今日最後の授業中。教科は数学で、私は襲ってくる睡魔と戦っていた。後五分、この五分が長い。あくびが止まらない。
「最後に宿題な。」
と、先生にトドメを刺されて机に突っ伏してしまった。周りからも宿題を拒否する男子の奇声が聞こえてくる。
ドンっと前で音がしたので突っ伏していた頭を上げると、今一番みたくないものが教卓に置かれていた。
「げ、問題集に参考書に先生お手製のプリントまで…。」
まるで私の心を読んだかのような声が隣からする。友達の本長桜だ。
「それなぁ。いくら週末だからって量エグい。」
広森芽依が応える。
先生が宿題を配り終えたところでチャイムが鳴る。最悪な気分だ。号令後、生徒は各自教室を出る。
「紗香〜、放課後マックでもどう?」
桜に聞かれる。今の気分を忘れたくて承諾する。私と桜の他に、芽依と奈菜、夕も行くそうだ。
「課題終わる気がしない。週末は五人で遊びたいのにー!」
いつも明るくて元気な桜が言う。桜は、モデルのようにスタイルが良くて絵に描いたような少女である。天真爛漫でクラスでも人気者。私たち五人は、この中学校で言ってもかなり中心的な存在に近い。もちろんクラスでも五人が中心となる。周りは私たちに合わせるしかない。多数決の時は、大概私たちの意見に決まる。カースト上位のグループなのだ。このグループに所属している事を利用しているわけではないが、正直かなり有利で安心していた。
鞄の用意をして、桜達の元へ駆け足で向かう。その時、一番後ろの窓側の席が視界に映った。今は、見ぬふりをした。
「この前さ、うちの彼氏が誕プレにバッグ買ってくれたの!超嬉しかったんだけど!」
桜の彼氏は、他校のイケメン君らしい。中学生だけど、家が金持ちで二人は付き合ってから今まで一度も喧嘩しないでラブラブなのだとか。
「桜はいいね、イケメンな彼氏がいて。私も高校までには作りたい!」
隣を歩いていた奈菜が言う。
「奈菜も可愛いからすぐ彼氏できるって!この前だって隣のクラスの男子に告られてたじゃん。」
私知ってるよ〜?とおちゃらけて言う夕。一見クールに見える夕だが、意外とお茶目な面もあって周りから愛されている。
「紗香今週空いてるよね?」
いつの間にか、彼氏の話題は終わっていた。「もちろん。」と応えた。私はこのグループが好きなのか分からない。いつも一緒に行動して、仲良いはずだけど時々自分の居場所がどこなのか分からなくなってきって、どうしようもなく寂しさを感じることがあった。
「かんぱーい!」
学校の近くにあるマクドナルドで、それぞれドリンクやらを購入して席につく。この乾杯はおそらく一週間お疲れ様という意味だと思う。このメンバーでいると、制服に身を包んでいても今日のように宿題が大量に出されて憂鬱さを味わったとしても今だけ、その事を忘れられる。やはり私は、少なからずこのグループを大切にしている事を感じた。
「みんな大好きだよー!」
桜が言う。いつも話し始めるのは桜だ。
「うん、私も好き!」
好きだよ、私も!と次々とみんなが言葉を返していく。私もその空気で、「私もだよ。」といった。そんなことはないはずなのに、無理矢理好きだと言わされているようで少し違和感を覚えた。
奈菜の門限が迫っていたので、私たちは約一時間ほどで解散した。

帰宅すると、母がおかえりと言ったのでただいまと返す。そのまま、自室へ向かう。
「紗香、勉強はどう?」
始まった。この小言はいつになったら言われなくなるのだろうか。
「普通だよ。」
と返すと、不機嫌だと捉えたのか眉間に皺を寄せて「普通以上を目指しなさい。」と言ってきた。しつこくてその言葉に反応せず、黙って階段を上った。
部屋に入るとどっと力が抜ける。鞄を下ろしてベッドに座る。そしてすぐにスマホでSNSを開く。今の流行を知らないと周りについていけない、話が通じないからこうやってすぐにSNSを確認するのが日課となっていた。
明日が休日だから少しくらい遅くなってもいいだろうと、スマホを見続けていたらもう空はすっかり暗くなっていた。
