失敬なこと言うな。自分のとこで育ててるタマネギにもそんな声かけてんの、敦士は」
「まさか。愛情込めて育ててるっつの」
ばかやろう。こっちにも愛情を込めろよ。タマネギに注ぐうちの、スプーンひとすくいだけでもいいから。自分から別れを告げたとはいえ、一応は傷ついてるんですけど、わたし。
まあ、今更いちいちそんなことに目くじらを立てるような間柄でもない。
わずかな苛立ちの気持ちを脇に追いやると、わたしは素直に思っていることを口にした。
「……たぶん、知りたいんだと思う、わたしは」
「ん?」
「自分が理想だと思ってる男なんて本当にいるわけないじゃん……っていう、懐疑的な気持ちをぶっ壊したいというか。ぼんやり遠くに、蜃気楼みたいにもやもやと見えてるものが、実際に存在してるんだっていうことを知りたい」
「はーん。なんか今の一言によって、おれには謎が解けた気がするぞ」
これが探偵アニメなら、黒バックに「ピキーン」とかいうSEを重ねながら、ひらめく瞬間なのだろう。他の男なら面倒だから絶対にこれ以上深く突っ込まないけど、この幼馴染の話なら、まあ耳に入れてもいいかなと思う。家族やきょうだいに匹敵するくらいには、敦士はわたしの人となりをよく理解しているわけだし。
はたまた、もしかするとそれ以上か。
彼の話を聞けば、少しは真理に近づけるのかもしれない。
そんな一抹の希望を抱きつつ、わたしは「どうぞ?」と続きを促しつつ、味が薄まってきたファジーネーブルを喉に流し込んだ。
「そもそも蜃気楼って、光の屈折で、遠くにあるものが浮かんだり伸び縮みしたりする現象のことなんだよ」
「うん」
「意味わかるか」
「難しいってことがわかったね。敦士、わたしと違って理科得意だったもんね」
「いやいや、そういう意味でなくてよ」
酒で頬を赤らめながら、へへへ、と敦士は笑っている。わたしがさっきモノの例えで持ち出した「蜃気楼」という言葉を、敦士はひょいと拾い上げたようだった。
まあこうやって何度も長く続かぬ恋ばかりしていると、相手の男が蜃気楼のようなものだったんじゃないか……と感じたって仕方がないと、今でも思ってはいる。近づけば近づくほどに、消えるなり遠ざかるなりしていくのだから、まさに幻だろう。
それで?
わたしは沈黙をもって、敦士の次の言葉を待った。
「要はさ、蜃気楼になって浮かんだり伸びたりして見える存在それ自体は、実際にこの世界に存在しているモノや景色なんだよな。その見え方が実際と違うってだけで。多少大げさに、あるいは形が変わって見えるだけなわけよ」
「要するに」
「梢は、蜃気楼で見えた男と自分の理想のしている男を重ねた上で、さらに目の前にいた男のすがたを重ねてたんじゃないのか。……でも、そらぁズレて然るべしだろ、って話でよ。前のふたつは確かにぴったり合っててもおかしくないけど、それは実際の男とは違うかたちを結んでるんだから」
「……」
わたしは、自分のもとを去っていった男たちのほうが、幻のような存在だったんだと思っていた。
けれど実際はそうじゃなくて、わたしがいつまでも、眼の奥に蜃気楼のように浮かび上がった幻想を眺めていた。目の前に実際に存在する相手のことを、しっかり理解していないだけだったのだ。実物より誇張された蜃気楼の虚像と理想の男のすがたが合致しても、それが実際に存在している目の前の男と別物なのは当たり前だろうが……という話である。
まあ、そりゃいくら付き合ったってダメだよなあ。
口には出さないまま、わたしは肩から力が抜けて、背もたれに身体をもたれた。
本当にここが探偵アニメの中の世界なら、このへんでわたしが犯行に至った動機を弱々しく語りはじめる頃合いなのだけど、現実は違った。
ついに、お湯割りのグラスを勢いよくからっぽにした敦士は、諭すような口調で言った。
「だからさ、これからはもっと相手の近くまで寄って見極めて付き合えばいい。そしてなにより、理想も結構だけどよ、その全てが自分にとって本当に絶対譲れないラインなのかを再考することを勧めるぞ」
「なにそれ」
「んー、まあ、理想が高すぎるんじゃねえかってことさ。時には妥協も大切だぞ。そうすればいくらでもいると思うけどな、梢のことを好きになる男なんて」
