顔に掛かる日差しで目を覚ました。

「良かった…晴れた」

体を起こし、時計を確認すると八時だった。
テレビのリモコンを手に取り、電源ボタンを押すとちょうどニュース番組の天気予報のコーナーが放送されていた。

『今日は、一日中快晴で気温も高くなるでしょう。しかし、明日はほとんどの確率で雨天になると予測されます』

「明日…雨なんだ…」

今日晴れたことには安心したが、明日雨になるというのはすこし気分が下がってしまう。
この時、ふとくうの言葉が頭に浮かんだ。

『次の晴れた日にっ』

もしかしたら明日はくうに会えないかもしれないと、心のどこかで心配していた。

部屋をでて、下へ降りてゆく。
いつものように歯を磨き着替えを済ませる。

家の扉を開くと強い日差しが肌を刺したが、気温はさほど高く感じなかった。
家をでて、図書館に向けて歩みを進める。
途中でイヤホンをつけ、好きな曲を流す。
好きな時間を聞いているときは、周りの音を遮断することができる。
三曲目を聞き終わるころに、あっという間に図書館には到着した。

昨日のように、くうは入り口の少し前で待っていた。
黒髪の頭には麦わら帽子がかぶされている。
くうがぼくに気づき、走り寄ってくる。

「かいくん、昨日ぶりですねっ」
「うん、久しぶりだね」
「お。うんっ、久しぶりですねっ」

くうはぼくが少しでも冗談にノッてくれたのがうれしかったのか、満面の笑みを浮かべている。

「それで、今日はどこの海に…いや、やっぱ聞くのやめておくよ」

どこの海に行くのかを聞こうと思ったが、寸前のところでやめておいた。

「ふふっ、賢明な判断だと思うよっ」

聞いても教えてくれないことは、今までの経験で分かっているのだ。

「それじゃあ、さっそく行きましょうかっ」
「そうだね」

ぼくは、昨日と同じように行く先も知らずにくうの後についていった。


電車とバスを乗り継ぎ、昨日よりも少し時間をかけて目的の海にはたどり着いた。
相変わらず電車の中では特に話すことが無く、窓の外を眺めていた。

「かいくん!あそこあそこっ!」
「おぉぉぉ」

今回の海もとても綺麗だった。
だんだんと海が目に入ってくると、くうだけでなくぼくもテンションが上がるようになっていた。
しかし、一目でわかる。
ここの海ではない。

「すごく綺麗だけど、やっぱりここの海じゃなさそうだね」
「やっぱそうだよねぇ、そんな簡単にはいかないよねぇ」

くうは、簡単に見つからないことを理解したのかあまり落ち込んでいる様子はなかった。

「で、ここでも遊んでく?」
「あたりまえでしょうっ!」

この海でも、くうはぼくにかまわずに遊んでいた。
ぼくは、くうの遊ぶ姿をぼうっと眺めながら、よくもひとりでここまで遊べるのだと変に感心していた。
しばらくするとくうは満足したのか、ぼくのもとへ戻ってくる。

「ふうっ、まんぞくまんぞくっ!」
「もういいの?」
「うんっ、もう十分ですよっ!」

くうが早い段階で満足したために、すぐに次の海に移動するのだろうと思っていたが今日は違ったみたいだ。

「あ、かいくんさっ」
「ん、なに?」
「今日はね、色々かいくんに聞きたいことがありまして」

突然のことに驚いたが、冷静になればぼくとくうはまだお互い知らないことばかりだ。

「聞きたいことってなんですか?」
「そうだねぇ、年齢はもう聞いたからぁ…通ってる大学とか!」
「それほんとに興味ある?」
「いや、まぁ、なんとなく」

大学名を聞かれて、自分がいまは通うのをやめている事を伝えようか迷ったが、くうには特に隠す必要もないだろうと思った。

「まぁ、いいけどさ。ぼく、最近は大学行ってないんだよ」
「え?行ってないって?」
「そのままだよ。退学はしてないけど、行ってない。退学も考えてるけどね」
「え、なにかあったの…?」