ノックもせずに母が部屋のドアを開けて入ってくる。
「何?」
「さっきから下で何回も呼んでるんだけど?ご飯できたわよ。」
嫌味混じりに行って来るのが鬱陶しい。今のは私が悪かったけど。ため息をついて、下へ降りた。
和食が三人分用意された食卓に、もう父も座っていた。
食事中、母にまた勉強のことで言われるのかと思っていたが今日はその話題が出なかった。その代わり、
「悠花ちゃんの様子見に行ってあげてね。」
と言われた。そしてまた気分が沈んだ。悠花は小学生の頃からの親友だった。でも中学に上がって暫くして、家に引きこもり不登校になってしまったのだ。友達だったから、相談してくれると思っていたのに何度聞いても理由は教えてくれない。放課後、悠花の家に通っていたが次第に行く頻度も減り、この間は悠花本人に家に来ることを拒否されてしまった。悠花の母とうちの母は今でも仲が良く、連絡を取り合っているそうでこうして時々、悠花のことを言われる。最近はそれが少し嫌だった。
「分かった。」
「その感じじゃ行きそうにないわね。悠花ちゃんと何かあったの?」
「別に、最近忙しいから」
放課後に桜達と遊んでいるから忙しいことなんてない。勝手に口がそう言い訳していた。
母はそう、と軽く言っただけだった。全てお見通しだったのかもしれない。一気に食欲が失せた。残すのも申し訳なく、黙々と食べ進めて自室に戻った。
「…宿題」
時計の針は八時を回ったところだった。まだ少し時間があるので休日の苦労を減らそうと、机に向かった。
どのくらい勉強していただろう。五人のグループLINEの着信によって頭を上げた。
「宿題マジヤバくて、親に遊ぶなって言われた。最悪」
送ってきたのは桜だ。それに対して奈菜や芽依も次々と返信していく。ヤバい、追いつけないと思った時にはもう遅かった。
「既読ついてるのに紗香はスルー?笑」
そんなメッセージで余計に焦る。早くなにか送らないと。
「スルーじゃないよ。ごめん、打つの遅くて」
急いでそう送る。
そしたら、皆納得してくれたみたいで丸く治まっていった。溜息を着く。これで仲間外れにされたらもう終わりだと思うから。彼女らは中心的グループでいじめをしていた噂を無くはない。私が標的にされたらと思うと怖気た。後に奈菜が大好きと言ったことで、皆も大好きのスタンプを押していった。その流れに倣って私もスタンプを送った。
その日はもう勉強を再開せず、寝支度をして早めに寝た。

桜が週末遊べないと言ったので、私達も勿論遊ばず、私は何をしようかと悩みぼうっとしていた。多そうだった宿題は案外早めに終わってしまったのだ。
「…そういえば、悠花の家」
すっかり忘れていたが、悠花に会いに行ってみようと珍しい気持ちが芽生えた。こういう時に行っておかないとまた、母にグチグチ言われる。でも、また拒否されたらどうしよう。軽く手土産を買って家を尋ねることにした。
悠花の家はすぐ近くで歩いて五分もかからない。インターホンを押すと、悠花の母が出てきてくれた。
「あら、紗香ちゃん。お久しぶりね」
「お久しぶりです。悠花に会えますか」
そう言うと、悠花の母は家にお邪魔させてくれた。
「悠花ずっとひきこもったままなの。困っちゃうわ。悠花の部屋、行ってあげて」
以前と変わっていない悠花の母の優しさは、心に染みるところがあった。手土産は、悠花の部屋に持っていくことにした。
階段を上って悠花の部屋の前に着く。緊張しながらノックし、名を名乗る。
「紗香だけど。」
「なんで、来ないでって言ったじゃん。」
部屋の中からは、なんの音も聞こえずただ、冷静で抑揚のない悠花の声が聞こえただけだった。
「やっぱり話聞きたいと思って」
「どうせ、お母さんと紗香のおばさんが話してお願いされただけなんでしょ」
痛い所をつかれた。
「まーいいよ、入ったら」
「…え」
今この瞬間まで頑固拒否って感じだったのに。私は悠花の部屋に足を踏み入れる。まだ二人とも幼くて、今より沢山話していた時の部屋と何も変わっていなかった。薄い桃色のベッド木製の勉強机、本棚の配置まで何もかも。