「どこにいんのよ。そんなこと言うなら連れて来なさいよ、その男」
ほんとだよ。連れて来いよ。その男の首根っこ掴んでここまで連れて来いよ。もしくは自分ちのタマネギと一緒に、ぎっちぎちにコンテナに詰めて連れて来い。
そうしたら、わたしが全部まとめて美味しく料理してやるのに。
「目の前に」
「ん。会社の同僚の紹介」
「へえ。でも付き合うってことは、初めは何か心に響くものがあったんだろ。相手のどこがよかったんだよ」
「今となっては、何がよかったんだろう。自分でもよくわかんない」
「ほーん」
よくわかんない……なんて言葉は本当は嫌いなのだけど、今は本当によくわかんないんだからしょうがないだろ……という気持ちで、わたしはその言葉を放り投げた。
敦士はいつも通り、そんなふうにわたしが暴投したボールを、涼しい顔で受け止める。それでいい。ここでいきなり「真面目に答えろよ」とか激昂されても、話す気が萎えてしまう。なんとも人間らしい自分勝手な考えだけど、仕方がない。
敦士は幼馴染だ。わりと大きな都市でありつつも、郊外に行けばのどかな農村地帯が広がる街で、家業のタマネギ農家を継ぐ一人息子である。
なお、わたしは敦士の家の近所で、同じように農家を営む家からただ出てゆくだけの存在だった、三人きょうだいの二女という立ち位置だ。そうでなければ、わたしが進学を口にしたとき、親に(三人のうち一人くらいは嫁なり婿なりを連れて戻って来るだろう)などとは思ってもらえなかったに違いない。
敦士の家はわたしの家と違い、地元でも有名な大きい農家だ。農協から金を借りることもせず安定した経営を続け、敦士が本格的に家業を手伝い始めてからはさらに規模を広げているというから驚きだ。わたしはそれを、実家から送られてきた野菜のダンボールの中に、頼みもしないのに敦士のインタビューが載った広報誌がぶちこまれていたことで知った。
実家にいるのが嫌だからと言って、学業もそこそこに単に四年間をドブに捨てただけのわたしと違い、敦士は確実に前に進んでいる。その事実をまざまざと見せつけられた気がしてうんざりしたのは記憶に新しい。
だからと言って今後にやりたいこともなければ、共に未来を誓い合う相手も見つかりそうにない。本当は自分が何をどうしたかったのか、今となってはもうわからない。
まとまった連休が当たりつつも、家に居たら光熱費が嵩むと感じたわたしは、何食わぬ顔で地元に帰省することを決めた。そして、雪の降り積もる冬は農業も閑散期で、敦士も数ヶ月間におよぶ長い休みを満喫していた。もうすぐでその長い休みが明ける敦士を街中まで呼び出して、今はこうして大衆居酒屋のテーブルを挟んで向かい合っている。三分の二くらいを敦士がひとりで食べた寄せ鍋とコンロはさっき店員に片されて、今はちびちびとおつまみをつついている段階だった。
たいていの場合、わたしは男と別れると、こうして敦士に事の顛末を報告、もとい愚痴をこぼすのが恒例だった。職場の同僚にぺらぺらと自分の悲恋話を語りたくはないし、学生の頃からの友人たちはこの歳になるとみな家庭に入っており、他に気軽に呼び出して話せる相手がいなかった。
また、敦士はいつもわたしの話を程よく聞き流してくれる。別にそこまで深刻に聞いてほしいわけでもないし、過剰に熱いアドバイスも要らなかった。ただ聞いてくれる相手がいればよかった。
そういう意味では、敦士はそのすべてを叶えられる、理想の存在であったと言える。
敦士は、まだ湯気の上がっている焼酎のお湯割りを傾けた。そして、はあ……と一息ついて、頬に笑いえくぼを浮かべつつ、口を開く。
「しっかし、梢もずいぶんと果敢にトライするよな」
「どういうこと」
「普通、そんだけ何度もバッドエンドばかり迎えてたら、いい加減(自分には恋なんかできないかも)って臆病になるもんじゃないのか? それでも恋しようと思うのは、どうしてだよ」
「失敬なこと言うな。自分のとこで育ててるタマネギにもそんな声かけてんの、敦士は」
「まさか。愛情込めて育ててるっつの」
ばかやろう。こっちにも愛情を込めろよ。タマネギに注ぐうちの、スプーンひとすくいだけでもいいから。自分から別れを告げたとはいえ、一応は傷ついてるんですけど、わたし。
