オッドアイは永遠のぬくもりに煌いて

 ガシャーン!!!
 今夜は、陶器かガラスか何かが割れたのだろうか。

 硬いものが砕け散る激しい音が、斜向かいのフィデル家から聞こえた。

 「お母さん、フィデルさんちから、ガラスが割れたような音が…」
 「お母さんも聞いたわ。…また始まったようね」


 由緒あるユボフ家の斜向かいのフィデル家は、今夜も荒れているようだ。

 5歳のフィデル=ユナは、両親の夫婦喧嘩が始まると、
自分の部屋に閉じこもって、
やせたピンクのウサギのぬいぐるみをぎゅっと抱き締めるのだった。


 ユナの母親は、ユナが3歳の時に、一度離婚をしている。
 再婚してフィデル家に嫁いだが、結婚して数か月しか経っていないのに、
このような夫婦喧嘩を毎晩のように繰り広げていた。

 フィデル家の夫婦喧嘩の激しさは、近所中の噂になるほどだった。

 5歳のユナには、喧嘩の様子…怒鳴り声や、物を投げあう音、
新しい父親が母親を叩く音などが、怖い、ということしかわからなかった。
 自分の部屋に逃げるだけで精一杯だった。
 お腹がすいても、喉が渇いても、台所には行かれなかった。
 唯一の救いは、2人ともユナを巻き込むことはなかったことだ。
 翌日は、穏やかな秋の陽気、雲ひとつない晴天に恵まれた。


 小学3年生のユボフ=ハナが学校から帰ると、家の前の道路で、
幼稚園から帰ってきたユナが、道路に軽石で絵を描いて遊んでいた。

 ユナが描いていたのは、父親と母親と、
その真ん中で手をつながれた笑顔の女の子と、その周りを取り囲む花だった。

 「この女の子は、ユナちゃん?」
 ハナがユナに聞いた。
 ユナは、あどけない顔で、ハナを見上げると、笑顔になって
「うん」
 と言った。
 すぐに真顔になって道路に向き直り、周りの花を描き足していた。
 「お花、いっぱいになったね」
 「うん。お花いっぱいにしゅゆの」

 ユナは、花を描きながら、ハナと対話をした。

 温かく、優しいときが流れていた。


 家に帰ったハナは、母親に一部始終話した。
 ハナの母親はじっくりとハナの話を聞いた。
 「そうなの」
 ハナの母親は、相槌しか打たなかったが、ハナが見た光景を想像し、
ハナの気持ちを理解しながら話を聞いていた。

          ◇ ◇ ◇

 ユナが小学1年生になると、
4年生のハナはユナを誘って一緒に登校するようになった。

 ハナがフィデル家の呼び鈴を鳴らすと、
再びスナックで働き始めたユナの母親は寝ていることが多かった。
 そんな時は、ユナが、温かく送り出されることもなく、
一人で家から、大きすぎる赤いランドセルを背負って出てくるのだった。
 

 小学校への道すがら、ハナがユナにしきりに語り掛けていた。
 ユナはハナの話を聞いているようではあったが、大方、下を向いて、
「うん」
と言ったり
「ううん」
と否定したりするだけだった。

          ◇ ◇ ◇

 小学1年生の夏休みが近づく頃、
ユナがようやく自分からも話をするようになった。

 「昨日もね、お父しゃんとお母しゃんね、喧嘩ちてたの」
 「うん。聞こえたよ。大きい声で喧嘩してたね。怖かったでしょ」
 「うん。怖かったよぉ」
 ユナが、涙ぐみながら、ハナの左腕にしがみついた。
 前髪で良く見えなかったが、ユナの鼻が赤くなっていた。

 「…ユナちゃん、これからお姉ちゃんちに遊びに来る?」
 「え、いいの?」
 「いいよ。一応、おばさんにあいさつしてからね」
 「…」
 友達の家の中で遊んだ経験がないユナは、誘いを受けて緊張した。
 ユナとハナはこれまで、
お互いの家の間の道路でしか遊んだことがなかった。


 ピンポーン。

 「はーい!」
 ユナの母親は、意気軒昂とした張りのある美声で応答した。

 ユナの母親は時々、白昼堂々、自宅で浮気をしていた。
 ユナはその間、家の外に出されていた。

 ユナの母親の浮気相手は、勤め先のスナックで知り合った男だ。
 浮気相手は、ユナが小学校に居る時間にやってくることが多かった。
 昼から夕方までユナの家に居て、
ハナがユナといつも家の前の道路で遊ぶので、
ハナが家に入るのを待って、男を帰していたのだ。

