僕は今死にたい。
 とにかく生きるのが嫌になった。
 理由はよくわからない。


 ただひとつ感じているのは孤独だということ。
 友達もいない。
 何のために誰のために生きているかわからなくなったんだ。


 消えたい気持ちがおさまることはなくて、どんどん膨れ上がっていく。
 強い風が吹いたら僕という小さな火が消えてしまいそうだ。
 僕の居場所なんてどこにもない。
 この先、僕を必要とする人なんてきっといない。


 そう思うと学校に行くこと、勉強すること。
 全てがどうでもよくなった。
 周りのみんなが高校受験に必死になっているのに、
 僕はなにもしなかった。
 だってどうせ死ぬんだから。


 決めていた、今年中に死ぬことを。
 毎朝、自宅の高層マンションから飛び降りることに挑戦してみた。
 何度も何度も身なりをきれいにしてから……。
 それでも中々死ねない。


 楽な死に方を知りたかった。
 だから僕はたくさんの人に死に方を聞くことにした。
 するとみんな決まってこう言う。
「きみが死ぬことは絶対にないよ」
「私にもそう言う時期はあったよ。一時的なものだから大丈夫」
 って笑うんだ。
 こっちは真剣なのに。


 そんなことを繰り返しているうちに僕はもっと人間不信になった。
 だって僕はまじめに悩んでいるんだ。
 なのに笑って「自殺なんてできるわけない」と言い張るんだから。
 

 誰も信じてくれない。
 学校の先生もお父さんやお母さんも。
 僕はやっぱり一人ぼっちなんだ。
 この胸に空いた穴は誰も埋めてくれない。


 周りの人を頼ったはずなのに救われることはなかった。
 だからより強く死にたいと思えるようになった。
 もう未練はない。
 こんな冷たい世界、早く消えてしまおう。

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 今年もあと数週間で終わりを迎える時が来た。
 カレンダーがめくれる度に死ぬ覚悟を決める。
 でも相変わらずマンションの廊下から飛び降りることはできないでいた。

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 そんな時、学校に新しい先生が入ってきた。
 副担任の教師が産休のためらしい。
 非常勤の先生で来年の3月までいるそうだ。
 その先生は若くていつも笑顔で元気な人だった。

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 クラスで浮いていた僕にもよく声をかけてくれた。
「ねぇ、学校のことを教えてくれない?」
とか
「君はどんな音楽が好き?」
とか。
 正直、うざったい人だと思った。

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 僕は思った。
 どうせこの先生も僕が「死ぬ」ことを相談しても本気にしてくれない。
 新任の先生だから今だけ頑張っているにすぎない。
 僕のことなんてどうでもいいくせに。

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 僕は先生の問いかけに無視していた。
 それでも懲りずに毎日僕に声をかけてくる。
 ある日、僕はしつこい先生に腹が立った。
 だから言ってあげた。
「僕、死のうと思うんですけど」

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 僕は先生が笑ってごまかすと思っていた。
 けど違った。
 先生はいつもニコニコ笑っているのにその時だけは真剣な目で僕を見つめていた。
「本気なの?」
 初めて言われた答えだった。

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 僕は驚きを隠せなかった。
「うん」
 とだけ言った。
 すると先生はこう言った。
「先生はきみとまだ出会ったばかりだけど、死んでほしくない」
 
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 その言葉が胸に鋭く突き刺さった。
 でも僕は死にたい気持ちを堪えることができなかった。
 気がつくと先生にありのままの自分を話していた。
「僕はひとりぼっちだからいらない子なんです」
「友達もいない。誰も必要としてない人間なんです」
 今まで思っていたことを全部吐き出した。

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 すると先生はこう言った。
「先生は君が必要だよ」
 僕はその言葉を信じたかった。
 でもそうやって今までも何度も人に裏切られてきた。
 だからこの人もきっと僕を捨てる。

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 それからしばらく先生は授業をそっちのけで僕と自殺について話し合った。
「楽な死に方なんてないと思うよ」
「溺れて死ぬのも首を吊るのも飛び降りるのも全部苦しいよ」
「君のそんな姿、先生は見たくない」
 時には僕から提案した。
「僕の自殺を助けてくれませんか?」
 すると先生は難しい本を持ってきて
「先生が君の自殺を手伝うと、自殺ほうじょで捕まるよ?」
 と僕を困らせた。