「適当に座って。」
そう冷たそうに言った彼女だが口角が微妙に上がっているのを、私は見逃さなかった。持ってきた手土産を机に出す。
「これ…私が好きなやつじゃん。」
私が持ってきたのは、悠花が昔から好きだった店のカステラだ。私が特別好きなわけではないが、悠花は何かある時いつも母におねだりしていたのを覚えていた。
「紗香にはかなわないよ。やっぱり紗香は特別。」
ごめんと、彼女は頭を下げた。
「いや、私が悩みを抱えてた悠花に寄り添ってあげられなくてこんなことになっちゃったから、こちらこそごめん。」
カステラのおかげで、見事に仲が復活した私達は理由もなく笑った。今までの自分たちが馬鹿馬鹿しくなったのかもしれない。
「それで、理由のことなんだけど。」
本当に聞きたかった不登校になった理由。私は先程の柔らかい雰囲気を消し去って、真剣な眼差しで言った。
「あー、それね。長くなるけど。」
今まで胡座をかいていた彼女が正座に座り直す。
「単刀直入に、原因はいじめ。」
いじめという単語を聞くとなんだか、心がずっしりと重くなる気がした。
「同じクラスの子達から、殆ど毎日虐められるようになった。初めは、陰口が時々聞こえるくらいだったのに、気が付いたら筆箱も上履きも無くなってた。でも、それは紗香がいないときの朝とかだけでまだ頑張れた。でも、教科書を開いて色んなことが書いてあったのは本当に心が痛かった。もう限界、私には我慢できないって心が悲鳴をあげた。」
実際に何が落書きされていたかは、話してくれなくて相当な悪口だったのだと悟る。
「それで、一回学校を休んだ。あの時紗香には頭痛がするって連絡した。嘘ついてごめんね。紗香まで皆にいじめられるかもしれないと思うとせっかくの友達なのに自分が最低だと思っちゃうから。それで、学校を休んだ翌日に登校すると、もっと酷くなってた。頻繁に起きるし、やること自体も酷くなっていって紗香に言い訳ができない…隠し通せないくらいになってた。」
悠花曰く、母には相談したけれどそれ以外の人には言い出せなかったという。きっと、自分が情けないことを知られたくなかったんだよね、と彼女は困ったように笑った。
「それで、気が付いたら不登校のひきこもり。最悪だよね。」
一番一緒にいた私が、彼女が悩んでいることに何一つ気付けなかった。よく彼女を見ていれば、どこかで助けてあげられたかもしれないのに。
「気が付いてあげられなくて本当にごめんなさい。話してくれてありがとう。」
これからは、絶対に彼女を見捨てたりしない。そう心に決めた。
彼女は深刻な顔を見せなかった。わざと見せないようにしているのか、それとももう吹っ切れているのか分からなかった。私の前では、素の姿を見せて欲しい。私を思う存分に頼って欲しい。そう伝えたら、相談してくれるようになるんだろうか。
目の前の彼女はカステラに惹かれ、もう半分以上の量を食べてしまっている。
「このカステラ久々だけど、やっぱ美味しいわ〜」
そういった彼女は一階に牛乳を取りに行った。今まで私はずっと彼女に嫌われてしまったと思っていた。家に行っても、拒否されるばかりで相談して貰えない自分のことは友達と思っていないのか、親友だと思っていたのは私の一方的気な感情だったのかと。でも、こうして勇気をだして一歩踏み出すことで、全然違った結果になってくると思うと、今までの気持ちはちっぽけな感情だったと思う。
そして私は、牛乳と一緒にカステラを平らげる彼女に一番気になっていることを尋ねた。
「悠花のこと、虐めてたのって…誰?」
そして彼女は、どこか怒りを見せているかのような表情で言った。
「本長桜って子。」
最悪だ、そう思った。
「紗香覚えてる?」
何食わぬ顔でそんなことを尋ねてくる彼女に、無性に腹が立つ。彼女は何も関係ないのに。ただ私が、桜と絡んでいるだけ。それを知られたら、もう二度と悠花とは会うことが許されない気がして咄嗟に嘘をつく。
「んー、覚えてないな。」