 この日は男が『3時半頃になる』と言っていた。
 呼び鈴が丁度3時半に鳴ったので、
ユナの母親は男が来たと思い込んだのだ。


 「向かいのユボフ=ハナです。これからユナちゃんをうちに呼んで、
遊びたいのですが、いいですか?」
 「…ああ、向かいの子供?…いきなり、何…ああ、ユナと遊んでくれるの?
いいですよ。よろしくお願いします」
 「ありがとうございます!お夕飯頃にはユナちゃんをお帰しします。
行こう、ユナちゃん」
 「…」
 ユナは、下を向いていた。
 前髪で表情が良く見えなかったが、緊張しているからか、
母親の態度の激変を恥じたのか、顔が真っ赤になっていた。


 ハナの両親は、フィデル家とは距離を置いていた。
 しかし、ハナとユナが仲良く小学校に通うようになって4か月。
 ユナを家に招いて、ハナの部屋で2人で遊ぶことを承諾した。

 「ゆっくりしていってね」
 ユナに笑顔で、優しく声を掛けたハナの母親は、氷の入ったグレープジュースと
アップルパイが2つ乗ったトレイを、穏やかな和顔でテーブルの上に置くと、
部屋から出ていった。

 「いただきます」
 ハナが言うと、
 「いただきましゅ」
 ユナも真似をして言った。

 「ユナちゃん、美味しい?」
 「美味ひい」
 先程までの緊張がほぐれたユナは、嬉しさと美味しさで、涙ぐみながら、
口いっぱいにアップルパイをほおばって、床にこぼしながら食べていた。
 ハナにとっては、ユナのそんなところが、たまらなく可愛く思えた。
 

 2人はあまり話はしなかった。
 ハナの本棚にある漫画を、それぞれ黙って静かに読むことが多かった。

 ハナは、瞳を輝かせて夢中になって読んでいるユナの顔を時々盗み見ていた。
 左目が二重、右目が三重。
 なんて可愛い顔なんだろう…。
 子役の女優のような、可愛いのに美しい顔立ち。
 もう少し大きくなったらきっと、美人アイドルのようになるのだろう。
 ユナの可愛らしさに、ハナの心の一番奥が気づいた。
 ハナの心臓が激しくドキッと鳴った。
 ハナが小学5年生になり、
ユナが小学2年生になったある夏の日。

 ユナの母親が逢引きをしている間、
ユナはいつものように道路で絵を描いていた。

 ハナは高学年になったので、下校が遅くなったが、
いつもの可愛いユナの姿を道路に確認すると、
もうすでに家に帰ってきたような、
ホッとした気持ちになった。

 すると突然、
幅広の紫色のスポーツカーが、
猛スピードで道路に突っこんできた。

 ユナが轢かれてしまう!
 「危ない!」

 咄嗟に判断し、
長身で細身のハナは全速力でユナめがけて走り、
ユナを抱き締めて、ユナの家の前に転がり、倒れ込んだ。

 紫色のスポーツカーは法定速度を大幅に違反して、
猛スピードでハナのランドセルに
タイヤをこすりつけて道路を駆け抜け、左折した。

 
 「大丈夫だった?」
 ハナはすぐに、ユナを気遣った。

 ユナはポーっとして、
事態をよく呑み込めていないようだった。

 フワァ、とユナの茶色のボブが揺れた。
 髪の毛、いい匂い…。
 幼い少女特有の髪の匂い。
 色白で、ぷっくりしたほっぺ。
 抱き締めたときの、柔らかい躰。
 ユナの魅力に、ハナの心臓は高鳴った。
 ハナは、
ユナを抱き締めたときに感じた動揺を隠して、
多少ドギマギしつつも、
平静を装って、
いつものようにユナを家に招いた。

 ユナがハナの部屋で遊ぶことは
もはや日常となっていた。

 ハナが小学校から帰ってきた時から夕食時まで、
ユナはハナの部屋で漫画を読んだり、
お菓子をご馳走になったりして過ごすことができた。
 
          ◇ ◇ ◇

 ハナは表向きはお嬢様だが、
両親に隠れてお小遣いで少年誌を買っていた。
 鍵のかかる机に少年誌を忍ばせ、
両親に見つからないように鍵をかけていた。
 ハナは学習机の鍵を財布から取り出し、
鍵を開けて少年誌を出した。

 主人公のサッカー部の男の子が、
部活のマネージャーに恋をしている漫画を読んで、
男の子に自分を重ね、
部活のマネージャーにユナを重ねて、
漫画を読みながら空想に耽った。