まあ、今更いちいちそんなことに目くじらを立てるような間柄でもない。
わずかな苛立ちの気持ちを脇に追いやると、わたしは素直に思っていることを口にした。
「……たぶん、知りたいんだと思う、わたしは」
「ん?」
「自分が理想だと思ってる男なんて本当にいるわけないじゃん……っていう、懐疑的な気持ちをぶっ壊したいというか。ぼんやり遠くに、蜃気楼みたいにもやもやと見えてるものが、実際に存在してるんだっていうことを知りたい」
「はーん。なんか今の一言によって、おれには謎が解けた気がするぞ」
これが探偵アニメなら、黒バックに「ピキーン」とかいうSEを重ねながら、ひらめく瞬間なのだろう。他の男なら面倒だから絶対にこれ以上深く突っ込まないけど、この幼馴染の話なら、まあ耳に入れてもいいかなと思う。家族やきょうだいに匹敵するくらいには、敦士はわたしの人となりをよく理解しているわけだし。
はたまた、もしかするとそれ以上か。
彼の話を聞けば、少しは真理に近づけるのかもしれない。
そんな一抹の希望を抱きつつ、わたしは「どうぞ?」と続きを促しつつ、味が薄まってきたファジーネーブルを喉に流し込んだ。
「そもそも蜃気楼って、光の屈折で、遠くにあるものが浮かんだり伸び縮みしたりする現象のことなんだよ」
「うん」
「意味わかるか」
「難しいってことがわかったね。敦士、わたしと違って理科得意だったもんね」
「いやいや、そういう意味でなくてよ」
酒で頬を赤らめながら、へへへ、と敦士は笑っている。わたしがさっきモノの例えで持ち出した「蜃気楼」という言葉を、敦士はひょいと拾い上げたようだった。
まあこうやって何度も長く続かぬ恋ばかりしていると、相手の男が蜃気楼のようなものだったんじゃないか……と感じたって仕方がないと、今でも思ってはいる。近づけば近づくほどに、消えるなり遠ざかるなりしていくのだから、まさに幻だろう。
それで?
わたしは沈黙をもって、敦士の次の言葉を待った。
「要はさ、蜃気楼になって浮かんだり伸びたりして見える存在それ自体は、実際にこの世界に存在しているモノや景色なんだよな。その見え方が実際と違うってだけで。多少大げさに、あるいは形が変わって見えるだけなわけよ」
「要するに」
「梢は、蜃気楼で見えた男と自分の理想のしている男を重ねた上で、さらに目の前にいた男のすがたを重ねてたんじゃないのか。……でも、そらぁズレて然るべしだろ、って話でよ。前のふたつは確かにぴったり合っててもおかしくないけど、それは実際の男とは違うかたちを結んでるんだから」
「……」
わたしは、自分のもとを去っていった男たちのほうが、幻のような存在だったんだと思っていた。
けれど実際はそうじゃなくて、わたしがいつまでも、眼の奥に蜃気楼のように浮かび上がった幻想を眺めていた。目の前に実際に存在する相手のことを、しっかり理解していないだけだったのだ。実物より誇張された蜃気楼の虚像と理想の男のすがたが合致しても、それが実際に存在している目の前の男と別物なのは当たり前だろうが……という話である。
まあ、そりゃいくら付き合ったってダメだよなあ。
口には出さないまま、わたしは肩から力が抜けて、背もたれに身体をもたれた。
本当にここが探偵アニメの中の世界なら、このへんでわたしが犯行に至った動機を弱々しく語りはじめる頃合いなのだけど、現実は違った。
ついに、お湯割りのグラスを勢いよくからっぽにした敦士は、諭すような口調で言った。
「だからさ、これからはもっと相手の近くまで寄って見極めて付き合えばいい。そしてなにより、理想も結構だけどよ、その全てが自分にとって本当に絶対譲れないラインなのかを再考することを勧めるぞ」
「なにそれ」
「んー、まあ、理想が高すぎるんじゃねえかってことさ。時には妥協も大切だぞ。そうすればいくらでもいると思うけどな、梢のことを好きになる男なんて」
「どこにいんのよ。そんなこと言うなら連れて来なさいよ、その男」
ほんとだよ。連れて来いよ。その男の首根っこ掴んでここまで連れて来いよ。もしくは自分ちのタマネギと一緒に、ぎっちぎちにコンテナに詰めて連れて来い。
そうしたら、わたしが全部まとめて美味しく料理してやるのに。
「目の前に」