くうは少し心配そうに聞いてきた。

「いや、なにか特別な事情があるわけではないんだけど、あんまり周りに馴染めなくて」
「そうだったんだ…」

くうはどんどん暗い顔になっていく。
すこしくうが黙り込み、波の音がよく聞こえる。

「いやいや!そんな重い話じゃないからね!別にいじめられた訳じゃないし」

そのとき、くうの体が一瞬こわばったようにも見えた。
しかし、すぐに笑顔に変わったため自分の気のせいだと思うことにした。

「そうだよねっ、考えすぎだよねっ」
「聞きたいことって、それだけ?」

少し重くなってしまった空気を良くしようと、くうに次の質問を急かした。

「ほ、他にもある!そーだなぁ、好きな食べ物とか!」
「え、また変な質問だね。聞いてどうするの」

なにかもっと重要な質問をされると思って身構えていたが、どれも普通の質問だった。

「いやいや!いいからいいから!」
「好きな食べ物か…。そばとかかな」
「そば!おいしいよねっ!!」
「逆に聞くけど、くうは何が好きなの?」

ぼくの質問にくうは間髪入れずに答えた。

「私はお母さんの作る煮物かなっ」

チョコとかケーキとか、若い女の子らしい答えが返ってくると思ったが、思いがけない答えだった。

「なんか、意外だね」
「え、そぉ!?私お母さんも大好きだし、お母さんの作る料理も全部大好き!」
「それはすごい素敵な事だと思うよ」
「ふふっ、そうでしょっ」

彼女は誇らしげな顔で言った。
くうは家族思いの優しい女の子。
新たにくうの情報がぼくのなかに追加された。

「じゃあ、かいくん!私からの最後の質問!」
「うん、なに?」

「かいくんは、なにか大事なことを忘れてない?」 
「え…?」


この時、一瞬頭が真っ白になって、なんだか体の力が抜けたようなそんな気がした。

身体、意識、すべてがふわっとするような。

ぼくはなにか大事なことを忘れてる?
なにか、忘れてはいけないことを。

このとき、くうの声が頭に流れ込んできた。


『大事なものは写真たてに入れておくの』


何のことかは一切分からなかった。だけども、どこか懐かしさを感じる言葉だった。

「大事なものは…写真たてのなか…」
「え、かいくん?写真たてがどうしたの?」
「え?」
「かいくん今、写真たてのなかって」
「え、あ、うんうん、ごめんなんでもない」
「そ、そっか」

くうが不思議がるような顔をしているからと、慌てて話を戻す。

「だ、大事なものでしょ!んー…」

このとき気づいた、最近は大事なものなんて考えたことなかった。
考えたことないというよりも、そんなことどうだってよかったから。

「大事なもの…」
「無理に言おうとしなくても大丈夫だよ」

くうは優しく言ってくれる。

「ぼくには大事なものが…ないかもしれない…」

この言葉にひっかかるところがあったのか、くうは一瞬すごく悲しげな雰囲気をかもした。

「そっか…じゃ、じゃあこれから大事なもの見つけていかなくちゃねっ」
「うん、ごめんね、ありがとう」
「うんっ」
「それで、くうは?」
「ん?」
「くうの、大事なものは?」

くうはぼくに聞かれた途端、海へ目を向けて、少し間を開けてから言った。

「私の大事なものは、思い出かな」
「思い出?」

くうの言っていることはすぐにはピンとこなかった。

「うん、思い出。嫌だったことも、嬉しかったことも、悲しかったことも、幸せだったことも。全部私の大事な思い出」

くうは優しく微笑んでいる。

「そっか…思い出…か…」

ぼくがそう言っている間に、くうはサッと立ち上がった。

「私、悪い思い出も、良い思い出と同じくらい大事だと思うんだ」
「悪い思い出も大事にするの?」
「うん。私は…そうしたい」

この時にかけるべき言葉はぼくは分からなかった。
二人で少しの間沈黙を続けてからくうが言う。

「かいくん、今日は帰るのも時間がかかるし、そろそろ帰ろうかっ」
「うん、そうだね」


いつもの駅に帰ってきたころには、夕方になっていた。
昨日別れたところと同じ場所で、くうと話す。

「かいくん、今日もありがとうっ」
「うん、こちらこそありがとう」
「今日も海は見つからなかったけど、もうすぐ見つかる気がするんだっ」
「そうだね、みつけられたらいいね」
「じゃあ、また、次の晴れた日にっ」
「うん、次の晴れた日に」

そうだ、雨の日はくうには会えない。
くうに会えるのは、晴れている日。


家についてから、もう一度PCで海について少し調べたが、やはりそれらしきものを見つけることはできなかった。

眠気がきたところでベットに入りアラームをかけた。

明日も晴れるといいな。