クラスの中心的人物。私が覚えて居ないはずがない。彼女は、その事に気付いているだろうか。
 その後、私はカステラをひとつも口にすることなく用事があるから、と彼女の家を出た。
家に帰ると息が切れていることに気付く。体育でも、あまり積極的ではなくこんなにも全力疾走したのは本当に久々だった。きっと私は今すぐにでも、彼女の家に行ったことと桜のことをなかったことにしたかったのだろう。
「どーするべきでしょう、私は」
誰もいない家にそう呟く。何故か両親は二人とも外出している。それが今の私には、都合良かった。
ふと、いつもの癖でスマホを開くと桜達のグループラインの通知が百件を超えていた。またスルーだと言われると困る為、未読の箇所から順に目を通す。今の私には、なんの関係もなかったし、知りたいとも思わないしょうもない内容で、急いで目を通したことを後悔する。
『返信遅れてごめん!それ面白いね』
つまらない言葉を組み合わせて、うさぎのスタンプと一緒に送った。直ぐに四人分の既読マークが付けられた。
私はただそれを呆然と見つめていた。
「紗香〜!宿題終わった?」
憂鬱な月曜。朝から桜が駆け寄ってくる。
「うん、終わったよ。」
きっと桜は私の気持ちなど気にせずに、見せてーお願い!と愛嬌のある瞳で訴えてくるのだ。
「見せてー、お願い!」
パチン、と目の前で合唱された手元は私みたいに乾燥していなくて白かった。
「いいよ。」
ノートを手渡す。これも、いつもの事のはずなのにこの調子で悠花を虐めていたと思うとゾッとした。顔が強ばるのを感じる。
「紗香どうかした?」
奈菜や芽依がその変化に気付いて、そう聞いてくれたものの、上手く答えられそうになかった。笑って受け流すしか無かった。基本、私たちは授業毎の休み時間に自然に集まり、雑談をする。そして勿論昼食も一緒に食べ、放課後にも途中までは一緒に歩いて帰る。いざ振り返ってみると、私はほとんどいつもの五人で生活していた。今日は授業の予習をすると言って休み時間に彼女たちと話さないようにした。
悠花は桜がいじめたと言っていたけれど、奈菜や夕、芽依はどうだったのだろう。元々、四人グループだったのだけれど、進級初めに話しかけられたのだ。彼女たちは、私が悠花と一緒にいたことを知っていて話しかけたのだろうか。そして、奈菜達はいじめに気がついていたのだろうか。それが私の疑問だった。
「紗香、今日元気ないけどどうしたの?」
「夕、なにもないよ。本当に最近勉強出来ないからこうして、予習するしかないって事。」
出来るだけ、本当に困っているように見せていたはず。夕はそっか、と一言言っただけで私は安堵した。
ぎゃぁぁ!と、奥で桜の悲鳴が聞こえる。そちらに目を向けると虫の死骸が机に入っていたと、大騒ぎする桜とそれを慰める奈菜がいた。
「私の机に死骸入れたの誰?信じられないんだけど。」
「ほんと、信じられない。桜、きっと誰か性格の悪い奴らがやったんだよ。ほら、そこの陰キャとか?」
そう、奈菜が目を向けた先にはクラスでもカースト底辺級のメガネ女子のグループだった。三人でいつもヒソヒソと話している。奈菜に鋭い視線を向けられた三人のうちの一人は、こちらを見た後すぐに目を逸らして肩をふるわせた。
「ほら!今こっち向いた奴だよ、絶対!」
最低!と二人くらいの声が合わさって聞こえる。その言葉は凶器のようで、その子は教室を飛び出していった。その状況を見ていた周りのクラスメイトは何事も無かったように、それぞれの席に着いて参考書を開き始めた。
いくら何でも言いがかりが酷すぎる。あの子が可哀想だ。あんなに公の場で言われたら本当にやっていなくても逃げ出したくなるだろう。
やれやれと言わんばかりに虫の死骸をゴミ箱に持っていく桜は、今までの怒り狂った態度が嘘のようだった。私は、先程の女の子を追いかけることにした。桜達が余程怖かったのか、グループの二人も見て見ぬふりをして机に向かっていった。それが妙にイラついて、誰にもバレないように右手を自分の爪で突き刺して発散した。