 ユナの表情、感触が、四六時中、頭から離れない。


 登校時、
ユナの背中をポンと軽くたたいたり、
ユナの頭をナデナデしたり、
必ず1日1回はさりげなくボディタッチをするようになった。

 その都度ユナは、
照れくさそうにやや顔を赤らめて笑顔になるのだった。

 そのことが、
どれほどハナを幸福感で満たしたことか。
 そして、どれほどユナに、
温かみのある安心感を与えたことか。


 「買い物に行くから留守番頼んだわよー」
 「はーい。いってらっしゃーい」
 2人で留守番をすることも多くなっていった。

 ユナの母親がスナックで働いている夜は、
父親がすぐに寝てしまうので、
ユナも寝られるが、
夫婦喧嘩が始まると、うるさくて眠れず、
夕方の時間帯に眠くなり、
ハナのベッドで寝てしまうこともしばしばあった。

 この日もユナは漫画を読みながら、寝落ちしてしまった。
 ハナがタオルケットを掛けた後、
ユナは可愛い寝息をたてて、眠った。

          ◇ ◇ ◇

 道路に軽石で絵を描いている、幼くて可愛いユナ。
 幼いのだから、いろいろと可愛いに決まっている。
 しかし、ハナはただ単に
ユナが幼女だから可愛いと感じるわけではない。

 左右対称ではない目、茶色に輝く髪、かなり白い肌…。
 ユナの個性が、ハナにとっては唯一無二であり、
自分の一生を賭けて、ユナを守り通したい、
幸せにしたい、愛し抜きたい、という熱い想いが、
とめどなく溢れてくるようになっていた。
 

 ハナのユナに対する想いは募る一方であった。
 車に轢かれないように抱き締めて以来、
自分の伴侶にしたい人となったユナ。

 ユナを幸せにしたい。
 自分が男性であったなら、
ユナを女性として愛するのに。

 もちろん、ユナに告白できるわけもない。

 可愛い、ユナ。
 苦しい。
 毎晩ユナの家の灯を、
自分の部屋の窓から眺めていた。
 ハナはユナに恋をしていた。
 ユナが小学5年生になり夏休みとなった。

 ハナは中学2年生になり、
一緒に登校しなくなって2年目になるが、
相変わらずユナは、
膝を抱えて道路の端に座ってハナの帰りを待っていた。

 いつしか道路で「ただいま」「おかえり」を言う仲になり、
その後はハナの部屋で、
夕食時まで勉強をして過ごすことが多くなった。

 ハナはユナに、わからないところを丁寧に教えてあげていた。


 11歳のユナは、身長はそれほど高くなかったが、
胸が他の子よりも大きめになって目立ってきて、
ブラジャーを着けるようになった。
 母親が行きつけの店で下着を一緒に買うので、
小学生らしくない、
母親のブラジャーと同じような
レース柄で濃い色のものを着けているのだった。
 ユナの胸が日に日に大きくなってきたことは、
誰の目から見ても明らかだった。

          ◇ ◇ ◇

 その年の冬、
ユナの母親がついに2度目の離婚を決めた。
 母親は自分一人で生きてゆくと言って、
離婚届に判を押してテーブルに置き、
家を出たきり音信不通となった。

 外面が良く、物腰の柔らかい養父が、
信用のおける人物だと判断した児童相談所は、
親権は養父にあると認めた。
     
          ◇ ◇ ◇

 ハナは中学3年生、ユナは小学6年生になった。

 ハナは学業成績が優秀で、
クラスで3位以内には入っていた。

 将来はユナと2人で暮らしたい。
 仕事をしてお金をたくさん稼ぎたい。
 一生お金に困らない生活をさせてあげたい。


 ハナはこの時から、
ユナとの同棲を現実的に計画し始めた。
 偏差値の高い高校に入学し、大学に進学し、
 高収入が得られる安定した職種に就けば、
 ユナを、生涯、幸せにすることができる。

 毎日、ユナに触れ、
天使のように可愛い笑顔を見たかった。
 ハナはユナを、真剣に愛し始めていた。
 ここのところ、ユナの様子がおかしい。

 ある日、いつものように部屋でユナと勉強をしていると、
ユナが突然、

「お父さんが、…夜ね…エッチなこと…してくるの」
とハナに打ち明けてきた。

 母親が出て行ってしばらくすると、
ユナは仕事を辞めた養父に、
毎日のように性の相手をさせられていたのだ。


 ユナの養父は、
一見温和で優し気だが、
アルコール中毒患者でもあった。
 外に出る都度、いい女を見かければ視姦していた。

 会社勤めをしていた頃は、
交通機関の中で、
捕まりそうもなければ、
見ず知らずの多数の女性に対して、
痴漢行為をして愉しんできた。

 会社勤めを辞めた後は、
小学6年生になったユナの全裸の写真や動画を売って、
生活費や酒代に当てていた。

 それだけではなかった。
 12歳のユナのことも、すでに犯していた。


 ユナは、用心深い養父の、
他人には見せないようにしている獣のような性欲によって、
人生に絶望していた。

          ◇ ◇ ◇

 ユナから話を聞き、
様子がおかしかった原因がはっきりした。

 ハナは、腹の底から湧きあがる憤りを抑えられない。
 外面が良かったユナの養父は、
ハナに道で会った時には笑顔で
「こんにちは」
などと声を掛けてきたが、
ハナは美しい切れ長の目で、下から睨んだ。


