わたしはあけびさまに導かれ、瓢箪池に掛かる反橋を訪れました。
瓢箪の括れた場所。池の東側と西側とを繋ぐ、長く大きな反橋は、遠目からでもその緩やかな弧を描く姿を確認することができました。そばに寄れば、その大きさに圧倒されてしまいます。
橋を渡り、池の中心辺りに差し掛かったところで、あけびさまが欄干にヒョイと飛び乗りました。
【ここから、宝を見下ろせますわ。】
あけびさまに続き、わたしも欄干から少し身を乗り出します。
池泉はかなりの深さがありそうですが、水は清らかで、水中に棲む生き物の姿が見えるくらい透き通っています。
銀色の小さな魚達が舞い泳ぐその中に、
「!?」
異様な物を見つけました。
朝陽を反射して金色に輝く、楕円形の大きな物体が、深い水底に沈んでいます。その大きさは例えるなら、大人の牛や馬ほど。とてもわたし一人で引き上げられるような代物ではありません。
わたしは目を凝らします。揺らぎの穏やかな水のおかげで、その金色の物体の姿を確認することが出来ました。
強固な甲羅に、大きなハサミ。突き出たふたつの目玉。
まさに“蟹”。これこそが、緋衣さまのおっしゃっていた、瓢箪池の宝に違いありませんでした。
それにしても、なんて綺麗な輝きでしょう…。水の中で幾重にも光を反射させ、蟹自身が光を放っているよう。その美しさに、思わず目を奪われてしまいました。
けれど、どうしよう…。
仁雷さまと義嵐さまの力を借りず、わたし一人でどうやって持ち帰れば…。
「……あら……?」
ふと、蟹の甲羅に、一本の裂き傷が付いているのに気づきました。
大切な宝に傷なんて…一大事なのでは?
「…あけびさま。あの傷は?」
隣で同じく怪訝な顔をするあけびさま。
【…いいえ、私も存じ上げません。この宝に触れられるのは、狗神様か、守り主たる狒々王様だけなのです。】
「……じゃあ、狗神さまか、狒々王さまが付けた傷なのかしら…?」
【そ、そんなはずは…。】
大切な宝物にわざわざ傷を付けるなんて、普通は考えられないけれど。
わたしはこれまでの道中で、義嵐さまが話していたことを思い出しました。
狒々王さまについてです。
「…あの、あけびさま。
狒々王さまは“ケチ”なお方だったのですか?」
わたしの直接的な物言いに少し嫌な顔をされながらも、あけびさまは答えてくださいました。
【…私の以前のご主人様…“狒々王”様は、喧嘩っ早く、執着心の強いお方ではありましたが、…根はとてもお優しい方でした。
狒々王様がお姿を消して間も無く、あの青衣様が現れたのです。】
「……狒々王さまは、どこへ行かれたのでしょう…?」
【…それは誰にも分かりませぬ。…ただ一つわかるのは、狒々王様はこの瓢箪池で消息を絶った。それだけでございますわ…。】
わたしは金の蟹に目を向けます。
広大な池泉の中で、狒々王さまが興味を示す物といえば、自身の所有物であるこの宝でしょう。
「………もしかして、あなたが何かしたの…?」
わたしの問いかけに、蟹は答えません。ただ目玉をギョロリと動かすばかり。
きらきら輝く蟹の甲羅の色には、なぜだか見覚えがありました。
一度ではありません。そう、二度。
確かあれは、青衣の胸に飾られていた円鏡。
そして緋衣さまの胸元にもあった、同じ円鏡。
まるで形見分けのように、敵対し合う二人が同じ品を持っているのはなぜでしょう。
それに、青衣と緋衣さま。あの二人には、跡目争い以上の深い因縁があるように思えてなりません。
塒の建物の配置も、性格も、性別すら、鏡合わせのように反転しているのです。
なのに、お互いがお互いの顔を見たことがない。
ーーー鏡……。
「あけびさま、」
わたしはひとつ、強い興味を覚えました。
わたしの予想が当たっているなら、すべて丸く収まる。
もし外れていれば、わたしの命はここで潰えてしまうかも。
「問答の答えが出ました。
青衣をここへ連れて来てくださいますか?」
その生死を左右する賭けの結果を、早く知りたいと思ってしまうのです。