教室を出て、暫く探していたら授業開始のチャイムが鳴った。仕方がない、一時間くらいサボっても良いだろう。学校中をそっと回っていると、女子トイレにスリッパが置かれているのに気付いた。あの女の子だと気がついた。教室から、生徒の豪快な笑い声と教師の怒りが混じった怒鳴り声が聞こえてくる。そんな音を一度無視してトイレに耳を澄ませる。すると個室からすすり泣く声が聞こえた。間違いなくさっきの女の子だと確信する。驚かせないように個室をノックする。
「私、鈴木紗香だけど、分かる?さっきの虫の死骸のことだけど…やってないんでしょ?」
すすり泣く声が途絶えたと思うと、鍵が開いて中から赤面でぐしゃぐしゃの顔の彼女がでてきた。
「取り敢えず、場所変えよう?」
トイレで話す気分にはなれなくて、そう提案すると、彼女は一つ結びを揺らして頷いた。場所を変えようと言っても、授業中の為教室は使えない。しかもこの学校には空き教室がひとつしか無く、しかもその教室はどのクラスでも自由に使用できるから、誰かと鉢合わせになる可能性が高い。彼女の案で、音楽室にする事にした。
「私、中村です。」
いきなり名を名乗られた。私は本当に申し訳ないことに彼女の下の名前を知らなかった。下の名前は、京香と言うらしい。
「確認だけど、京香ちゃんはやってないんだよね?」
「も、勿論やってないです。でも、本長さんが怖くて言い返せなくて。」
京香ちゃんは今にも泣きそうだ。目元が潤んでいる。
「うん、私も桜達と一緒によく話すけど私達も言い返せないよ。奈菜も一緒。ただ従うしかないの。」
「そ、そうなんですね。」
こっちを向いて、何やら心配そうに見ている。
「あ、授業のこと?それなら心配しないで。一時間くらい二人でサボっちゃおう」
心配事が当たったのか、安心した表情を見せた京香ちゃんはよく見てみると、肌がとても綺麗で睫毛が長い。眼鏡をとればもっと垢抜けるのにと、顔をまじまじと見ながら思う。
それから私たちは、雑談をして一時間を過ごした。勉強して過ごそうと思ったが、二人とも教室を飛び出してきてしまって何も持っていなかったのだ。
京香ちゃんは弟が一人いて、読書と推し活が好きらしい。京香ちゃんの推しは私にはよく分からないけれど。
見た目通り控えめで、大人しい京香ちゃんだけれど話してみると意思がはっきりしていた。桜や奈菜は、流行りの物が大好きでラインの通知も絶えることは無い。毎日元気いっぱい!と言った感じで、テンションが高い。
でも、京香ちゃんみたいな静かな子と話すと…悠花を思い出した。悠花も、意見がハッキリと言えて優しい大人っぽい子だ。そういう所に私は惹かれたのだ。
授業終了のチャイムが鳴る。
「もう行かなきゃね。」
「うん。」
いつの間にか、京香ちゃんは敬語じゃなくなっている。心を開いてくれたのだと思うと嬉しかった。これから先、この様に二人言葉を交わすことは無いだろう。彼女は彼女の友達と、私は桜たちと過ごして行くのだから。
「ありがと。」
彼女の頬が紅潮した。それがまた可愛かった。彼女は、名残惜しそうに此方を見ていた。見て見ぬふりをして、先に教室へ戻った。
私だって、ずっと一緒にいたいよ。

「紗香〜心配したよ、どうしたの?」
教室に入った途端、桜も奈菜も夕も芽依も私のもとへ来てくれた。
「ちょっとお腹痛くなっちゃってさ、休んでた。今はもう大丈夫だよ。」
「良かったー!今日の放課後五人で遊ぼうよ〜」
いいね、と声が重なる。奈菜だけが何か思い詰めたような顔をしていた。
「…あ、あのさ!」
四人とも奈菜の方を向く。
「あの、紗香もしかして、さっきの授業中中村と一緒にいたとか?」
「え?」
「はぁ?紗香があんな陰キャと一緒にいるわけないじゃん。」
すぐに桜が訂正してしまって、周りも口ごたえできる雰囲気じゃなくなってしまった。
「うん、ほんとに違うよ。保健室行ってたの」
奈菜もそれ以上聞くことはせず、話題は次々と切り替わっていった。何処からか、京香ちゃんの視線を感じた。
 家に帰ると、珍しく母の鼻歌が聞こえてきた。その後に甘い香りも。