 ハナは、ユナの養父を殺したいとさえ思った。
 ユナの養父の車に、
タイヤがパンクするような仕掛けをしたいと思った。
 しかし、ユナが同乗したら、ユナまで死んでしまう。
 タイヤをパンクさせる作戦は、踏みとどめることにした。
 毎日、ユナの養父が突然消えることを、天の神様に祈った。


 ユボフ家の夕食時、ハナは母親に、
ユナの養父がユナにしていることについて打ち明けた。

 ハナの母親は一瞬絶句したが、
男親、しかも養父と、
幼少期からは想像もつかないほど魅力的になったユナが、
2人きりで夜を過ごすことは安全なのか、と懸念はしていた。

 そのような、恐ろしいことになっていたとは。
 近所の大人として、友達の親として、
ユナちゃんを守らなければならない。


 中学3年生と小学6年生の2人の女の子。
 友達同士でどちらかの家に泊っても
おかしくはない年齢である。



 ピンポーン。

 「はい、ああ、ユボフさん、
こんばんは。どうなさいました?」
 「これ、実家から届いたんですけど、蜜柑。
ちょっと食べ切れなくて。
主人も私もハナも少食なもので。それで、おすそわけに」

 と、蜜柑が大量に入った紙袋を、ユナの養父に手渡した。

 「娘がユナちゃんのこと、大好きなんですよ。
一緒に居ると、とても楽しいって言うんです。
ユナちゃんが泊まりに来てくれると、
娘が喜ぶんですけど。斜向かいですし。
もしよかったら、
時々娘さんに泊まりに来て欲しいんですけど」

 「えっ?…逆にいいんですか?
いやぁ、お世話になりますぅ。良かったな、ユナ」

 夜、自分を犯す時とは
まるで別人になったこの人は、一体誰なんだろう。
 ユナは、黙っていた。

 この日以降、
ユナはハナの家に時々泊まれるようになった。

          ◇ ◇ ◇

 ユナが泊まりに来る都度、
可愛い寝顔と可愛い寝息に、ハナはほっこりした。
 ハナはユナと結ばれたい衝動も起きたが、こらえた。
 こらえていると、いつしか寝落ちしてしまうのだった。


 ユナは、養父にされるがままの性行為に、慣れてきてもいた。
 (もしも、同じようなことを、ハナちゃんがしてきたとしたら…)
 ハナにしてもらいたい気分になって、
わざと喘いでみたりしたこともあった。
 (ハナちゃんは、エッチなことは、何もしてこないな)
 ユナにとって、ハナとのこの時間は、
唯一、心から安らげるときであった。

          ◇ ◇ ◇

 ユナは自宅で寝る日は、相変わらず、
全裸の写真撮影、自慰の動画撮影、
養父との性行為の動画撮影をされ続けた。
 写真はインターネット上で高く売れた。
 動画もアダルトビデオの会社に高く売れた。
 養父は、性行為により、日々の寂しさを紛らしていた。
 ユナが15歳の春のことであった。

 中学校からの下校時。
 もうすぐ自宅の玄関に着くところで、
大量のペットボトルを積んだ
リサイクル業者の道幅ギリギリのトラックが、
とても急いでいたようで、
猛スピードで角を曲がって家の前の道に侵入してきた。

 イヤホンをつけて
大音量で音楽を聞きながら歩いていたユナは、
トラックが角を曲がって
道に侵入してきたことに気づかなかった。

 トラックの運転手はとても急いでいたのと、
遠くの方で雷が鳴ったことに気を取られ、
どの方角に雷が落ちたのか、
稲光を探そうと上方を見てキョロキョロして、
ユナに全く気付かなかった。

 猛スピードで突っ込んできた
このトラックに当てられ、

ユナは宙を舞った。







 近所のプリミチャイさんの奥さんが、
倒れたユナを発見し、
すぐに救急車を呼んだ。

 しかし、ユナは心肺停止後、
一週間でこの世を去った。

          ◇ ◇ ◇

 ユナの養父は、葬儀の手配をした。
 ユナの産みの母親は、葬儀には参列しなかった。
 外面が良いユナの養父も、
葬儀の日ばかりは黙って塞いでいた。
 ハナの両親をはじめとして、
近所の大人たちが葬儀の手伝いをした。
 

 ハナは、枯れることのない涙を流し続けた。
 胸が締め付けられ、時々息ができなかった。
 ハナは生まれて初めて、
人生に、こんなにも残酷な悲しみがあることを知った。
 ハナはしばらく、高校を休んだ。