遺書にラブレター【完】

わたしよりも長い時間辛い思いをして、さらには、わたしのために奏多のふりをしてくれていたんだ。


「哲弥さんのせいじゃないです……」

「ありがとう。凜ちゃんのせいでもないよ」


哲弥さんは取り乱した気持ちを整えるように、深呼吸をすると、鞄から何かを取り出した。


「とても、大事なことを伝えたくて」

渡され、受け取るとそれは免許証と小さく折られたルーズリーフだった。

免許証の写真には、青い背景に、黒髪の男の子が映っている。
ちょっと表情は硬い。


「その奏多は、ちょっと若いかな……」

わたしはコクンと頷いた。

「裏側見て」


免許証を裏返すと、小さな文字に丸印。
ピントが合わなくて、目を細める。
署名がしてあるのが見えた。


荻原奏多(おぎはらかなた)

奏多の名前はこう書くんだな、とぼんやりと思った。


「見える? それ、臓器提供意思表示欄って書いてある。ドナーカードとも言うんだ。……わかるよね」

「ーーーーえ?」


はっと顔を上げる。

奏多が、ドナーカードを持っていた?

それがどういう事なのかわかったような気がして、また頭が飽和し始めた。

「奏多は、脳死だったよ」

ぼんやりとその言葉を聞いた。
折りたたんだルーズリーフも開くように言われて、ゆっくりと広げる。


『遺書
俺の目は高垣凜《たかがきりん》にあげてください』


ぶわっと風が駆け抜ける。
読んでくれた哲弥さんの声と、奏多の声が重なった気がした。

わたしは呆然と、それを眺め続けた。

「それはね、奏多が最初に書いたやつで。
遺言書としては機能してなくて、綺麗に書き直したのもあるの。

あいつ、本当に凜ちゃんのこと大事に思っててさ。
医者にもなれないから病気は治せないけど、自分に出来ることやりたいよなって、書いてたんだ。

万が一の時に、誰かの欠片になれるように。
より添えるように。
あいつなりに、考えて備えてた」

わたしは、淡々と語る哲弥さんの言葉を、玩具のような遺書を握りしめ、相槌も打たずに聞いていた。



「この目は、奏多の目かな」

長い時間をかけて、ようやくそれだけを呟く。


「……最近ね、俺も思うことがあって、ドナーカードっていうの書いたんだ。
それで、色々調べた。
これはね、俺の独り言だと思って欲しいんだけど……。

提供者は匿名性が守られなくちゃいけないから、凜ちゃんのドナーになったのが誰なのかは、俺にはわからない。
奏多は遺書を書いていたけれど、提供相手を優先できるのは親族だけで、例え遺言書だろうと、恋人を指定して提供は出来ない」


わたしは頷いた。
提供を受ける側として、知っていたことだ。
「奏多が脳死判定を受けたのが、事故から三日後。凜ちゃんが移植手術を受けたのは、事故から四日後だ」


哲弥さんが何を言いたいかわかって、わたしは落としていた視線を上げた。

目が合うと、哲弥さんは泣き顔のまま優しく微笑んだ。


「俺が妄想を言えるのはここまでで、正解はわからないよ。
ーーーーでもね、なんていったらいいかわかんないけど、俺はね、凜ちゃんと視線をあわせると、奏多の太陽みたいなあったかさを感じれるんだ」


瞳が、急激に熱を持った。

また風がふいて、溜まっていた涙をふきとばすと、同時にとどまっていた雲も流れて、二人のベンチに陽が差し込んだ。


(この熱は、奏多の熱かもしれない)

確かめるように瞼を触ると、奏多が笑った気がした。



「奏多にも、俺が見えてるかな」

哲弥さんが呟いた。

瞳が溺れるほどの雫が飛んで、クリアになった視界には、世界の鮮やかさが戻る。


「見えているよ」と返すと、哲弥さんはくしゃっと顔を歪めた。

親友の笑顔に、瞳の奥が喜んでいた。


朝起きると、眩しいくらいの日の光を感じるようになった。
カーテンをあけて、空の青さを少しだけ堪能すると仕度に取りかかる。
今日は、哲弥さんと奈子ちゃんがまた遊園地に誘ってくれて、遊ぶことになっている。

好きな服を選び、自分で髪を結い、化粧をする。
奏多がくれた口紅を塗り、鏡の中の自分を見つめた。
オレンジの、少しラメの入った口紅だ。


『凜が隣で笑ってくれるだけで、俺がどれだけよろこんでるかわからないんだな』


彼の言葉を思い出し、鏡の中の自分に向かって微笑む。

鞄を掴むと、机の一番目立つところに飾られた写真へと目を向けた。
初めてのデートでジェットコースターに乗った時の、わたしと奏多の唯一の写真だ。


明るい髪色に、溌剌とした男の子が映っている。
あの時、叫びながら道案内してくれ彼は、今もわたしの行く先を示してくれている。


「いこっか」


もう一度鏡を振り返り、中から見つめる瞳に声をかけると、光溢れる世界へと踏み出した。

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