20
 ある日、帰りのホームルームで担任の教師がこう言った。
「修学旅行に参加しなかった生徒たちにお金を返す」
 そして何人かの生徒に封筒を渡して僕の番になった時だった。
「お前は信用ならないな。帰りに買い食いでもしないか?」
 僕は心底腹が立った。
「そんなことしません。ちゃんと親に返します」
 だけど、担任の教師は「信じられない」といい、親に確認の電話をとった。

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 僕だけだった。
 なぜか担任教師は僕だけ信じなかった。
「やっぱりそうなんだ」
 僕はそういう人間と思われていたんだ。
 悔しかった。
 僕は人のものを盗んだりしないのに。

22
 僕が落ち込んでいるのを先生も見ていた。
「大丈夫? 気にすることないよ」
 そう言ってくれたけど、ついに僕は心が壊れてしまった。
 もういいや、帰ってマンションから飛び降りよう。

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 そう思って、学校から出て長い下り坂を歩いていた。
「もうこの道とも今日でお別れだ」
 15年という人生だったけど、大したことない。
 僕が死んでも悲しむ人なんていないだろう。
 先生だってどうせ来年でいなくなる。
 僕のためにあの人がなにをできるんだ。

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 すごく寒かった。
 今年の12月は例年以上の寒波で雪が積もるとも聞いた。
 それよりも僕の心に大きな穴が空いて、胸に寒風がすり抜けていくよう。
 からっぽ、全てがなくなった。

25
「これで良かったんだ」
 そう呟いた瞬間だった。
 坂道をくだっていると何かが僕の肩に強くあたった。
 振り返るといつもスーツ姿の先生がなぜかジャージに着替えて笑っていた。
「先生、どうしたんですか?」
「きみがどうしても心配だったから」

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 意外だった。この人は僕が落ち込んでいることに気がついていたんだ。
「ちょっと先生と散歩しないかい?」
 これから僕は死ぬというのに散歩なんて気分じゃない。
「君は今、死にたいんじゃないのかい? なら少しぐらい先生と付き合ってよ」
 先生はそう言うと学校を抜け出して、近くの海に僕を連れてきた。

27
 真冬の海だ。
 潮風が冷たく肌に突き刺さる。
 先生は背の高い堤防に腰を下ろし、僕にも座るように促した。
「ねぇ、君は今日死ぬんだろう?」
 僕は黙ってうなずいた。
 すると先生は「よし」と言い出すと何を思ったのか、寒空の中ジャージをその場に脱ぎ捨てパンツだけになった。
 そして、笑顔でこう言った。
「死ぬ気になればなんでもできるんだよ」

28
 僕がびっくりしていると先生は真冬の海の中に飛び込んだ。
「大丈夫ですか?」
 思わず心配してしまった。
 先生は海から顔を出すとこう言った。
「君もどうだい? 寒いけど」
 身体を震わせながら笑っていた。

29
 僕にはできなかったことをこの人はやりとげたんだ。
 マンションで飛び降りることができなかった僕とは違って。
 とにかく先生を海から引き揚げることにした。
 冷たくなった先生の手を取ると微かに感じた。
 僕の心に空いた大きな穴が少し埋まったことに。

30
 この人はバカだなと思った。
 どうしようもないぐらいの大バカものだと思った。
 でも、そんな人が僕を必要としてくれていることに気がついた。
 だから僕は思えた。
 この人のためにもう少しだけ生きてもいいかも……と。

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 それから先生と僕は友達になった。
 そこに教師と生徒という枠は必要なくて、ただひとりの人間として付き合った。
 だからといってすぐに僕の「消えたい気持ち」はなくなったわけじゃない。
 だけど、自殺を考える暇もないぐらい先生は僕に言うんだ。
「遊びに行こうよ」
 そう言っていろんなところに連れていかれた。

32
 振り回されてばかりいたと思うけど、それでもこの人の前では僕は笑うことしかできなかった。
 先生はいつでも僕の言うことを真面目に聞いてくれた。
 そして先生もそれに真面目に答えてくれる。
 だから、明日まで生きてみよう、明後日まで生きてみよう。
 そう思えた。
 気がつけば年を越して、新しい年を迎えていた。