リビングを覗くと、何やらお菓子作りをしているようだ。普段は夕食を作ることも嫌そうな母が何故か上機嫌である。
「た、ただいま。」
「あっ、紗香おかえりなさい。」
丁度焼けたところだったの、とオーブンから取り出したのはシフォンケーキ。焼きたてで一気に甘い香りが広がる。
「味見してくれる?」
「う、うん。」
母の態度に戸惑いながらもシフォンケーキを一口。シフォンケーキの大人の甘さが口に広がる。そして、めちゃくちゃふわふわしている。
「なにこれ、超美味しい」
「でしょう!?」
「でもなんでいきなり、お菓子作り?」
母は何かよからぬ事を考えついた子供のように、にやっと笑って見せた。何、何があったんだよ。
「今日会社で活躍しちゃったのよ」
母曰く、会社の新人さんが発注ミスをしてしまったのを上手く対応し、厳しい取引先の担当さんから怒られることなく済んだということで課長や上司、新人さんに大きな拍手を頂いたという。
「それに…紗香も悠花ちゃんと和解したみたいだしね。」
私が見たこともないような笑顔を見せた母は、その顔をまたくしゃっとする。
悠花のこと、母には伝えていないはずなのにどうして知っているのだろうと考えた時に悠花の母の顔が浮かんだ。きっとおばさんから伝わったのだろう。どちらにしろ、母の機嫌がいいのはいいことだ。雰囲気的にとても楽になる。
私がリビングの端に突っ立っている間に。母はもう、夕食を作り始めていた。
自室で勉強していると、母の声が聞こえて一階へ行くと豪華な食事が並んでいた。ドレッシングまで手作りされたサラダにローストビーフ、ポタージュと並び、メインメニューは白身魚のフライ。いつもは和食しか作らない母が洋食をこんなに沢山作るのは珍しい。私も父も驚きで唖然としている。
「…母さんどうしたんだ」
「会社で、活躍したらしい。」
「記念日だと思って焦ったよ」
父もこの豪華な食事に嬉しそうな表情を見せた。
「さあ、出来たわ。」
エプロンを畳み、椅子に座ったのを見て私達も席に着く。
「いただきます。」
サラダとローストビーフを皿に盛る。サラダのドレッシングは玉ねぎドレッシングで少し甘さがある感じが美味しかった。ローストビーフは、脂っぽさがなくさっぱりしている。続いてポタージュと白身魚のフライを口に入れる。ポタージュは体に優しい薄味で、好みの味だった。フライもよくテレビの食レポで綺麗な女の人が言っているように、まさに外はサクッ中はジュワッっと言う感じで美味しい。父も黙々と食べている。
「美味しい」
「ありがとう」
母は、得意げにふふっと笑みを零した。この時間が輝いているように感じたのは気の所為だろうか。
私はこの時間、悠花のことは頭になかった。
 翌日、学校へ行くとクラスの雰囲気がピリッとしていて嫌な予感がした。
「ね、どうかしたの?」
桜に尋ねる。
「芽依がなんか言いたいことあるみたいだけど。」
芽依の方に視線を向けると、俯きがちにこちらを睨む芽依と目が合う。怖くなって桜の方へ視線を戻すが、桜たちも芽依がどうしてそんな雰囲気を出しているのかがわかっていないようだ。
「芽依、どうしたの」
私が思い切ってそう声かけると、芽依はにっと口角を上げた。それが不気味だった。
「昨日、やっぱ紗香はあの陰キャと一緒だったんでしょう?」
えっと小さく声をあげて、京香ちゃんの方を向くとずっと下を向いていた。髪で隠れて表情は読めなかった。
「私さ、ずっとあんたのこと嫌いだったんだけど気づいてた?気づくはずないよねこの鈍感女が。勝手に孤立してろよ。」
「待って状況が読めない。」
桜も奈菜も夕もクラスのみんなも混乱していてザワザワした雰囲気が続く。
「どう言うこと?芽依は何が言いたいの?」
「自分がやったことに自覚ないわけ?あっそう、つくづく最低な女だね。私から悠花取って散々嫌な思いしたと思ってたのに、孤立したら今度は私たちのグループに入って来るとは。」
悠花の名前を口に出した途端、桜達の顔色が変わった気がした。やっぱり、いじめていたのは真実だったのだと確信した。